七不思議と三人の冒険 03

図書室の女の子

 ミーン、ミーン、というせみの声のせいで、暑さが増しているような気がする。ひたいから流れる汗を左手でぬぐいながら、レンは思った。右手には水着と宿題が入ったビニールバッグを持っている。今は夏休みだ。けれど、七月中は学年開放プールがある。時間割りのように日時が指定されている。今日の三時間目が、レンたち五年生が泳ぐ日だ。自由参加なので来ない生徒もいる。プールに入る場合は、一時間前にきて宿題をしなければいけないのだ。宿題をするのがいやな子もいれば、塾などの都合で来ない子もいる。今日はさらに、プールのあとに図書室でカオルとあすかの三人で宿題をする。というのは、半分建前だ。もう半分は学校の七不思議である、図書室の女の子について下調べするためだ。
 レン、カオル、あすかの三人は学校の七不思議が本当なのか確かめているのだ。
 柱時計の亡霊、真っ赤な桜、放課後の荻野先生、五年六組の教室、図書室の女の子、真夜中に聞こえるピアノ、踊り場の大鏡。
 その中で三つ……柱時計の亡霊、放課後の荻野先生、五年六組の教室は解明済みだ。放課後の荻野先生と五年六組は元々違う名前の七不思議だったが、三人が解明したことで今の名前になった。
 今回解明するのは図書室の女の子。図書室にいる恥ずかしがりの女の子幽霊で、めったに人の前に現れないらしい。そのためその女の子がどんな女の子なのかわからないのだ。少しでも手がかりがほしいので、実際に図書室に行くのだ。ちなみに、もう半分はカオルの宿題を少しでも終わらせるためだ。カオルは毎年宿題を夏休みの最後まで溜めこんで、レンやあすかも手伝うことになるのだ。
 校門が見えてきた。別の学年が楽しそうに笑い声をあげ、プールに入っていた。レンは、一時間後のプールを楽しみにしながら教室に向かった。

 プールでおもいきり泳ぎ終えたカオル、レン、あすかの三人は図書室に向かっていた。三人ともまだ髪が少し濡れている。
「なあ、本当に宿題するのか?」
 カオルがいやそうに尋ねた。二人は静かに首を縦に振った。カオルはプールの前の勉強時間で、宿題を終わらせた気でいるのだ。
「だってまだドリルも残っているし、読書感想文なんて手すらつけてないだろ?」
 あすかの鋭い指摘にカオルは返す言葉が、なかった。あすかとレンは、夏休みが始まる少し前から、夏休みの宿題を終わらせてきたのだ。
「オレ、太宰治の走れメロスか宮沢賢治の銀河鉄道の夜で迷ってんだよなー。ムロ兄とクラ兄のおすすめだって」
 あすかには二人の兄がいる。上の兄がムロマチ、下の兄がカマクラという。あすかが読書感想文の本に迷っていると知った二人は、なん冊か自分が好きな本を貸してくれたのだ。
「それに、算数のドリルは全然終わってないだろ。毎年のことだし」
 レンにはお見通しだった。言い逃れできない状況だ。カオルは観念して一緒に図書室に向かった。
 図書室には貸し出しをする図書委員のほかにちらほら、と生徒がいるだけだった。この静けさがカオルは苦手だった。どうせなら、運動場や体育館で思いきり走りまわりたい。三人は貸し出しカウンターから一番遠く、窓に近い席に座ることにした。ここなら、よほど大きな声でしゃべらない限り、迷惑にならないだろう。三人はドリルやプリントを広げた。宿題をしつつ、なにか変わったことがないか図書室全体を観察していた。退屈そうな、男女の図書委員。読んだ本を積んでいる下級生の女の子。ただでさえ暑いのに、図書室は床にじゅうたんが敷いてあるのでいっそう気温が高く感じる。風通しはいいので風さえ吹けば涼しいのだが、あいにく今日は吹いていない。
「とくになにもなさそうだな」
 カオルが小声で言った。あすかとレンも、うなずいた。ならば用はない、と言わんばかりにカオルは帰る支度を始めようとした。しかしあすかとレンにとめられ、結局宿題をすることになった。
 決めたところまで宿題を終えた三人は、図書室を去った。今は職員室前の柱時計の前にいる。七不思議のひとつである、亡霊の宿っている柱時計だ。二人の亡霊が宿っている。たかし坊ちゃんとさえこちゃんだ。二人の見た目は亡くなった年齢のせいで、青年とおばあさんだが同い年で友達なのだ。
「たかし坊ちゃん、おれたちだよ」
 カオルが小さな声で、たかし坊ちゃんの名を呼んだ。するとふわふわ、と柱時計から青白い顔で目がくぼんだ、不健康そうな青年が現れた。細い体が透けて向こう側が見えている。
『おや、君たちか。どうかしたのかい?』
