おばあちゃんと妖精のブローチ

 五月のやさしい太陽の光がまるでみんなを起こすようにふり注いでいます。
 そんな朝日の中、草野なつめはサンダルをはいて庭に出ました。一度のびをしてから、いつものようにじょうろに水を注ぎます。たぷんっと音を立てながら、なつめは花だんの前に立ちました。
「おはようみんな。さあ、朝ごはんだよ」
 なつめはすべての花だんの花や木に水をやりました。食事をもらえた花たちは背筋がのびて元気になったように見えます。
 水やりを終えたなつめは雑草を抜いたり、庭で実っている真っ赤なイチゴをとったり、弱っている植物がないか見ていました。
「あなたたちが好きだよ。……みんなやさしいもん」
 そうつぶやくなつめの顔にかげが落ちました。
 五か月ほど前、小学生になって三回目の冬休みが近づいてきた日のことです。なつめはおばあちゃんの家に、たった一人で電車に二時間ゆられてやってきました。家には書き置きをして。おばあちゃんはひどくおどろきました。
 なつめはいじめられていました。クラスの子たちだけではなく、先生からも。なつめのまわりには味方なんていませんでした。苦しい中助けてくれて今おだやかにいられるのはおばあちゃんのおかげでした。
 そのときキッチンからおばあちゃんのおっとりとした声がしました。
「なつめー、朝ごはんできたよお」
「はーい」
 なつめはぱっと顔を上げて返事をしました。かごにたっぷり入ったイチゴをかかえて家の中に入ろうと立ち上がったとき、ふとサンザシの木の根元が目に入りました。そこには白くて小さなきのこがいくつも生えていました。このごろ雨が続いたからでしょうか。なつめはきのこに近づきました。
「へえ、丸く生えてるのなんて初めて見た。おばあちゃんに教えてあげようっと」
 なつめは家の中にもどりました。
 テーブルの上にはごはんとしゃけの塩焼き、具だくさんのおみそしるが湯気を立ててならんでいました。小ばちのお皿にはほうれん草のおひたしまで用意されています。お母さんのごはんは洋食ばかりだったので、おばあちゃんのつくる和食は新鮮ですぐに好きになりました。それにお料理上手なので洋食も中華料理もつくれます。
 手をあらっておばあちゃんとむかい合う形で座り、いただきますをしました。おばあちゃんはなつめとご飯を食べられることがうれしいらしく、今日も目を細めています。雪のように真っ白な髪はなつめと同じくらいつやつやで健康そうですが、手や首まわりはしわが多く見えます。
「庭の様子はどうだった?」
 おばあちゃんはゆっくりはしを運びながらなつめにたずねました。
「みんな元気だったよ。イチゴもたくさん生っててさっき台所につんだやつ置いといたよ」
「ああ見たよ。ありがとうね。あれだけあるんならジャムでもつくろうかねえ」
「やったあ!」
 なつめはおばあちゃんのイチゴジャムももちろん大好きです。あまずっぱくって、実がごろっとのこっていておいしいのです。
「そうだおばあちゃん。あとね、サンザシのまわりにきのこが丸く生えてたんだ」
「おや、めずらしい。それは妖精の輪っていうんだよ」
 なつめが「妖精の輪?」と首をかしげるとおばあちゃんは教えてくれました。
「フェアリーサークルやきん輪(りん)とも呼ばれていてね。妖精たちが輪になっておどったあとだと言われているんだよ」
「へえ。おとぎ話みたい」
「そうだねえ」
 おばあちゃんは庭のほうを見つめました。そして「そうかい、来てくれたのかい」と小さくつぶやきました。その顔は楽しい日々に思いをはせているようにも、さみしそうにも見えました。なつめはおばあちゃんのこんな顔を初めて見て、なんだかむねがざわざわしました。
「そうだそうだ、なつめ。食事中にぎょうぎが悪いけど、わすれない内にわたしておくね」
 そう言ったときにはいつものおだやかなおばあちゃんにもどっていました。おばあちゃんの手にはふうとうがありました。
「なに?」
 なつめはしゃけのさいごのひときれを口に運びながら、おばあちゃんからふうとうを受けとりました。それは手紙で差出人はお母さんでした。おばあちゃんの家にきてから一週間か二週間に一回こんな風に手紙がとどきます。お父さんも一か月に一度か二度は手紙をくれます。
「ありがとう」
 朝ごはんを食べ終えたなつめはあとかたづけをして自分の部屋にもどりました。ベッドに腰かけ手紙を開けました。そこにはお母さんの仕事場であるカフェの前に猫がやって来たこととか、新作のデザートを考えているなど書かれていました。ほかにはなつめの体調を気づかう文章がならんでいました。
 手紙を読みながらよみがえってくるのは、おばあちゃんの家にきてすぐのことでした。なつめがいじめられていたことをおばあちゃんからの電話で知ったお母さんは、仕事を休んで、お父さんもわざわざ単身ふにん先からやって来ました。お母さんはなつめに根ほり葉ほり尋ねました。しかしなつめは語ろうとすると、口やのどが急にこわばったのです。そして心は苦しい、つらいという感情に支配されなにも言えなくなるのでした。それでもお母さんは「おねがい、教えてっ」と何度も聞いてきました。なつめも話したくても話せず、次第に大きななみだをこぼしました。
