柱時計の亡霊

 黒板には、理解できない数字が並んでいる。公式のようだが、一生懸命考えてもわからなかった。算数の時間が、すべて大好きな体育になればいいのに。滝田カオルはそう思った。運動場では、サッカーをしていた。三つのコートの中で、走り回っているのを見ると、窓から飛び出して仲間に入りたくなる。よそ見をしていたせいか、カオルは担任でもある高瀬彩先生に名指しで注意された。
「滝田くん。外ばかり見ないで、教科書も見てちょうだいね」
 みんなクスクス、と小さく笑った。
 チャイムが鳴って、授業が終わった。カオルの席に皆川レンと源あすかがやってきた。レンとあすかとは、幼稚園のころからの親友だ。
「授業くらい集中しろよ」
「先生に注意されてやんの。だっせー」
「うるさい、特にあすか」
 カオルはあすかをにらんだ。あすかはまだにたにた、と笑っている。
「カオルが悪いんだろー。オレはまじめに授業受けたもん」
 あすかは女子だが、自分のことをオレ、という。けれどそれは、短い髪形と男勝りな性格のためか、本当に男子のように違和感がなかった。
 あすかの一言に、カオルはカチン、ときた。あすかに「でか女!」と言えば、あすかは「チービ!」と返した。たしかにあすかの身長は百五十八センチと女子にしては大きく、カオルは百五十センチもなく男子にしては小柄なのだ。いつものことだ。二人の言い合いを見ながら、レンはよく飽きないな、と感心する。ひとしきりじゃれあうとカオルは机につっぷし、ぽつり、と言葉をこぼした。
「なーんか、おもしろいことしたいなあ」
「どんなことだ?」
 レンは尋ねた。しかし、カオルはうーん、と考えているだけで、答えられなかった。
「じゃあ、放課後までに各自考えておくことにしたら?」
 あすかが提案した。二人は賛成した。三人はそれぞれ、楽しそうなことを考えた。
 今日は土曜日だ。タイムリミットの放課後は、すぐにやってきた。カオル、レン、あすかはジャングルジムのてっぺんに、座っていた。校庭には、帰って行く生徒が横切る。一部だが残って遊具で遊んでいる生徒もいる。校庭全体を見渡せる、このジャングルジムが三人は好きだった。一瞬風が吹き、カオルのトレードマークである、つばを後ろにかぶったキャップが、とびそうになった。
「ちゃんと考えたか?」
 カオルが確認した。レンとあすかはうなずいた。
「この間買った、格闘ゲームするとか」
「あー。たしかにそれは気になるけど、そんな気分じゃないなあ」
 レンの提案に、カオルは首を横に振った。続けてあすかが言った。
「格闘トーナメントは?」
 三人の家は道場だ。カオルが合気道、レンが剣道、あすかが空手だ。三人ともそれぞれ家の道場で技を磨いている。そしてときどき、習っている格闘技で力試しをする。剣道と空手、空手と合気道、というように。それを三人は、格闘トーナメントと呼んでいた。
「先週もしたじゃん」
「じゃあ、なにかカオルは考えたんだろうな?」
 あすかがそう言うと、カオルはにやついた。そう聞かれるのを、待っていたようだ。
「柱時計の亡霊を暴く、っていうのはどうだ?」
「柱時計の亡霊って、学校の七不思議の?」
「そうだ」
 職員室の前に、古い柱時計がある。大正時代のもので、初代校長が譲り受けたものらしい。午前二時に、その柱時計の前に立って、「亡霊さん、遊びましょ」と言うと、時計の中に吸い込まれてしまう、という学校に伝わる七不思議のひとつだ。そのためか、みんな柱時計の前に立つことを、避けていた。
 学校には、七不思議がある。
 柱時計の亡霊、真っ赤な桜、飛び回る実験道具、幻の五年六組、図書室の女の子、真夜中のピアノ、踊り場の大鏡。怖がられているものもあれば、噂くらいにしか思われていないものもある。
「夜、学校に忍びこんで七不思議が本当かどうか、調べるんだよ」
「おもしろそうだな」
「でも、見つからないか?」
「なんだよ、あすか。怖いのか?」
 カオルはあすかを挑発した。弱虫だと思われたくないあすかは、「そんなことねえよ、いいじゃん、やろうぜ」と乗せられる形となった。
「じゃあ、今日の深夜一時五十分に校門前に集合。父さんや母さんに、ばれないようにしなくちゃな」
 カオルは小声で言った。みんな、それぞれどうやって夜に家を出るか、悩みはじめた。


 晩ごはんを食べ終えて、部屋に戻ったあすかは、どうやって抜けだそうか未だに思いつかないでいた。そのとき、ドアをノックする音がした。入ってきたのは、あすかの兄である、ムロマチだった。あすかにはムロマチとカマクラという兄が二人いる。二人とも寮のある高校に通っているので、普段はいないが、週末なので、ムロマチだけ帰ってきている。カマクラは用事があるらしく、帰ってきていない。
「おい、あすか」
「なんだよ」
「なにか企んでいるだろ。そわそわして、バレバレなんだよ」
 あすかはどうやってごまかそうか、必死に頭を働かせた。ムロマチが「当ててやろうか」と、ウインクしながら言った。
「夜に家から抜けだすんだろう」
「なんでそう思うんだよ?」
「だって、おれも小学生のとき同じことしたもん。カマクラもしたことあるぜ」
 あすかはなにも言えなかった。兄弟そろって同じことをするなんて。よくふざけているムロマチはともかく、まじめなカマクラが、自分と同じことをしていたのは少し意外だった。あすかがどう反応すればいいか、迷っているとムロマチが提案してきた。
「協力してやるよ。抜けだすとき、おれの部屋から出て行きな。あすか、靴はどうするんだ?」
 それはあすかが悩んでいることのひとつだった。いつもはいている靴を持ちだしたら、母さんに気づかれるかもれない。
「ベランダのスリッパで行こうかと思ったんだけど」
「だめだ。なにがあるかわからないから、靴で行きな。おれもそれで失敗した。そうだな……雨の日にはいて行く靴あるだろ?下駄箱の奥に置いている、少し古い靴。あれにしろ。とってきてやるよ」
 そう言って、ムロマチはあすかの古い靴を、玄関にとりに行って、すぐ戻ってきた。靴を渡したムロマチは、ポケットからチョコレートを十粒ほど出した。