「うん。たかし坊ちゃんに聞きたいことがあって。図書室の女の子って、聞いたことない?」
 たかし坊ちゃんなら……同じ七不思議なら、図書室の女の子についてなにか知らないかと思ったのだ。たかし坊ちゃんはあごに手を当てて、記憶の引き出しを開けた。しかし思い当たることはなかった。
『すまない、わからないな。……さえこちゃん、なにか知ってる?』
 たかし坊ちゃんは、柱時計に向かって声をかけた。するとさえこちゃんが同じように、姿を現した。
『んー……知らないわねえ。ごめんね』
「ううん、ありがとう。ばいばい」
 三人は、次に理科室に行った。ここにも七不思議のひとつ、放課後の荻野先生がいるからだ。
 放課後の荻野先生は元々飛び回る実験道具、という七不思議だった。しかし、三人が協力したおかげで怖がられていた幽霊の先生、荻野先生は今では人気者だ。三人は、荻野先生を呼ぶ合言葉を言った。
「荻野先生、わからないことを教えてください」
 すると『はーい』と、優しそうな男性の声がした。すう、と三十代半ばで眼鏡をかけた幽霊、荻野先生が現れた。
『やあ、こんにちは。どうかしたのかい?わからない問題でもあるのかな』
「たしかにカオルは、とくに算数を教えてもらったほうがいいかもな」
「なんだよ、あすか。お前だって英語苦手だろっ」
「カオルの算数のテストより、マシだっつーの」
 二人が「なんだと」や「なんだよ」と、にらみ合いを始めてしまった。レンは二人を放っておいて、荻野先生に尋ねた。仲裁役のレンだって疲れる日だってあるのだ。
「あの七不思議の図書室の女の子って、聞いたことありませんか?先生は学校中を歩き回っていたから、なにか知らないかなって思って」
 荻野先生はこのあいだまで、傷ついた心を治すこともできずに夜の学校を徘徊していた。その姿や笑い声は、ホラー映画よりも恐ろしかった。
『うーん……。ああ、そういえば図書室に女の子がいるの、見かけたことがあるよ』
「本当っ?」
『うん、ずっと前にね。といっても、人影だけだけどね。図書室の窓ガラスは、すりガラスだろう?だから顔まではわからなかったけれどね』
「いつ現れるとかって、わかります?」
『そこまでは、ちょっと……。ごめんね』
「いえ。ありがとうございます」
 レンはカオルとあすかの耳を引っ張った。二人は取っ組みあっていた。
「行くぞ」
「いだっ!いだだだ」
「いってえよ、レン。痛いって!」
 レンは二人の耳を引っ張ったまま、理科室を去った。その様子を見ていた荻野先生は、三人の相性のよさを微笑んで見送っていた。

 その後、レンは荻野先生に聞いた話をカオルとあすかに説明した。
「とりあえず、一度夜の図書室に行ってみようぜ」
 カオルが提案した。今は夏休みだ。普段は土日にしか、夜の学校に忍びこむことができないので、平日に忍びこむことにした。明後日の木曜日に決まった。今日のところは寄り道せずに帰ることにした。
 その日の夜。あすかは、兄ムロマチの部屋を訪ねた。
 ムロマチとカマクラは県外の高校に通っている。普段は週末しか帰ってこないが、夏休みのあいだはずっと、帰ってきているのだ。カマクラは、昨日から友達の家に泊りに行っている。
 ノックをしてから、ドア越しに声をかけた。
「ムロ兄、今いい?」
「おう、どうした?あすか」
 ムロマチはドアを開け、あすかを中に入れた。今まで夜中に家を抜け出すときに、ムロマチに協力してもらった。今回も頼むつもりなのだ。 「なんだ、また抜け出すのか」
「うん。だから、またここから出させてくれよ」
「ああ、いいぜ」
 アスカはムロマチのベッドの上に、腰を下ろした。ムロマチは読みかけだったゲーム雑誌を再び読み始めた。机の上に勉強道具は見当たらない。ムロマチもカオルと同じく、夏休みの宿題を溜めこむ。そして毎年徹夜で宿題を終わらせている。
「なあ、ムロ兄。ムロ兄のときに図書室の女の子っていう、七不思議あった?」
 ムロマチもカマクラもあすかと同じ小学校に通っていた。なので図書室の女の子のこともなにか知っているかもしれない、と思ったのだ。ゲーム雑誌のページをめくるムロマチの手がぴくり、と止まった。
「ああ。あったよ。どうした?」
「あのな、今度その図書室の女の子に会おうって話になったんだ。けど、どうやったら会えるかわからないんだ」
 ムロマチはくるり、とあすかのほうを向いた。
「だったらいっしょに本を巡りましょう、って言ってみな」
 そう言うムロマチの顔に一瞬、懐かしさと悲しさが混じったような表情が浮かんだような気がした。