「もうおやめ。こんななつめ、見ていられないよ。心配なのはわかるけれど、いいかげんにおし」
 おばあちゃんのつるの一声でお母さんはその場はおさまり、お母さんもお父さんも一度帰りました。
 しかしその後、お母さんは一週間に一度はこちらに来て、そのたびにいじめられていたときのことを尋ねられました。そして必ずなつめはしゃべられなくなりました。ついにおばあちゃんがおこりました。
「今のなつめには休むことがいちばんの薬だよ! これ以上なつめにいやだったことを思い出させるなら、こっちに来るのをやめておくれっ」
 なつめははじめておばあちゃんがどなるところを見ました。なんとなく言いすぎのような気もしたけれど、どこかほっとしたのも事実でした。
 その後おばあちゃんとお母さんは別の部屋で話し合いました。なつめが話そうと思えるまでなにも聞かないのなら、会ったり電話をしてもいいということになりました。しかしお母さんは「きっとその場だと聞いてしまいそうになるから」とあえて手紙を選んだそうです。
「お母さん、元気そうでよかった」
 なつめはしずかに手紙をふうとうにしまいました。
午前中は勉強をしてすごします。それはおばあちゃんの家にしばらくいると決まったときに「知識はなつめ自身を助けてくれるんだよ」と言われたからです。教科書を見ると学校のことを思い出してしまうので、本屋さんにドリルなどを買いに行きました。
 それが終わってお昼ごはんを食べたあとは、好きなように時間をすごします。庭に出て植物たちに話しかけることもあれば、おばあちゃんの本を読むこともあります。
 今日は庭でぼうっとすることにしました。縁側から庭用のスリッパをはき、小さな花だんと花だんのあいだにあるいすにこしを下ろしました。ホームセンターで売っているような青銅色の丸いもので、なつめのお気に入りです。
 さあっとそよ風がなつめのほほをなでます。太陽の光は夏に近づいていますが、それでもかすかに春の気配がのこっていました。
「……ずっとここにいたいな」
 ぽつりとつぶやきました。学校にくらべてここは天国のようです。クラスの意地悪な男の子たちのように黒板に『花だんあらし!』や『根暗女』と書かれるようなことや、理科の時間に先生から「草野さんは自習しておきなさい。また花だんやはち植えがぐちゃぐちゃになったらいけませんからね」とひとり教室に残されることもありません。
「わたし、花だんあらしなんてやってないのに……」
 なつめはうつむいていすの上で自分を守るように丸まりました。なつめの頭の中ではすべてのはじまりとなったできごとが勝手に再生されて、じんわりとなみだがにじみました。
 学校に行っていたとき中庭は毎日訪れた、なつめの居場所でした。しかしだれかの手によって、そこの花だんがすべてあらされていました。それを最初に発見したのはなつめでした。しかし後日なつめが犯人だと決めつけられてしまったのです。それも担任の先生に。
「なんで? わたしが犯人じゃないってわかったのに……なんで、だれもごめんって言ってくれなかったの?」
学校に行くこともいやなことを思い出すのも、なつめにとってするどい刃で心をズタズタにきずつけられるようなものでした。
 もう一度風がふきました。花たちがあまいかおりをただよわせながら『だいじょうぶ?』『元気だして』となぐさめてくれているような気がしました。

 その日、ばんごはんを食べたあとなつめはおばあちゃんに呼ばれました。おばあちゃんの部屋は階段を上がってすぐにあります。なつめはコンコンッとノックをしました。すると中から「お入り」とおばあちゃんの声がしました。
「おばあちゃん、どうしたの?」
 おばあちゃんはおいでおいでをしました。
「手をお出し」
「えっと、こう?」
 なつめは水をすくうように両手を差し出しました。おばあちゃんはそのしわがれた手でなつめの小さな手になにかをのせました。それはブローチでした。金でできていて、まんなかには大きなルビーがはめこまれています。それを太陽のようなギザギザもようが囲んでいて、ギザギザの内側にはエメラルドのかけらがならんでいます。
「きれい……」
「そうだろう? このブローチはあるお方がくださったものでねえ。でも……もう使わないつもりでね。
それでなつめ、おねがいがあるんだよ」
「なに?」
「このブローチをくれた方のところに返してほしいんだ。ほんとうはワタシが返すべきなんだが、近ごろどうにも足や腰が痛くって、かがんだり遠くまで行くのはちょっとつらくてねえ。そろそろ一階の和室にでも部屋を変えようかねえ」
 おばあちゃんはそう言ってひざをさすりました。
「いいよ。でもだれに返せばいいの?」
 おばあちゃんはにんまりと笑って「身につけていれば、そのうちにわかるよ」とだけ答えました。なつめがどれだけ教えてほしいと言っても、おばあちゃんはほほえんだまま首を横にふるだけでした。