「チョコレートは非常食にもなるから、持って行け」
「大げさだよ、ムロ兄」
「なに言ってんだ、どんなことが起こるかわかんないぞ。おれのときなんて、スリッパはいて、なにも持って行かなくて、大変だったんだからな。まあ、その話は帰ってきてからでもしてやるよ」
 ムロマチはくしゃくしゃ、とあすかの頭をなでた。あすかはその手を払いのけて、乱れた髪を整えた。それからムロマチにいくつか家を抜けだすときのポイントを伝授してもらい、時間になるまで少し寝ることにした。
 深夜一時半。あすかは準備を整えて、音をたてないようにそっ、とムロマチの部屋に行った。古い靴とチョコをいれたかばんを持って。ムロマチに言われたように、枕とクッションに布団をかぶせて、カモフラージュした。意外とごまかせるらしい。いつもならすぐに着くはす向かいの兄の部屋が、今はとても遠いような気がする。ノックせずに部屋に入った。中ではムロマチが縄をベッドの脚にくくりつけ、ほどけないかチェックしていた。
「お、来たな。ここからなら、母さんや父さんの部屋から見えないし、見つからないだろ。じゃあ、気をつけて行ってこい。帰ったらどんなことあったか、聞かせろよ」
 あすかはうなずいた。ムロマチは笑顔であすかの姿が見えなくなるまで、見送っていた。
 あすかは通っている小学校に向かって走った。自転車ではガレージから出すときに音がするから、使わなかった。吸い込む空気は、湿気をふくんでいていた。もうすぐ梅雨がやってくる。走りながらあすかはふと、思った。一体いつまでカオルやレンといっしょに遊ぶことができるのだろうか。学年が上がると、周りの女子は男子を少し意識して、そわそわするようになった。そして、いつもカオルやレンといるあすかに、「どっちのことが好きなの?」や「つき合っているの?」と聞かれることが多くなった。あすかにとって、カオルとレンは大切な親友で、恋愛感情はない。けれど、まわりがそんな風に思うことがわずらわしく、少し悲しかった。いつか、カオルやレンと遊べなくなるのではないか、と思うと心臓を握りつぶされそうなくらい、つらかった。二人といっしょに遊ぶと、なんでも楽しくて、わくわくして、きらきら、と輝いて見える。今だって、そうだ。怒られるかもしれない、という恐怖より、真夜中の学校に忍びこむ、わくわくが足を動かしているのだ。
 待ち合わせの校門前には、すでにカオルとレンが来ていた。カオルは夜にも関わらず、キャップをかぶっていた。
「おっそいぞ、あすか」
「見つからなかったか?」
「おう」
 あすかはムロマチに手伝ってもらったことは、黙っておくことにした。なんとなく、ズルをしたような気がして、後ろめたかったのだ。三人は校門を登って、真夜中の学校に忍びこんだ。夜の闇にとけこむようにそびえ立っている校舎は、不気味だった。三人とも一瞬足がすくんだが、気合いを入れ歩きはじめた。
「どうやって校舎の中入るんだ?」
 レンが尋ねるとカオルは、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに胸を張って、二人に手招きをした。そこは一階の、事務員室の前にあたる窓だった。
「ここって、実は鍵が壊れかけなんだ。だから、こうやって……」
 カオルは窓を左右にガタガタッ、と揺らしはじめた。レンとあすかは、だれかに見つかるのではないか、とどきり、とした。カオルは気にせずに窓を揺らした。すると、カチャン、と鍵が開く音がした。
「ほらっ」
「ええー……」
「おいおい、しっかりしろよ、学校」
 本当に鍵が開くと思っていなかったレンとあすかは、それぞれ感想をつぶやいた。まずカオルが中に入り、だれもいないことを確認すると、二人を呼んだ。真っ暗な廊下はとても不気味で、三人とも無意識に寄りそった。レンが持ってきていた懐中電灯をつけると、少しほっ、とした。こつん、こつん、と足音が大きく響く。
 三人は七不思議の柱時計に立った。針は一時五十九分を指していた。あと一分だ。
「間にあったな」
「なんか、不気味だな……」
「あすか、こわいのか?」
「べつにこわくない。カオルこそこわいんじゃねえの?」
「なんだとっ」
「おい、静かにしろよ。もうすぐだぞ」
 レンは昼間と同じような言い合いをとめた。かちり、と針の動く音がした。二時だ。三人は、声をそろえ、言った。
「亡霊さん、遊びましょ」
 するとまるで返事をするように、ゴーン、ゴーン、と二回柱時計が鳴った。
「なあ、この柱時計って鳴らないようになっているんじゃなかったっけ?」
 レンの言うとおりだ。本来なら一時間ごとに鐘を鳴らすが、授業中に鳴るとうるさいので、鳴らないようにされているのだ。三人は異常事態であることが、すぐにわかった。次の瞬間、柱時計がフラッシュのように強く光った。
「うわああ!」
 三人は逃げる暇もなく、柱時計の中に吸いこまれてしまった。


「うう……」
 カオルは体の痛みで、目を覚ました。レンとあすかは、まだ気を失っていた。
「レン、あすか。おい、しっかりしろ」
 レンとあすかも、うめきながら、体を起こした。三人は辺りを見渡した。青白い壁が道を作っている。どうやら迷路のようだ。壁はカオルの身長の三倍はありそうだ。さわってみると、ひんやり、と冷たく、つるつるしている。
「なんだ、ここ……」
「オレたち、なんでこんなところにいるんだ?」
 カオルとあすかが不思議に思っている中、レンは自分なりに状況を整理しはじめた。
「たしか、学校の柱時計の前で、七不思議が本当かどうか試して……。そうか。ここは、あの柱時計の中なんだ」
「ということは、七不思議は本当だったってことだな」
 カオルはのん気に言った。レンとあすかは、七不思議のオチを思い出し、重要なことに気がついた。
「なあ、カオル。あの柱時計の亡霊のラスト、覚えているか?」
「えーと、たしか時計の中に吸いこまれて……」
 カオルははた、と気がついた。柱時計に吸いこまれたら最後、戻って来れないと言われている。ようやくカオルが現状を理解した、そのときだった。