 二日後。あすかはチョコレートと塩を持って、ムロマチの部屋に来た。この二つは二人の兄からいざというときのために、と持っていくように言われているのだ。今日はカマクラもいる。
「あすか、気をつけるんだぞ。危ないと思ったらすぐ逃げろよ」
「うん。クラ兄は心配性だなあ」
「あすか、頼みがあるんだ」
 ムロマチはそう言って、ミントグリーンの縁どりがしてある封筒を差し出した。
「これを図書室の女の子に渡してくれないか?」
「いいけど……。なあムロ兄。図書室の女の子と知り合いなのか?」
 あすかがそう尋ねると、ムロマチはあすかの頭を乱暴になでた。
「帰ってきたら教えてやるよ。ほら、行ってこい」
 そう言ってムロマチはあすかを送り出した。あすかはなんとなくムロマチの態度が、いつもとちがうような気がした。

 今日はあすかが一番に着いた。しん、となにも音が聞こえない。背後には真っ暗な校舎。不気味で背筋がぞくり、とした。静かに恐怖に耐えているとカオルとレンも来た。いつものように校門をよじ登り、忍びこんだ。図書室は北校舎にある。女子トイレの鍵が壊れた窓から校舎内に入る。カオルとレンは足早に女子トイレから出た。
 夜の学校は絵の具で塗りつぶしたかのように暗い。ぼう、と非常出口の緑色の淡い光が、逆に気味が悪い。懐中電灯のはっきりした光が心強く思える。三人は図書室の前に来た。体をかがめてこっそり中の様子を探る。すりガラスのため、よくわからない。
「おい、あれ」
 あすかが小声で指をさした。ぽう、ぽう、と図書室に小さく明りがついた。しかしそれは電気のような強い光ではなく、満月のような強いけれど優しいものだった。中でごそごそ、となにか動く気配がした。三人は互いに顔を見合わせてうなずいた。鍵は開いている。図書委員がかけ忘れたのだろう。図書室に限らず、学校のドアは重い。音を立てずに開けるのは至難の業だ。なるべく静かに開けたが、ガタン、と音を立ててしまった。昼なら気にならないくらい小さな音だが、静かな室内には大きすぎる音だった。人影がこちらを向いて本棚の陰に隠れようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 カオルが慌てて声をかけた。あすかはムロマチに教えられた合言葉を思い出した。
「いっしょに本を巡りましょう」
「なんだ、それ?」
「ムロ兄に教えてもらったんだけど……」
 合言葉について二人に説明していると、本棚の陰から女の子が顔を出した。
『なんで、その言葉を知っているの?』
 長い髪をゆるくツインテールに結っていて、大人しそうだ。目を丸くしている。カオルたちより年下のようだ。
「もしかして、あんたが図書室の女の子か?」
 カオルの質問に図書室の女の子はこくん、とうなずいた。三人に少しおびえているのがわかる。
「おれ、カオル。こっちがレンで、この乱暴そうなのがあすか」
「おい、なんでオレのときだけ乱暴そう、とかつくんだよ」
 女の子は不思議そうに、あすかを見た。
『男の子なの?』
「ちがう。オレは女子」
『女の子なのに、男の子の話しかたなの?』
「べつにいいじゃねえか」
 あすかはめんどくさそうに答えた。図書室の女の子も自己紹介をした。
『まい、です』
 図書室の女の子、まいはあすかに尋ねた。
『ねえ、なんでさっきの合言葉のこと知っていたの?』
「オレの兄ちゃんから聞いたんだ」
『お兄ちゃん……。お兄ちゃんの名前、なんていうの?』
 なぜ、そこまで合言葉にこだわるのだろう。あすかは疑問に思いながら答えた。
「え……源ムロマチっていうんだけど」
 ムロマチの名前を聞いた途端、まいの表情が怒りに変わった。窓が開いていないのにもかかわらずごう、と強い風が吹いた。三人はとっさに目を閉じた。まるで、まいの心のようだ。
『ムロマチなんて、だいっきらい!ムロマチのこと知っている人もだいっきらい!いなくなっちゃえ!』
 本棚から何冊もの本が落ちた。そして宙に浮かび、一番背の高いレンよりも大きくなった。大きくなった本が開きあすかを襲った。
「あすか!」
 あすかに近い場所にいたレンが走った。一冊の本が二人を挟んで飲みこんだ。
「レン!あすか!」
 次の瞬間、カオルの目の前にも大きな本が襲ってきた。なんとか避けたが、別の本がカオルの後ろに回り込んでいた。気がついたときにはカオルは本に挟まれていた。声をあげる暇もなかった。
