怪盗ブルーバタフライと沈んだロータス号

 ケントがオーシャン美術館の幽霊の話をしてから二日。子どもの家ではオーシャン美術館で新たな幽霊の目撃情報が出た、と話題になっていた。ちなみに今回はケントではなく、別の子がこの話を持って帰ってきた。先日のケントのときにはこわがっていた年少組の子たちの一部は、今では興味津々で年長組の子たちが帰ってくると「幽霊見かけた?」「幽霊の話聞いた?」と尋ねてくる。人数にすると五人くらいだ。その日、年少組が寝ついたころ、ウィズに年長組全員が呼びだされた。
「何人かはオーシャン美術館の幽霊にすごく興味を持っている。それは別にいいけれど、行方不明者の件もある。年長者もふくめて全員、あのあたりで仕事をするのはやめておいたほうがいいと思うんだ。どうだろう?」
「でもあのあたり結構羽振りいいんだぜ。不足分どうするんだよ?」
 そんな風に言ったのは、よくオーシャン美術館の周りでくつ磨きをしている男子だった。
「それに煙突掃除もあのあたりだけ断るなんてできないよ。次からの仕事が来なくなる」
 今度は煙突掃除をする子たちが言った。ウィズは考えているようだった。
「でも行方不明になったら元も子もないじゃないか」
 ウィズの言葉はもっともだ。しかしさっき反論した子たちの言うこともまちがっていない。
(くそ、こんなときに大金を持ってきたら不自然だし、なによりアジトに行くタイミングがない。なんとかできればいいんだが……)
 この日結局年長組の中で答えは出なかった。毎日話し合いをしても同じだった。
 しかし五日目の夜、話し合いのあととんでもないことが起こった。
「大変っ、年少者の何人かが寝室にいないっ」
 答えが出ない話し合いを終えて年少組の部屋に様子を見にもどった数人が言った。
「えっ」
「トイレとかじゃなくて?」
「確認したけどだれもいないの」
 いなくなったのはオーシャン美術館の幽霊について興味を持っていた五人だった。
「まさか、オーシャン美術館のほうに行ったんじゃ……」
 何人か、とくに女子が顔を青くしていた。年長組の女子はこの子どもの家では母であり姉のような存在だ。いなくなった子たちを一層心配していた。
「とにかく探そう。女子は家で待機。男子は二人もしくは三人一組になって分かれて探そう。見張り当番も家にいてくれ」
 ウィズもふくめ子どもの家の年長組男子たちはいなくなった子たちを探しに行った。モルはケントに声をかけた。
「おい、ケント。おれたちも行こう」
 ケントはうなずいた。二人は子どもの家を出てオーシャン美術館にまっすぐむかった。
「あいつら、ただでさえ年少者は夜出歩くなって言ってんのに」
 町の表側は明るく、酒でごきげんな観光客や遅くまで開けている店で買い物を楽しんでいる人たちもいた。
 モルたちはオーシャン美術館に着いた。入口までの道のりはランプで灯されているが幽霊の存在がうわさされている今では、かえって不気味に見える。
「まさか館内にはいねえとは思うけど……」
 ケントがそんな風に言ったとき、オーシャン美術館の入口のそばから悲鳴が聞こえた。声は幼い。
「まさかっ。ケント、行くぞ」
「おうよ」
 モルとケントは声がしたほうまで走った。するといなくなった五人がこちらに向かってきた。モルとケントの姿を確認した五人は大声で泣きだした。
「モルぅっ」
「ケントぉお」
「幽霊いたあ」
「ほんとうだよー、いたんだよおう」
「こわかったああ」
 モルとケントは五人をだきしめて落ち着かせた。
「よし、全員帰るぞー」
 ケントが前をモルが後ろを、そのあいだに抜け出した年少組の子たちの三列で帰ろうとしたそのときだった。
『待って……。おねがい、待って。話を聞いてっ』
 若い女性の声だ。モルははじかれたようにふり返った。
「だれかいるのかっ。だいじょう……」
 モルは心臓がつかまれたような思いだった。目が合ったのはたしかに女性だった。しかし全身はずぶぬれで、体がすけて真っ暗な道にランプが灯っているのが見えた。
(オーシャン美術館の幽霊っ)
 モルは体のむきを変えてにげようとした。しかし体がぴくりとも動かない。