『ちがう……』
 どこからか、若い男の声がした。空間全体に響き、どこから聞こえているのか、わからない。
「だれだっ」
『あの子じゃない……。あの子じゃない』
 すう、と溶けるように、声は聞こえなくなった。声の主が、柱時計の亡霊なのかもしれない。
「とにかく、この迷路から出るぞ。おい、レン、あすか。ちょっと耳貸せ」
 カオルはさっきの声の主に聴かれているかもしれない、と思って小声で話した。二人に作戦を提案した。レンとあすかは、ためらいながらカオルに言った。
「でもそれって、していいのか?」
「普通の迷路じゃ怒られるよな」
「でもここは、普通の迷路じゃないし、出られるかどうかがかかってんだ。やろうぜ」
 レンとあすかはうなずいた。そしてレンが片膝を立て、両手を壁についた。あすかはレンの肩に乗った。カオルは、レンの足に乗せると、まるで木登りをするように、器用にあすかの肩まで登った。三人が肩車をすると、迷路に登ることができた。最初にカオル、次にあすか、レンの順番に迷路の壁の上に登った。一人で歩くには十分な幅だ。それだけ、壁が分厚いのだろう。迷路全体を見渡すことができた。よく見ると、歌劇の舞台のような大きな階段が遠くにある。ここから出るための出口かもしれない。そう思い、三人はそこに向かって、歩き始めた。踏み外さないように、慎重に歩く。下を見ていると、地面にぼろぼろに破れた服がたくさん落ちていた。ここに吸いこまれた人たちのものだろう。出ることができず、ここで命がつきたのだ。ぞっ、と背筋が寒くなった。しかしレンは、違和感を覚えた。はっきりと言葉にすることができないけれど、なにか変だ、と思った。そのとき、背後からグルル、とうめき声が聞こえた。最後尾のレンは、ふり返った。五メートルほど後ろに、まるで影で作ったかのように真っ黒で、赤い首輪をしている犬に似た化け物がよだれを垂らしていた。その真っ赤な目は三人に狙いを定めていた。そして、レンは服を見たとき、なぜ違和感があったのか、ようやくわかった。服はあったのに、死体がなかったのだ。目の前にいる化け物が骨ごと食べてしまったのだ、とすぐにわかった。
「カオル、あすか。走れ!」
 ふり返ったカオルとあすかは犬の化け物を見て、反射的に走り出した。それを合図とするかのように、犬の化け物が追いかけてきた。
「レン、しゃがめ!」
 あすかは、しゃがんだレンで馬とびをして、そのまま犬の化け物を蹴飛ばした。犬の化け物はキャンッ、と鳴きながら、のけぞった。あすかはなんとか踏み外さずに着地した。犬の化け物がひるんだ隙に三人は、距離を離した。先頭のカオルが大階段に向かって走り、真ん中のレンが罠などないか目を光らせる。一番後ろになったあすかは、しつこく追ってくる犬の化け物を何度も蹴った。もう何度蹴ったかわからなくなった。犬の化け物も心なしかふらふら、としている。そんな状態になっても追ってくる姿はまるで、飼い主の命令を忠実に守っているようだった。
「しつこい!」
 あすかはありったけの力をこめてもう一度、犬の化け物をサッカーボールのように蹴った。すると、犬の化け物は地面へと落ちた。横たわった体は、地面にしみこむ水のように消え、首輪だけが残った。犬の化け物の最期を確認した三人は、胸をなで下ろした。けれど復活するかもれいないので、再び歩を進めた。しかし、それはとりこし苦労に終わった。目的地の大きな階段に着くと、三人は一息ついて、その場に座り込んだ。あすかは、ムロマチの忠告どおり靴をはいてきてよかった、と心の底から思った。
「あら。ここまで来たのは、初めてですね」
 いつのまにか、階段の中腹に、一人の中年の女性が立っていた。体格はぽっちゃり、としていて人がよさそうな微笑みを浮かべている。三人はとっさに腰を上げた。女性は両手を前に出し、戦う気はないことを表した。
「わたしは沢田。ここは、あなたたちの思っているとおり、柱時計の中です。さっきの犬はぐりこ。坊ちゃんが飼っていた犬です」
「坊ちゃん?」
 沢田は少し目をふせ、語りはじめた。
「わたしは、古見(ふるみ)家の女中でした」
「え、古見家って、旧古見屋敷の?」
 旧古見屋敷。三人が住んでいる古美(ふるみ)が丘町に大正時代から残っている屋敷のひとつだ。古美が丘という名前も、大正時代に有力なお金持ちだった古見家をもじっている。三人にとって馴染みのある名前だ。
「ああ、今はそう呼ばれているのですね。
 古見家には、たかし様というご子息がいらっしゃいました。たかし坊ちゃんと呼ばれ、みんな慕っていました。たかし坊ちゃんは、お体が弱く、あまり外で遊ぶことができませんでした。けれどたった一人だけ友達がいました。同い年の女の子で、名前はさえこちゃん、といいます。たかし坊ちゃんとさえこちゃんは、それはもう、なかよしでした。大旦那様……たかし坊ちゃんのおじい様のお部屋でいっしょに本を読んだり、屋敷の中でかくれんぼをしたり……。けれどある日、さえこちゃんはご両親のお仕事の都合で、引っ越してしまいました。たかし坊ちゃんには、なにも告げずに……」
 沢田は一息つくと、表情が暗くなった。当時のことを思い出しているのだろう。しかしすぐに頭を横にふって、気持ちを切り替えた。
「話しすぎてしまいましたね。さあ、どうぞお進みください」
 すっ、と沢田は一歩退いた。三人は、この不思議な冒険がまだ終わらないことに、なんとなくわかっていた。


 大きな階段を上がりきると、フラッシュのように強い光が、三人の視界を奪った。ゆっくり、目をひらいた。正面の障子の向こうは広い庭で、ツツジがドームのように咲いている。犬小屋があり、「ぐりこ」と書かれたプレートがついている。床はフローリングで、木のテーブルと、それを挟むように革ばりの二人がけのソファーが置かれている。背後のふすまには、真っ白だ。家具は洋風だが、和風が残っている、奇妙な部屋だった。その部屋に見覚えがあった。
「ここって、旧古見屋敷の中じゃないか?」
「本当だ。昔、学校の社会見学で見たことがある」