 風が止んだ。本も元の大きさにもどり、その場に落ちた。レンとあすかを飲みこんだ本は雪の結晶、カオルのほうは夜空に走る汽車の表紙だ。まいはその場でうずくまった。
『ムロマチのばか……。ずっと友達だって言ったくせに』
 まいの涙が明りに反射して小さく光った。

「いっ……ててて。どこだ?ここ」
 カオルは背中から着地した。打ったところをさすりながら起きた。見渡してみる。深緑で木製の二人席が左右にいくつもならんでいる。向き合って四人席になっているところもある。窓は席ごとにあり、がたんごとん、と揺れている。
「まさか電車の中、か?」
 カオルは窓を開けて外を眺めた。線路がある。目の前の流れる景色は夜だった。いや、ちがう。まるで宝石をちりばめたような、宇宙だった。
「……どこなんだ?ここ」
 カオルは窓を閉めた。とりあえず、この電車の中を探索してみることにした。しかし車両を移動しても人がいない。もうすぐ最後尾だ。ドアを開けるとようやく人がいた。小学生の男の子二人だ。カオルは男の子たちに、声をかけてみることにした。
「こ、こんにちは」
 男の子たちは窓の外を見ていたが、ふり返ってカオルにあいさつをした。
「こんにちは」
「こんにちは。きみはわしの停車場で乗ってきたの?」
「わ、わしの停車場?どこだ、それ」
 聞いたことのない場所だ。カオルだけでなく、男の子たちも不思議に思っていた。一人の男の子が自己紹介をした。
「ぼくは、カムパネルラ。彼はジョバンニ」
「えっと、おれは滝田カオル。となり、座っていいか?」
 二人はうなずいた。カオルはカムパネルラのとなりに座った。
「タキタカオルって、珍しい名前だね」
 カムパネルラが言った。
「そうか?そっちの名前のほうが、珍しいと思うけど」
 カオルは話していて、なんとなく二人の名前を聞いたことがあるような気がしていた。けれど、あともう少し、というところで思い出せない。
「あの人どこへ行ったろう」
「あの人って、だれだ?」
 カオルがカムパネルラに尋ねた。鳥捕り、という人がさっきまでいたらしい。カムパネルラとジョバンニは、その鳥捕りに申し訳なく思っているようだった。話を聞いてみると、少し突き放すような言い方をしてしまったらしい。
「この銀河鉄道の切符を見て驚いていたんだ」
 黒い唐草模様の中に、変わった十ばかりの字が印刷されている。しかし、カオルは切符よりもジョバンニの言葉に、はっ、とした。
 そうだ、宮沢賢治の銀河鉄道の夜だ。読んだことはないけれど、登場人物くらいは知っている。ジョバンニとカムパネルラだ。つまり、カオルは今本の中にいることになる。どうすればここから出ることができるのだろうか。そんなことを考えていると、ジョバンニが口を開いた。
「なんだかりんごの匂いがする」
「それから野ばらの匂いもする」
 カムパネルラもうなずいた。けれどカオルにはりんごの甘酸っぱい匂いも、野ばらの匂いもわからなかった。
 ふと気がつくとそこに男の子と女の子、それから二人の保護者であろう青年が立っていた。男の子をジョバンニのとなりに座らせた。カオルは、すっ、と立ち上がって、女の子に席をゆずった。女の子はなにも言わず座り、青年が代わりにお礼を言った。話を聞くと男の子と女の子は姉弟で、この三人は沈没船に乗っていたらしい。そのときの悲惨な状況を青年は淡々と語ってくれた。この二人の子どもを助けようとしたこと。けれど、ほかの子どもを押しのける勇気がなかったこと。カオルは、胸が苦しくなった。その話がショックだったのか、ジョバンニはうなだれていた。そして気がついた。きっと、この三人はその船が沈んだときに亡くなってしまったのだ。それでは、ジョバンニとカムパネルラはどうなのだろうか。カオルは、本を読んでいないことを後悔した。姉弟は眠っていた。
 窓の外には燐光の川が見えた。大小様々な三角の標識から、狼煙のようなものが上がっている。
「いかがですか」
 向こう席にいる男性が、りんごを抱えていた。黄金と紅が美しく彩られた大きなりんごだ。男性は青年にりんごをあげた。そっ、と眠っている姉弟のひざの上にりんごを置いた。そしてカオルたちにも、ひとつずつくれた。ジョバンニとカムパネルラは、りんごを大切そうにポケットに入れた。カオルはりんごを一口かじってみた。ふつうのりんごと同じ食感だ。けれど噛んでみると、味も感触もなかった。まるで空気を食べているみたいだ。カオルがこの物語の住人ではないからだろうか。カオルは、りんごを食べるのをやめた。窓から流れる景色を眺めながら、どうすれば元の世界にもどることができるのか考えていた。しかし、出口になりそうなところはなさそうだ。