(なんだ、これ)
 モルは冷や汗が流れるのがわかった。うわさの幽霊はモルをまっすぐ見つめていた。そしてゆっくり口を開いた。
『ここにいろんな人がさらわれて、連れてこられているの。だからどうかその人たちを助けてあげて』
 そばにいないはずなのに声がはっきりと聞こえた。その声は流れているうわさのわりにはなめらかで上品でおそろしさは感じられなかった。幽霊は言いたいことを言い終えたのか、すうっと闇に消えた。するとその場にしばりつけられていたかのようなモルの体は容易く動けるようになった。
「な、なんだったんだ? 今の……」
「おい、モルー。なにしてんだよー、行くぞー」
 ケントに呼びかけられてようやくモルは現実に帰ってきた。年少組五人は不安そうにモルを見ていた。
「お、おう。悪い」
 モルはケントたちの元にかけつけた。
(なんで幽霊がわざわざあんなことを……。うわさに出てくる幽霊とは別、ってことはないか。そんなにぽんぽんいるわけないし。……いろいろ確認してみる必要があるよな)
 モルは前にいる年少組の子たちの背中をさすりながら思った。

 子どもの家に帰ると、抜け出した年少組の子たちはウィズをふくめた数人の年長組に怒られた。年少組の子たちは「ごめんなさい」としおらしく謝っていた。五人はばつとして、一カ月トイレ掃除と食事当番をすることとなった。このことがきっかけで答えが出なかった話し合いは、当分オーシャン美術館方面には近づかないことが決まった。
 次の日、モルは深夜に一人抜け出した。仮面もなにもつけずに。むかったのはもちろんオーシャン美術館だった。オーシャン美術館の入口前に立つと昨日の女性の幽霊が姿を現した。金髪で左の薬指には金色の指輪をしている。指輪はサファイア、ダイヤモンド、ルビーの三つぶが大きくて目を引く。しかしその指輪にはネグリジェというラフで不つり合いなかっこうだ。
「あんた、なにものなんだ? なんで人がさらわれたことを知ってるんだ」
 女性はゆっくり口を開いた。
『わたしの名前はフローラ。ロータス号に乗っていたものです。というよりロータス号の処女航海のきっかけであるものです』
「ロータス号って、今展示かなんかしてるやるだろ?」
『ええ、そうです。あの船は決して引き上げられてはいけなかったのです……』
 フローラは下くちびるをかむような仕草をしながら説明を続けた。
 百年前、一艘の船が処女航海をすることとなった。それがロータス号だ。ロータス号のオーナーであるフローラの父は彼女の結婚式をロータス号で行なうことにした。むすめのフローラはそれに従った。
 結婚相手は親同士が決めたが、やさしくおだやかな人がらで運よくたがいに愛し合うことができた。港を出て次の日に式が行われることになっていた。
『次の日にはめるのに、結婚指輪を一足先にはめ合いっこをしたり。どきどきしたけれどおだやかな時間でした』
フローラは指輪をなでながら言った。
しかしそんなときにそれは起こった。船が座礁して沈んでしまったのだ。結婚相手の男性とともににげているときに、男の子と出会い三人でにげることとなった。
『船がかたむき、どんどん人が深くて冷たい海の中に落ちて行きました。悲鳴、助けを求める声。けれどその声にわたくしたちは答えられなかった、いや、答えなかった。助かりたいって思いでいっぱいでした。そんな中、一人の男の子が泣いて立ちつくしていました。彼はその男の子を抱きかかえてともににげました。水の圧力でガラスは割れ、すき間というすき間からは勢いよく入ってきた海水。彼はわたくしのことも男の子も決して見捨てず、助かる方法を常に考えてくれていました。
 わたくしたちは上を目指しました。階段やはしごを使って。体にからみつくぬれた衣類。普段ならわかるその不快さよりもずっと命のほうが大切でした。そのとちゅうのはしごでわたくしは一人の少女に足をつかまれました。そしてこう言われました。『どうしてっ。どうしてこんな目にあわなくちゃいけないの。あたし、まだだれかを好きになったこともないのに。なんであんたはまだ生きてんのよ』と。……もうすぐでそこは水でいっぱいになってしまいそうでした』