 レンとあすかが部屋を見渡しながら言っている間、カオルは覚えていないことを黙っていた。勉強のことはすぐに忘れてしまうのだ。
「ん?」
 カオルは、テーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。それにはたった一行、書かれていた。
『かくれんぼ。一階にいるあたしをみつけて』
 カオルは、二人に紙を見せた。口元に笑みが浮かんだ。
「おもしろそうじゃん。部屋の隅から隅まで、探してやろうぜ」
「あたし、ということは女子だな」
 三人は手分けして、一階を探した。押入れ、トイレ、ピアノの陰、畳みの下。どれだけ家具の裏や中をのぞいても、部屋中を探しても、手紙を書いた女子は見つからなかった。それどころか、人影すら見当たらない。三人は、最初の部屋に戻って、ソファーに座って休憩をすることにした。
「それにしても広いなあ。女子って本当にいるのか?」
「全然見つからないよなあ」
 あすかとカオルは、はあ、とため息をついた。レンはふと、庭を見た。芝生には飛び石があり、灯篭とドームのようにピンク色のツツジが咲いて、松が植えられている。この屋敷の外観は、西洋風だが、庭は和風だ。離れも建っている。
「なあ、一階って書いていたけど、庭はどうなんだろう?隠れる範囲にふくまれているのか?」
 ぽつり、とレンはつぶやいた。カオルとあすかが、はじかれたように庭を見た。隠れることができそうなところが、いくつかある。三人はにんまり、と笑って庭を探すことにした。レンは離れを、あすかはツツジの辺りを、カオルは庭でほかに隠れられそうなところがないか、探し始めた。
 あすかはツツジに近づいた。花が咲きほこっているドームは、あすかの身長と同じくらいの高さがある。ぐるり、と見回ってみた。すると、少し大きな穴ができている。自然にできたもののようだ。上半身だけなら、なんとか入ることができそうだ。あすかはツツジのドームをのぞいてみた。幹があるためか、大きさの割に中はせまかった。すると、そこに体育座りをした少女が背中を向けていた。あすかに気がつくと、少女は振り向いた。あすかと同い年くらいだろう。紺色の着物を着ている。
「見つかっちゃった」
「あの置き手紙書いたの、あんた?」
「うん。……ねえ、女の子と男の子って、友達になれると思う?」
 置き手紙の女子は、突然あすかに質問した。あすかはすぐに答えた。
「当たり前じゃん。そうじゃないと、オレはカオルやレンと親友になれないじゃんか」
 あすかの答えを聞いた置き手紙の女子は、うれしさと悲しみが混じった顔をした。
「そうだよね。あのね、おねがい。たかしくんのところに行って。二階の、階段から三番目の部屋にいるから」
「もしかして、さえこちゃん?」
 置き手紙の女の子、さえこは、首を縦にふった。
「あたしたち、たかしくんの記憶が元になっているの。一番楽しかったときの記憶。それをたかしくんのおじいさんの柱時計が、形にしているの。柱時計はおじいさんも、たかしくんも大好きだから。たかしくんが望んだことは、なんでもしてくれるの」
「そうなのか」
「たかしくんに会って。そうすればきっと、あなたたちは帰ることができると思うから」
 そう言うと、まるでたんぽぽの綿毛がとぶように、さえこは姿を消した。さえこの質問が、あすかの心にまるで鉛のように、残っていた。ざわざわ、と落ち着かない。まるで、必死に沈めていることを、むりやり引き上げられているような感覚だ。けれどあすかは、気のせいだ、と自分に言い聞かせて、カオルとレンの元に向かった。
   階段は思っていたよりもせまかったけれど、壁のランプや、手すりに彫られた模様が上品にしていた。三人はさえこが言っていた部屋の前に立った。扉は引き戸で色ガラスが、はめこまれている。三人はごくり、とつばを飲んだ。
「い、行くぞ」
 カオルは引き戸を開けた。そこは広い書斎だった。本だなには、隙間なく本が収められていた。背表紙に書かれた題名は、達筆でなんと書かれているのか、わからない。机と一人用のソファー、そして柱時計があった。ソファーには、一人の青年がこちらに背を向けて座っていた。
「ここにたどり着いた人間は、初めてだ。迷路でみんな、ぐりこに捕まっちゃうんだ」
 青年は、立ち上がりふり返った。首や腕は細く、目もくぼんでいる。顔は青白い。亡くなったときのままのようだ。
「あんたが、たかし坊ちゃんっていう、柱時計の亡霊?」
「そうだ。きみたちは、友達かい?」
「そうだよ」
 たかし坊ちゃんは、三人をじろり、と観察した。そして、あすかに気がついた。
「きみ、女の子だよね」
「おう、それがなんなんだよ」
 たかし坊ちゃんは、見下すように笑い、あすかに問うた。
「女の子と男の子が、本当に友達になれると思っているのかい?ばかばかしい」
「なんだとっ」
「本当は、きみだってそう思っているんじゃないのか?」
「そんなことない!」
「じゃあ聞くけれど、なんで男の子の話し方なの?女の子じゃ、いっしょに遊んでもらえない、相手にしてもらえない、仲間はずれにされるかもしれない。そんな風に思っているからじゃないの?きみは、ぼくといっしょだ」
 あすかは心のふたが、こじ開けられるような気がした。抵抗するように、大きな声で、たかし坊ちゃんが言ったことを否定した。
「ちがうっ」
「ちがわないよ。だって、ぼくがそうだったもの。ぼくはさえこちゃんのこと、友達だと思っていた。けれど、ちがった。さえこちゃんは、ぼくのことを友達だなんて、思っていなかった。だから、なにも言わずに引っ越した。女の子だから、男の子であるぼくを友達と思っていなかったんだ。男の子と、女の子が友達になることなんて、できないんだ」
「ちがう!」
 あすかは、たかし坊ちゃんに向かって、走り出した。たかし坊ちゃんに殴りかかった。しかし、あすかの拳はひらり、と避けられ、手首を掴まれてしまった。手首がぎりり、と痛む。病弱だったのが嘘のようだ。家の道場に通う大人よりも強いあすかが、捕らわれてカオルとレンは驚いた。
「ほら、どれだけ強くなっても、きみは男の子じゃないんだ。だから、いつかは仲間はずれにされてしまう。ぼくみたいに」