「どうしたの?カオル」
 ジョバンニが心配そうに声をかけてきた。急に黙りだしたからだろう。
「いや、なんでもない」
 カオルはそう答えて、再び窓を見た。とりあえず、しばらく銀河鉄道の旅を楽しむことにした。よく考えれば本の中の世界に入ることになど、めったにできないのだ。レンやあすかのことは心配だが、二人ならだいじょうぶだろう。レンもあすかもカオルと同じくらい強いのだから。
 窓の外には、かささぎやくじゃく、渡り鳥が自由に飛んでいた。露が宝石のように光るとうもろこし畑に、さそりの火の話。すべて銀河鉄道の夜に出てくる場面だ。しかし、カオルは読んだことがないので、わかりにくい。
 三人はサウザンクロス、というところで降りるそうだ。別れのときがきた。弟がまだ汽車に乗りたい、と駄々をこねているうちにサウザンクロスに着いた。汽車の中がざわつきはじめた。窓から青や橙色、赤など様々な光をちりばめた十字架が立っているのが見えた。青白い雲が後光のようにかかっている。みんなが十字架、サウザンクロスに祈りはじめた。カオルも戸惑いながら祈るまねをした。汽車がサウザンクロスの真向かいに止まった。
「さあ、下りるんですよ」
 青年は弟の手をひいた。お姉ちゃんは三人に「さよなら」と、別れを告げた。ジョバンニは泣きそうだった。半分以上の人がサウザンクロスで降りたため車内はがらん、としている。がたん、ごとん、と走っているとぽつり、とジョバンニが言った。
「カムパネルラ、カオル。本当の幸せってなんだろうねえ」
「ぼく、わからない」
「おれだって、わかんないよ」
 カオルとカムパネルラは遠くを見つめながら答えた。
「ぼくたちは、しっかりやろうねえ」
 しんみり、とした雰囲気になった。カムパネルラが「そらのあなだよ」と下を指さした。ジョバンニとカオルは窓からのぞきこんだ。大きな真っ暗な穴だ。ずっと見ていると、なんだか不安になってくる。カオルは目をそらした。しかしジョバンニはじっ、と穴を見ながら言った。ふとカムパネルラのほうを向くとなんだか様子がおかしい。まるで心がなにかに捕えられているようだ。
「ぼく、あんな暗闇だって怖くない。きっとみんな、本当の幸せを探しに行くんだ。カムパネルラ、カオル。どこまでも、どこまでも、いっしょに行こう」
 二人は首を縦に振った。カムパネルラが遠くの野原を見て叫んだ。
「あっ!あそこにいるの、ぼくのお母さんだよっ。お母さん!」
 カムパネルラは窓に足をかけた。汽車が走っている最中に落ちてしまっては大変だ。カオルは危なっかしいカムパネルラを引き寄せようと、手を伸ばした。
「カムパネルラ!」
 しかし一瞬遅かった。カムパネルラは軽やかに跳び、野原へと駆けて行った。まるで、羽根が生えているみたいだった。そして野原を眺めていたジョバンニがふりかえったときには、カムパネルラの姿はなかった。
「カムパネルラ……?」
 ジョバンニは窓に乗り出し、叫んだ。
「カムパネルラー!」
 ジョバンニの肩が泣いて震えていた。

 場面が変わった。あまりにも突然変わったので、カオルは驚き辺りを見渡した。大きな橋がかかった川がある。なにかあったのか、橋のほうが騒がしい。
「なにかあったんですか?」
 カオルはそう尋ねる声に聞き覚えがありふり返った。ジョバンニだ。ジョバンニの質問に女性が答えた。
「子どもが川に落ちたそうよ」
 ジョバンニは走った。カオルもあとを追いかける。広い河原に出た。途中ちらり、と警官であろう姿も見えた。カオルはなんとなく、いやな予感がした。河原の下流で洲のようになった場所に人影のかたまりが見えた。ジョバンニはそちらに向かっていた。ジョバンニの知り合いらしい男の子が、泣きそうな顔で事情を説明していた。
「カムパネルラが川でおぼれたんだ」
 どうやら別の友達が舟から落ちたらしい。その子を助けようとカムパネルラは飛びこんでから、姿が見えないそうだ。落ちた子は助かったらしい。カムパネルラがおぼれてずいぶん時間が経ったのだろうか。人々が引き上げ始めた。ジョバンニは一人の男性に近づいた。そして、男性の話を聞くと力いっぱい走ってその場を去った。カオルとすれ違ったが、気づかずに行ってしまった。ジョバンニは悲しみや驚き、ありとあらゆる感情を出したいけれどどうすればいいかわらかない、そんな表情をしていた。
 ジョバンニの背中が見えなくなったとき、カオルのとなりにドアが現れた。