 フローラは悲痛な面持ちできゅっとネグリジェの胸元をにぎりしめた。
『そのときわたくしは決めました。すべてを引き受けよう、と。亡くなった方々の悲しみ、憎しみ、うらみ、すべてを。そしてわたくしは自らはしごから手を放し、深い深い海の中へ落ちたのです。
 命を落としてからわたくしは、船とともに沈んだ方々に謝ってまわりました』
「なんでだよ、座礁とあんたは直接関係ないだろ?」
 話を聞いていたモルは思わず口をはさんでいた。モルの言葉にうなずきながらもフローラは答えた。
『けれどわたくしが結婚式を開かなければ、船に乗ることのなかった人は大勢いました。だから……わたくしのせいでもあるのです。それに見捨ててしまった人がいたことも事実。だからわたくしは謝らなくてはいけなかったのです。
 わたくしは沈んだ人々に謝って回りました。あなたのようにわたくしのせいじゃないと言ってくださった方はすぐに天へと昇りました。なかなかわたくしをゆるしてくださらない方々もたくさんいました。なじられもしました。でも当然だとわたくしは思っています』
「当然じゃないだろ。絶対にあんたのせいじゃない」
 モルがそう言うとフローラは『ありがとう』とほほ笑んで話を続けた。
『年月が経つごとに天に昇っていない魂たちはよどみ、にごっていきました。わたくしが謝りに行っても人の姿をとっていない方、ずっと助けてと言い続けている方。そこは……地獄のようでした。
 しかし先日ロータス号が引き上げられたとき、多くの方々が助かったと思ったのか、海の底から出たいという念願がかなったからなのか、天へと昇っていきました。もちろん、それはとてもいいことなのです。しかしここの主の方はロータス号を利用して人をさらっているのです』
「ロータス号を利用して?」
『ええ。展示を見ている最中の人を、かくし扉を利用して強引に連れ去るんです。もしくはこの周辺を歩いている人をねらって地下へさらっているようです』
「地下に? 目的はなんなんだ?」
『わかりません。ただわたくしはロータス号をこのようなことに使われたくないのです。それに……あそこには最後の一人がいるんです』
「最後の一人?」
 フローラはこくんとうなずいた。
『天に昇っていない最後の魂。わたくしに怒りをぶつけてきた、わたくしにすべてを背負う覚悟をするきっかけとなった少女です。名前は存じ上げません。ただ、お父さまの仕事関係のご家族でしょう。その方はロータス号が引き上げられ、ここに展示されてから自分の花むこを探しているのです。すてきだと思う男性を探しているのです』
「なんでまたそんなことを」
『彼女はわたくしにこう言いました。『あたし、まだだれかを好きになったことないのに』と。彼女にとってはすてきな男性と恋をして、結婚をすることが天に昇るようになる条件なのかもしれません。けれど、それはできません。だってわたくしも彼女ももう、死んでしまっているのですから』
 フローラはオーシャン美術館を見た。モルもつられるように建物をながめる。話を聞いたあとのオーシャン美術館からは黒いオーラに似たものが見えるような気がした。
『どうか、地下に閉じこめられている人々を助けてください。そしてできれば彼女も……。これ以上だれにも苦しんでほしくないのです。これ以上父がつくらせた船でつらい思いをする人を増やしたくないのです』
 モルはだまった。そしてぽつりと言った。
「おれは正直知らないやつがどうなっていようがどうでもいい」
 フローラの表情がしずむ。「だが」とモルは言葉を続けた。フローラは顔を上げた。
「あんたがロータス号のめいよを、ほこりをとりもどしてほしいっていうんなら話は別だ。どうなんだ?」
『わたくしは……ロータス号のほこりをとりもどしたいです。あの船に魂というものがあるのなら、そう望むでしょう』
 モルはにっと笑った。
「ほんとうは裏街のやつら以外からはうけないんだが、今回は特別だ。この俺が……怪盗ブルーバタフライがあの船のめいよとほこりをとりもどしてやる」
 フローラは両手で口をおさえて驚いていた。モルの目は星よりもぎらついていた。