 たかし坊ちゃんのその言葉が、あすかの心のふたを開けた。勢いよく、感情が流れ出た。カオルやレンにおいていかれたくない、いっしょにいたい。話し方も仕草も、男子のようにふるまえば、本当に男子になれるような気がした。女子では、いっしょに遊ぶことができなくなるような気がしたのだ。
「いいかげんにしろよ!」
 カオルがどなった。となりのレンもこわい顔をしている。あすかの感情の流れが、止まった。
「さっきから、ぐだぐだ好き勝手に言って、あんたにおれたちのなにがわかるんだよ!おれたちは、あすかだから友達になったんだ。女子とか男子とか関係ない!」
「そうだ!あんたは、自分ができなかったからできない、と決めつけているだけだろ」
「カオル、レン……」
「なんだと?」
 レンはちらり、とカオルに目で合図をした。カオルは小さくうなずき、レンの陰に隠れ、少しずつ移動した。レンが注意をひきつけている間に、あすかを助けるためだ。
「おれたち三人は、幼稚園に通っていたころからずっといっしょにいる。おれたちは、男子であろうと、女子であろうとずっと、親友でいる自信はある」
 レンがそう言って、自信に満ちた目をたかし坊ちゃんに向けた。その強い眼差しに、たかし坊ちゃんは一瞬、ひるんだ。カオルはその隙を見逃さなかった。たかし坊ちゃんに体当たりをした。あすかの手首がたかし坊ちゃんの手から離れた。あすかは受け身をとって、カオルのほうへと逃げた。
「ぼくだって、そう思っていたことがある……」
 たかし坊ちゃんは、尻もちをついたままぽつり、とつぶやいた。
「さえこちゃんは、とってもいい子だった。病気がちだったぼくの、唯一の友達だった。あの柱時計の前で迷路の絵本で遊んだり、絵を描いたり、ぐりこと遊んだ。……きみたちが通ってきたあの迷路も、その絵本が元になっているんだ。屋敷の一階だけで、かくれんぼをしたこともあった。さえこちゃんは、ツツジの中によく隠れていた」
 少しやわらかい表情で語っていたたかし坊ちゃんは「けれど」と言葉を切って、目をふせた。
「さえこちゃんはある日、遊びに来なくなった。はじめは用事があるんじゃないか、って思っていた。けれど、沢田さんからさえこちゃんが引っ越したって聞いて、悲しかった。なんで、言ってくれなかったんだろうって、ずっと布団の中で考えていた。病気で死んでしまう、その日まで。引っ越すのだったら、言ってほしかった。ちゃんとお別れもしたかった。……言ってくれなかったのは、ぼくのことを友達と思っていなかったから。亡霊になって、気づいたんだ」
 三人は、もし自分がさえこちゃんだったらどうしただろうか、と考えた。きっと、ともてもつらいだろう。もう少しだけ、明日には言おう、とずるずる先延ばしにしてしまうだろう。それでも、きっとお別れは言いたい。もしかすると、さえこちゃんにも事情があったのかもしれない。
「じゃあさ、さえこちゃんがどう思っていたか、調べてやるよ。それでもって、男子や女子なんて関係なく友達になれるって、証明してやる」
 カオルが言った。レンとあすかもうなずいた。さえこちゃんは、大正時代の人だから亡くなっているかもしれない。それでも、たかし坊ちゃんとのことを気にしていたら、だれかに話していることも考えられる。
「時間かかるだろうけれど、絶対にオレたちがさえこちゃんの気持ちを、あんたに伝えるから」
「約束する」
 たかし坊ちゃんは迷った。さえこちゃんは自分のことを友達と思っていなかった、と本当に思っている。けれど、まだ少しだけさえこちゃんのことを信じていた。もしかすると、本当にたかし坊ちゃんのことを、友達と思っていなかったかもしれない。それでも、さえこちゃんがどう思っているのか知りたい、と思った。たかし坊ちゃんは、自分が知っているかぎり、さえこちゃんのことを三人に教えた。
「さえこちゃんの名字は、高木。高木さえこちゃん。引っ越し先はわからない。一人っ子で、近所に住んでいたんだ。
 ……約束だよ。さえこちゃんがどう思っていたのか、ちゃんと教えて」
 三人はうなずいた。すると、柱時計がゴーン、ゴーン、と二回鳴った。フラッシュのように強い光に包まれ、三人は柱時計に吸いこまれた。それを見送ったたかし坊ちゃんは、凍りついた心が、少し溶けたような気がした。


「あいたっ!」
「う……」
「お、重い」
 三人は柱時計から放り出されるように、出てきた。二人の下敷きになったレンが、カオルとあすかに早く下りるように言った。ふと、時計を見た。針は二時五分を指していた。
「あれから五分しか経っていない」
「もしかすると、たかし坊ちゃんがなんとかしてくれたのかも」
 カオルとあすかはレンの言ったことに、納得した。亡霊、という不思議な存在だから、普通はできないこともできるのかもしれない。三人はひとまず、家に帰ることにした。疲れたし、両親に抜けだしたことがばれたら、怒られる。柱時計が三人の背を見送るように、ときを刻んだ
 あすかはムロマチの部屋から垂れている縄を登った。チョコレートを食べるような非常事態にはならなかったけれど、言うとおりにしておいてよかった、と心の底から思った。窓に足をかけると、ムロマチがベッドに座って雑誌を読んでいた。あすかに気がつき、顔を上げた。
「おお、おかえりあすか。ずいぶん早かったな」
 まだ興奮が冷めないあすかは、ムロマチのとなりに腰を下ろした。「ムロ兄、聞いてくれよ!」と、柱時計に吸いこまれたこと、その中で起こったすべてを話した。ムロマチは馬鹿にせずに、微笑みを浮かべて、あすかの話を聞いていた。
「なるほどねえ」
「なあ、ムロ兄。だれに聞いたら、さえこちゃんのことわかると思う?」
 ムロマチは腕を組んで、考えた。そして、ある人物が思い浮かんだ。
「清水のおばあちゃんなら、なにか知っているかもしれないな」
 清水のおばあちゃんは、あすかの家の近くに住んでいる。今年で九十四歳になるらしい。生まれも育ちも古美が丘町なので、町のことはなんでも知っている。
「うん、そうしてみる」