「もしかして外に出られるのか?」
 カオルは少しためらいながら、ドアノブを握った。
「うわっ!」
 開けるとまぶしい光がカオルを包みこんだ。ぐん、と強い力で引っ張られるのを感じた。ドアはカオルを飲みこむと、なにごともなかったように消えた。ドアのことに気がついた人はだれもいなかった。

 まいはまだ泣いていた。けれどそろそろ泣くことにも疲れてきた。すん、と鼻をすすった。そのときカオルを閉じこめた本、銀河鉄道の夜が大きくなり開いた。まいは驚いた。そこからカオルが転がってきた。
『まさか、もう出てこられたの?』
「いっててて……」
 カオルは腰をさすっていた。カオルは辺りを見回した。どうやら図書室にもどってくることができたようだ。まいは慌てて涙をぬぐった。しかしカオルは、それに気がつかなかった。
「あすかとレンがいない……。おい、あの二人はどこだ?」
 カオルはまいを睨んだ。
『あの二人は、雪の結晶の図鑑に閉じこめた。図鑑はあなたを閉じこめた物語の本とはちがう。物語の本には必ず終わりがあるけれど、図鑑の世界に終わりはない。だから、出口が現れることはない』
「そ、そんな……。レン、あすか!」
 カオルは床に落ちている、二人を飲みこんだ雪の図鑑を開こうとした。けれど接着剤でくっつけたようにびくともしなかった。それでもカオルは諦めず、本を開こうとしていた。それを見ながらまいは、ぽつり、とつぶやいた。
『ムロマチの妹なら、あの図鑑にずっといればいいのよ』
 その意味がわかるのは、まいだけだった。

「……すか。おい、あすかっ。しっかりしろ!」
 あすかは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。レンだ。どうやら気絶していたらしい。ゆっくり、と体を起こす。
「だいじょうぶか?」
「ああ。悪い、レン。オレが避けられなかったせいで……」
「そんなこと気にするなよ。それより、見てみろよ」
 あすかは辺りを見回した。一面の銀世界だ。しかし寒さはない。
「な、なんだここ?」
「たぶんおれたちを飲みこんだ、本の中の世界だ。とにかく進んでみよう」
「ああ、そうだな」
 二人は雪原を歩きはじめた。ぼすん、ぼすん、と二人の足跡ができた。雪が二人のふくらはぎを覆う。冷たさはない。感触はあるが、温度はないらしい。なんだか変なかんじだ。
「でもちょっと楽しいかも」
 あすかはぼすんぼすん、とあちこちに足跡をつくった。三人が住んでいる地域はあまり雪が降らないので、こんなことはまずできない。  歩いていると、徐々に雪が溶けて川辺に着いた。草も生えているが枯れて茶色になっている。水面には薄い氷が張っている。二人は川沿いを歩き続けた。歩いていると何度も景色が変わった。真っ白な山、雪に覆われた丘、二人よりも大きな雪の結晶。どこまで歩いても雪が出てくる。
「なあ、これってどこまで行けばいいんだ?」
「わからない。でも歩くしかない」
 初めは変わる景色や雪を楽しんでいた二人だが、あきてしまった。
 どれくらい時間が経ったのだろう。二人は一度休憩することにした。座ってもぬれないことは、いいことだ。
「さて、どうしようか」
「わかりやすく、出口でもあればいいんだけどな」
 しかし、それらしきものは見当たらない。あすかは、疑問に思っていることを尋ねた。
「なあ、あのまいって子なんだけどさ。なんでムロ兄のこと話したら、怒ったんだろ?」
 それはレンも不思議に思っていた。ムロマチが合言葉を知っていたということは、二人は知り合いなのだろう。もしかすると、あまりいい別れ方ではなかったのかもしれない。
「ムロマチさんから、そんな話を聞いたことはないのか?」
「ああ。全然ない。ムロ兄とまい……どんな関係だったんだろう?」
「ムロマチさん本人だけじゃなくって、知っている人も大嫌いって、相当嫌っているよな」
 そのとき、さらさら、と落ちる砂のように小さな声が聞こえた。
『……て』
「だれだっ」
 二人は立ち上がって背中合わせになりながら、辺りの気配を探った。声がまた聞こえてきた。さっきよりは聞き取りやすい大きさだ。
『あの子に……本当のことを教えてあげて。
 あの子たちは、楽しそうにこの本を巡っていた。あの子の、楽しかった思い出がなくなってしまう前に教えてあげて』
 あすかのかばんが、ほのかに明るい。開けてみるとムロマチから預かった手紙が光っていた。
「ムロ兄からの手紙が……」