「まあ、とにかく寝な。母さんや父さんはもう寝たみたいだから、靴、しまってきな」
 ムロマチはあすかの頭をくしゃくしゃ、と乱暴になでた。あすかはその手を、少しうっとうしそうに払って、靴をしまいに行った。ムロマチにいろいろ話し、落ち着いたからだろうか。急に眠気が襲ってきた。あすかは眠い目をこすりながら、部屋に戻った。


 あすかは日が高く昇るまで、眠っていた。ちょうど起きたとき、電話が鳴った。あすかは、眠そうな声で電話に出た。
「はい、源です」
『お、もしかしてあすか?』
「ん。カオルか?」
『今から一時間後に、レンの家に集合な』
 あすかは朝ごはんとも、お昼ごはんともいえない食事を終え、レンの家に向かった。レンの家の道場からは剣道に励む生徒の声が、響いていた。道場を通り過ぎ、家のチャイムを鳴らした。レンが出てきた。すでにカオルは来ていて、レンの部屋で待っていた。あすかはムロマチからのアドバイスを、二人に話した。二人とも、賛成した。さっそく清水のおばあちゃんの家に、行くことになった。
 清水のおばあちゃんは、庭で花の手入れをしていた。腰は曲がっているが、動きはてきぱきしている。
「おばあちゃん、こんにちは」
 あすかが声をかけた。清水のおばあちゃんは手をとめ、三人を見た。
「あら、こんにちは」
「おれたち、おばあちゃんに聞きたいことがあるんです」
「おやまあ、そうなのかい?立ち話もなんだから、お上がり」
 清水のおばあちゃんの言葉に甘え、三人は家に上がった。かつては家族の靴であふれていたであろう玄関は、清水のおばあちゃんの靴だけだ。奥から「こっちだよ」と三人を居間に呼ぶ声がした。清水のおばあちゃんは、三人に席を勧めた。
「それで、聞きたいことっていうのはなんだい?」
「あの、旧古見屋敷のことを知りたいんです。ずっとこの町にいる、おばあちゃんなら、なにか知っているかと思って」
 レンがそう言うと、清水のおばあちゃんはなつかしそうに遠くを見て、昔を思い出した。
「古見さんのお屋敷はねえ、それはそれは大きなお屋敷だったのよ。たくさんの人がお屋敷で働いていたのよ」
「あの、そこに男の子はいましたか?」
「ええ、いたよ。体が弱くって、若くで亡くなってしまったんだったかしら」
「その男の子に、友達はいたんですか?」
「ああ、いたわよ。さえこちゃんっていう子で、わたしの友達でもあったんだよ。さえこちゃんはよく、古見さんのお屋敷に遊びに行っていてねえ」
 清水のおばあちゃんは、さえこちゃんについて、さらに詳しく話してくれた。
 さえこちゃんの叔母さんは、旧古見屋敷で女中をしていたらしい。叔母さんはある日、古見屋敷の主人……たかし坊ちゃんのお父さんに、息子と友達になってくれる子はいないか、と相談されたらしい。さえこちゃんは、叔母さんに旧古見屋敷に連れて来られ、たかし坊ちゃんと会った。それから何度も遊ぶうちに友達になったそうだ。しかし、両親の仕事の都合で、となりの県に引っ越すことになった。しばらく、清水のおばあちゃんは文通をしていた。しかし、その手紙も戦争で焼けてしまったらしい。なので、さえこちゃんの住所どころか、生きているかどうかもわからない。
「もしもできることなら、もう一度さえこちゃんに会ってみたいねえ」
 清水のおばあちゃんはぽつり、と遠くを見たまま悲しそうにつぶやいた。三人は、なにも言えなかった。
 清水のおばあちゃんの家から学校に行く途中にある公園で、三人は頭を抱えていた。子どもの楽しそうに笑う声が響いていた。結局わかったのは、さえこちゃんの素性だけだった。
「あーあー……。どうしたらいいんだろうなあ」
 カオルは、ジャングルジムの頂上で、ため息をついた。
「ほかにだれか知っていそうな人を、探すとか?」
「ほかっていってもなあ」
 レンはそう提案するが、あすかもカオルも、心当たりがない。三人は同時にため息をついた。
「あれ、滝田くんと皆川くん、源さんじゃない」
 三人は声の主のほうをふり返った。担任の高瀬先生だった。普段の動きやすい格好とはちがって、スカートをはき、ネックレスを身につけ、おしゃれをしていた。高瀬先生は、三人に歩み寄った。
「先生、こんにちは」
「こんにちは」
 カオルは、わらを掴む思いで高瀬先生に、さえこちゃんのことを尋ねた。
「先生、高木さえこちゃんって知らない?昔、旧古見屋敷に出入りしていた、女の子なんだ」
「生きていたら、清水のおばあちゃんくらいの年なんですけど」
 レンがつけ加えた。三人とも、高瀬先生の答えに期待していなかった。しかし、高瀬先生の答えは、予想外のものだった。
「高木さえこって……わたしの、ひいおばあちゃんの名前よ」
「えっ?」
 三人は驚きの声を上げた。結婚したから、名字が変わったのだろう。カオルたちは高瀬先生につめ寄った。
「先生、教えて!ひいおばあさん、さえこちゃんのことっ」
「おれたちどうしても、知らなくちゃいけないんです」
「おねがい、先生!」
 高瀬先生は、三人の勢いに思わず一歩退いた。みんな、真剣な目つきだ。高瀬先生は、まっすぐ見つめてくるカオルたちの意志の強さに負け、話すことにした。
「わかったわ。でもその前に、なんでひいおばあさんのことを知らなくちゃいけないのか、教えてくれる?」
 三人は互いに顔を見合わせ、先生にたかしぼっちゃんのことを話そうかどうか迷った。けれど、ようやく掴んだチャンスを逃してはいけない。真夜中に学校に忍びこんだことは内緒にして、三人はすべて話した。
「なるほどね……。立ち話もなんだから、ベンチに座りましょう」
 四人は、空いているベンチに座った。
「ひいおばあちゃんは、わたしがこの町に来ることが決まった直後に、亡くなったの。だから、三年ほど前ね。そのときに、たかしくんっていう子の話を聞いたわ。それがきっと、あなたたちが出会った、柱時計の亡霊なのね」
「先生、教えてください。なんで、ひいおばあさん……さえこちゃんは、たかし坊ちゃんに黙って、引っ越してしまったのか。たかし坊ちゃんのことは、友達と思っていたんですか?」
 高瀬先生は一度深呼吸をして、話してくれた。