『さあ、ここから出してあげるから。おねがい』
 雪の結晶が上から舞うように降ってきた。結晶は互いにくっつき、次第に大きな鏡となった。
「鏡……」
 レンはそっ、と触れてみた。すると指先が向こう側へと消えた。驚いてレンは慌てて、手を引いた。指に変わった様子はなかった。
「どこかに通じているみたいだ」
「出口か」
 二人はうなずき合い、鏡の中へと進んだ。
 中は四角い通路で全面鏡張りだった。なんとなく割れてしまいそうで怖い。二人は静かに進むことにした。そのとき右側の鏡の壁に、人が二人映った。それは、ムロマチとまいだった。ムロマチはあすかと同い年くらいだ。二人の声は聞こえてこない。
「これって、もしかしてムロ兄とまいが出会ったときが映っているのか?」
「どうやら、そのようだな」
 過去のムロマチとまいが笑顔で握手をしたところで映像は終わった。再び歩きはじめると、次の映像が映った。どうやら二人が進むたびにムロマチとまいの過去が映るようだ。本を巡り、天体観測をし、笑い合った日々。けれどそれは確実に終わりへと近づいていた。そのときがきた。卒業式後のムロマチと、泣きじゃくるまい。そんなまいをなだめ、指きりをする二人の姿。それが最後の映像だった。
「そっか。まいとムロ兄は友達だったんだ」
 兄の知らない一面を見て、あすかはぽつり、とつぶやいた。
「あすか、入口と同じ鏡だ。きっとここから出られるぞ」
「よし、行こう」
 二人は勇気を出して、鏡の外へと出た。

 出てきたのは階段の踊り場だった。後ろをふり返ると、この学校で一番大きな鏡があった。
「これって七不思議の、踊り場の大鏡じゃないか?」
 踊り場の大鏡。この大鏡を三十秒以上見つめていると、鏡の中に吸いこまれて帰ってくることはできない、と言われている。レンは頭の中でひとつの仮説を作った。
「もしかして、この大鏡は本の出口になっているんじゃないか?ここから入れば、本の世界につながっている。だから、入った人は本の世界に行ってしまうってことか」
「なるほど。一方通行の出口から入ったのなら、出口は本になるってことか」
「ああ」
 あすかは、レンの頭の回転速度に感心した。自分やカオルなら、思いつかなかっただろう。
「図書室にもどろうぜ。まいにムロ兄の手紙を渡さなくちゃ」
「ああ。カオルも心配だしな。まあ、だいじょうぶだろうけれど」
 二人は図書室に走った。

 カオルは、まいを睨みつけたまま言った。
「おい、レンとあすかを本から出せ」
『いやよ。ムロマチの妹なんて、痛い目にあってしまえばいいのよ。ムロマチが悪いんだよ。約束、破るから』
「約束?」
 まいは下を向いたまま答えた。カオルが知っている限り、ムロマチは約束を破るような人ではない。
「約束ってどんなことなんだ?」
 カオルが尋ねると、まいはちらり、とカオルを見たが答えなかった。だがカオルはしつこく聞き続けた。根負けしたまいはカオルに怒り気味で答えた。
『卒業しても、年に一回は会いにきてくれるって約束したの!ムロマチは初めてできた友達だったのに……』
 カオルはふと、思ったことを口に出していた。
「何年も会ってなかったら、友達じゃなくなるのか?」
『当たり前じゃない。いっしょにいるから、友達なんでしょう?』
「んー、おれはちょっとちがうと思う」
 まいは、顔をあげた。カオルと目が合う。
「きっとこれから先、レンやあすかと離れ離れになると思う。いっしょに遊んだ時間や、できごと、思い出。それが心に残っている限りどれだけ遠く離れていても、会えなくっても、友達でいられると思う」
 それは、まいにとって思いがけないことだった。寂しさと悲しさがすう、と消えていくようだった。しかし、また裏切られることが怖くてカオルの言葉を否定した。
『そんなことない。会いに来なくなったってことは、忘れちゃったってことなんだよ』
 そのときガラッ、とドアが開く音がした。図鑑からもどってきた、あすかとレンだった。
「ムロ兄は忘れてなんかないっ」
「あすか!レン!」
 無事な二人の姿を見て、カオルは安心した。あすかはまいに近づいた。カバンから手紙をとりだし渡した。
「これ、ムロ兄から預かっていたんだ。まい宛てだから、読んでみてくれよ」
 まいはおそるおそる手紙を受けとった。封筒を開ける音が静かな図書室に響いた。
『まいへ
 お元気ですか?おれは高校生になりました。県外の高校に通っていて、普段は寮で生活しています。