「ひいおばあさんは、ずっと柱時計の亡霊……たかし坊ちゃんのことを気にしていた。お別れの日が近づいてきても、なかなか言えなかった。たかし坊ちゃんと遊ぶのが楽しくて。引っ越さなくてもよくならないかっていう小さな希望を持って。言おうとすると、胸がはりさけそうなくらい、悲しくてつらかった、って」
 三人は、もしも自分が同じ立場ならどうするか、想像した。きっと、さえこちゃんと同じように、なかなか引っ越すことを話せないだろう。それでも、悲しみと寂しさを心に押しこめて、別れの日を告げるだろう。笑顔で、手を振って別れるために。
 さえこちゃんは、たかし坊ちゃんのことを友達だと思っていた。亡くなるときまで、ちゃんとお別れできなかったことを、後悔していた。けれど、カオルたちの言葉を信じてくれるだろうか。
「そうだ。たしか、ひいおばあさんが書いた日記が実家にあったはずだわ。もしかすると、たかし坊ちゃんのことも、なにか書いているかも」
 高瀬先生はふと、思い出した。日記があれば、たかし坊ちゃんも納得するだろう。
「先生。その日記、借りてもいい?さえこちゃんの思い、たかし坊ちゃんに伝えたいんだ」
「おねがいします、先生」
「おねがいしますっ」
 三人は立ち上がり、頭をさげた。高瀬先生は少し慌てて、カオルたちに頭を上げるように言った。
「わかったわ。実家に送ってもらえるように頼んでみるわ」
 三人は先生にお礼を言った。先生は「それじゃあね」と言って、公園を去った。カオル、あすか、レンは互いに顔を見合わせた。事態が進展したことを喜んでいるカオルとレンの目は輝いていたが、あすかの目は少しくもっていた。


 公園で二人と別れてから、あすかは家に帰って真っ先に、ムロマチの部屋に向かった。ノックをして、ドアを開けた。
「ムロ兄、今いい?」
「ん?どうした、あすか」
 ムロマチは読んでいた雑誌を閉じ、いすを回転させあすかのほうを見た。あすかはベッドに座って、さえこちゃんの日記の話をしてから、心のもやもやを吐き出しはじめた。
「なあ、ムロ兄は男子と女子がずっと友達でいられると思う?」
「んー。おれは、いられると思うよ。あすかは、どう思う?」
「オレは、いられると思っていたよ。でも、たかし坊ちゃんに、いろいろ言われたりして、わかんなくなった。
 それに、こわいんだ。もし、さえこちゃんの日記に、男子と女子は友達になれないってことが書いていたら。オレたちの関係を否定されたら、どうしようって」
「じゃあ、ちょっと考えてみようぜ。もしも、あすかが男子で、カオルとレンが女子だったら、どうだ?友達にならなかったと思うか?」
 あすかは迷わず首を横にふった。もし二人が女子でも、ゲームや一輪車などでいっしょに遊ぶだろう。周りが、からかうかもしれないけれど、そんなことは関係ない。そう思った。
「ほらな。たしかに、たかし坊ちゃんが言ったことが、心のどこかにあったかもしれない。
でも、あすかは男子だから、二人と友達になったんじゃないだろう?カオルとレンだから、親友になった。もうだいじょうぶだ。こうやっておれに話して、心の整理ができただろう?」
 あすかはうなずいた。たかし坊ちゃんに捕まったとき、カオルは言ってくれたではないか。あすかだから友達になったんだ、と。あすかは心が軽くなった。自然と笑みが浮かんだ。
「ありがとう、ムロ兄。亡くなるときまで、たかし坊ちゃんのことを気にしていたんだ。さえこちゃんが、日記にそんなこと書くはずないよな」
「そうだそうだ。だから、不安になることなんてない」
 そのすっきりとした表情を見て、ムロマチも安心した。雑談をして、あすかは自分の部屋に戻った。その目は、カオルやレンと同じように、輝いていた。


 数日後の放課後。高瀬先生からさえこちゃんの日記を借りた。表紙やページはぼろぼろで、持っただけでばらばらになってしまいそうだ。高瀬先生には必ず返すこと約束した。高瀬先生は職員室へ行ってしまったが、三人はその場で、日記を読み始めた。適当なページをめくる。日常のことを書いていることが多かったが、たかし坊ちゃんの名前が時折出てきていた。手紙のように書いている日もあった。
『たかしくん。わたしは、今でもあなたに謝らなくっちゃいけないと思っています。友達だったのに、きちんとお別れもできなかった。何度かお手紙を書こうかと思ったけれど、なにも言わずに去った自分がそんなことしていいのか、わからなかった。……ううん、きっとちがう。たかしくんに嫌われるのが、絶交されるのがこわかった。ごめんなさい、たかしくん。……』
 文章はまだ続いている。
「これ、絶対たかし坊ちゃんに見せなくちゃ」
 あすかがぽつり、とつぶやくと、カオルとレンは静かにうなずいた。
 土曜日の深夜。三人は同じやり方で、学校に忍びこんだ。柱時計の前に立ったが、不思議と前のような不気味さは感じなかった。三人は声をそろえ、初めて柱時計の中に入ったときと同じ言葉を言った。
「亡霊さん、遊びましょ」
 鳴らないはずの鐘の音と、強い光が三人を襲った。辿りついたのは迷路ではなく、たかし坊ちゃんが待っている柱時計のある部屋だった。たかし坊ちゃんは柱時計をじっ、と見つめて、思いをはせているようだった。
「来たぜ、たかし坊ちゃん」
 たかし坊ちゃんはカオルたちのほうを振り向いた。カオルは、さえこちゃんの日記を目の前の亡霊に渡した。
「さえこちゃんは、三年前に亡くなったんだ。これが、さえこちゃんが書いていた日記。付箋がついているのが、さえこちゃんの思いが書かれているページ。読んで」
 たかし坊ちゃんはそっ、と付箋がついたページを開いた。さえこちゃんの心のさけびが、書かれていた。ごめんなさい、もっといっしょに遊びたかった、友達だったのに。そんな言葉がたくさん書かれていた。たかし坊ちゃんのページをめくる手がぴたり、と止まった。
「ぼくは、さえこちゃんもつらかったなんて、思いもしなかった。勝手に友達じゃないから、お別れしなかったんだと思いこんで……。友達だから、言いだせなかったって……」
 たかし坊ちゃんの目から、まるでせきを切ったようにぼろぼろ、と涙があふれた。
「ぼくこそ、謝らなくっちゃ。ごめん、ごめんね、さえこちゃん……。会って、謝りたいよ……」
 力強く日記を抱きしめて、たかし坊ちゃんは泣いた。そのとき、柱時計が光った。強い光に三人だけでなくたかし坊ちゃんも、とっさに目を閉じた。恐る恐る目を開いてみると、そこには一人のおばあさんがいた。どこかさえこちゃんと似ている。
「もしかして……たかし、くん?」
 おばあさんは、尋ねた。たかし坊ちゃんは、ぎこちなくうなずいた。
「さ、さえこちゃん?」
 おばあさん、さえこちゃんは涙を流しながらうなずいた。二人はかけよって、再会できた喜びから手をとり合った。
「さえこちゃん、どうしてここにいるの?」
「柱時計が、あたしたちの思い出の柱時計が導いてくれたの。ここでよく、迷路の絵本で遊んだわよね。ああ、またたかしくんに会えるなんて、思ってもみなかった!」
「ぼくもだよ!さえこちゃん、とても長生きしたんだね」
「ええ、ひ孫の顔まで見たわ。たかしくんは、若くして亡くなったのね……」
「うん……」
 一瞬、間が空いた。さえこちゃんは勇気をふりしぼって、口を開いた。
「ごめんなさい、たかしくん。あたし、たかしくんに黙って引っ越してしまって。ずっと、後悔していたの。今更って思われるかもしれないけれど……」
「さえこちゃん。ぼく、さえこちゃんの日記を読んだんだ。そこの子どもたちが、届けてくれた。ぼくこそ謝らなくちゃいけない。ぼくは、さえこちゃんは友達だと思ってくれていないから、なにも言わずにいなくなって、それをなんとも思っていないと思っていた。ぼくは、自分のことしか考えていなかった。さえこちゃんがどんな気持ちか、考えようともしなかった。ごめん、さえこちゃん」
 二人は、涙を流しながら笑い合った。あすかはそれを見ていて、胸の中のしこりが、小さくなっていくのを感じた。二人は、カオルたちのほうを振り向いた。
「本当にありがとう。きみたちのおかげで、またさえこちゃんと会うことができた。……友達に戻ることができた。この日記は、返すよ」
「彩にもよろしく言っておいてちょうだい。ありがとう、子どもたち」
 カオルが日記を受けとると、強い光が、三人を覆って、柱時計に吸いこまれた。最後に見たたかし坊ちゃんとさえこちゃんは、子どものころに戻ったような、無邪気な笑顔を浮かべていた。


 三人は、学校に戻ってきた。今回はカオルが一番下になった。レンとあすかにどいてもらい、日記が破けていないか確認した。運がいいことに、どこも破けていないようだ。
「あー、よかった。たかし坊ちゃんと、さえこちゃんが再会できて」
 カオルがそう言うとレンとあすかも、うなずいた。
「そうだな。まったく、カオルに付き合うといつも大変な目に合うんだ」
「へへ。まあ、いいじゃんか。おもしろかったし」
 そんな風に笑いながら、カオルとレンは歩きだした。レンはあすかがついてこないことに、気づき後ろをふり返った。
「どうしたんだ?あすか」
 カオルも立ち止まって、あすかを見た。あすかはうつむいたまま、口を開いた。
「前にたかし坊ちゃんが、オレに女子じゃ、仲間はずれになれるかもしれないと思っているから、こんな話し方なんじゃないかって、言ったこと覚えているか?……もしかしたら、心のどこかでそんな風に思っていたのかもしれない。こわかったんだ。カオルやレンと、いっしょに遊べなくなる日がくるんじゃないかって。だから、男子になったらずっといっしょにいられるんじゃないかって……」
 カオルはつかつか、とあすかに近づき、デコピンをした。ぺちんっ、といい音が廊下に響いた。予想していなかった痛みにあすかは、額を押さえながら、カオルをにらみつけた。
「いってえ……。なにするんだよ、チビ!」
「チビ言うな!柱時計の中でも言ったけどさ、おれたちは『あすか』だからいっしょにいて、楽しいんだ。話し方や仕草が男子だろうが、女子だろうがそんな小さいことはどうでもいいんだ。源あすかだから、友達になれたんだ」
 鼻息が荒くして、カオルは言った。少し怒っている。「そうだ」とレンもあすかに近づいた。
「カオルの言うとおり」
「うん、わかっている。でも、言っておきたかったんだ。二人なら、笑わずに聞いてくれるって思ったから」
 あすかは憑きものが落ちたようにすっきり、とした表情で言った。レンはカオルを見下ろしながら言った。
「あすか。考えてみろよ。おれだけじゃあ、カオルの無茶につき合いきれない」
「おい、レン。なんだよそれ。どういう意味だよ」
 よくあるやりとりが始まり、あすかは自然と声を出して笑っていた。不安になったり、悩んでいた自分がばからしくなった。
「カオル、レン」
「なんだよ」
「なんだ」
「ありがとう」
 カオルは照れたように視線をそらし、レンはにっこり、微笑んだ。レンが歩きだした。
「じゃあ、帰るか」
 続いてカオルも歩を進めた。
「そうだな。おれちょっと眠くなってきた」
「やーい、お子様ー」
 今度は、あすかもいっしょに歩き始めた。あすかがからかうと、カオルはむきになって言い合いが始まった。あまりにも声が響くので、レンが二人を注意した。いつもどおりだ。変わっていない安心感から、三人は顔を合わせて笑って、帰った。
 月曜日に三人は、高瀬先生にさえこちゃんからの伝言を、伝えた。高瀬先生は「心配性なんだから」と困ったように笑っていた。
 それからさらに一週間後、七不思議である柱時計の亡霊の話が、少し変わった。亡霊が時計の中に引きずりこむ、という内容が、亡霊とその友達が仲良く生徒たちを見守っている、となったのだ。実際に見た人が何人かいるらしい。どうしてそうなったのかわからない子がほとんどだ。その話が出るとすべてを知っている三人は目を合わせて、ひそかに笑みを浮かべるのだった。
 これから先、離れ離れになる日がいつか来るかもしれない。けれど、会えばこうやって、何気ないやりとりをして、大きな声で笑うだろう。三人の心は、いつまでもいっしょなのだから。


                 終わり