 まず謝らせてください。まい、約束破ってごめん。別れのあいさつもなしに、いきなり会いに行かなくなって……。じつは、卒業生でも学校に入ることが、できなくなったんだ。防犯のためだって。高校受験に受かったことを知らせようと思った、あの日。おれは先生に見つかって、そう説明された。きっとまいは、おれを約束破りのひどいやつと思っているんだろうな。傷つけただろうな。本当にごめん。
 今回おれの妹、あすかがきみに会いに行く、ということを聞いて、この手紙を書かなくてはと思った。きっと、これが最後のチャンスだろうから。
 たとえまいがどう思っていても、どれだけ時間が経っても、会えなくても、おれは友達だと思っています。
 ムロマチ
 追伸。あの日に渡せなかったものを同封しています』
 まいは封筒を傾けた。すると、雪の結晶の飾りがついたヘアピンが出てきた。まいは、雪の結晶が好きだ。ムロマチはそれを覚えていて、まいにプレゼントしようとしたのだ。
『覚えてくれていたんだ』
 うれしくて、まいの目からぽろり、と涙がこぼれた。そして同時にずっとムロマチを恨んでいた自分を責めた。
『ごめん、ムロマチ……。ありがとう』
「つけてみなよ」
 あすかが言った。まいはヘアピンをつけてみた。体と同じく透けた。
「お、似合う似合う。な?」
 あすかは、カオルとレンに話題を振った。二人ともうなずいた。まいは、うれしそうに笑った。誤解が解け、まいの空気がやわらかくなった。
「なあ、ムロ兄とどんなことをしたんだ?」
 あすかは自分が知らない兄のことを知りたくなった。カオルとレンも、興味があった。まいはまるでお母さんが子どもに絵本を読み聞かせるように、優しく話してくれた。
『よくいろんな本を巡ったの。魔法使いの一生の話、植物図鑑、おてんばな魔女の物語。ずっと前にね、ムロマチったらサンダルで来て、そのまま本の中に入っちゃって大変だったんだから。悪い魔法使いに追いかけられて、最後にはサンダル脱いで、裸足で走ったんあだから。こわかったあ」
 あすかは最初に抜け出すときに、ムロマチに靴をはくことを勧められた。あすかは納得した。
「とくに、雪の結晶の図鑑にはよく行った。真っ白な雪原、冬が近づいてくる気配、きれいな六角形の結晶。雪の結晶や、樹氷を眺めて、いろんな話をしたの』
「そういえば、レンとあすかはどうやって出てきたんだ?」
 なにも知らないカオルには、当然の疑問だ。あすかとレンが説明した。続けてまいが言った。
『わたし、大鏡とは仲がいいの。図鑑の出口のことを知った大鏡が、自分を使っていいって言ってくれたの。
 それだけじゃない。大鏡はこの学校の鏡すべてとつながっている。だから具体的にどこの鏡から出たいか念じながら入れば、そこに出られるよ。でも入ることができるのは大鏡だけだからね』
「へえ、そうだったのか」
「だから、入った人は出てこられないって言われていたのか」
 図らずも七不思議がもうひとつ、解明された。話はムロマチとまいの思い出にもどった。
『友達のことや、授業のこと。家族のことや、好きなもののこと。とっても楽しかった。それが一年に一回になってしまっても、たくさん話すことがあって、楽しかった。
 ……友達だったことを忘れていたのは、わたしのほうだったんだ』
 ぽつり、とまいはつぶやいた。まいの中でムロマチはいつの間にか、約束を破ったひどい人になっていた。カオルはいいことを思いついた。となりにいたレンは、まんがのようにカオルの頭に豆電球が見えた。
「なあ、まい。手紙を書いたらいいんだよ」
「手紙って、ムロマチさんに?」
 レンの問いかけにカオルはうなずいた。
「返事を書くんだよ。それをあすかが渡すんだ」
「それいいな。きっとムロ兄も喜ぶ!オレたち、まいが手紙を書き終えるまで待っているからさ。あ、でもできたら朝までに書いて」
 こくん、とまいはうなずいた。まいは貸し出しカウンターに向かい、内側から紙とボールペンをとりだし手紙を書きはじめた。
 三人は静かに、まいが手紙を書き終えるのを待っていた。

 ムロマチへの手紙を書き終えたころ、空は白み、カオルたちは机に突っ伏せて眠っていた。ずいぶん待たせてしまったようだ。まいはあすかの肩を叩こうとして、やめた。幽霊である自分が、人に触れることはできない。それを少しさみしく思っていると、ちょうどあすかが目を覚ました。ごしごし、と目をこする。
『ごめんね、待たせちゃって。これムロマチに渡してもらえる?』
「ん……わかった」
 まだ少し眠そうなあすかは手紙をカバンに入れ、向かいにいるカオルとレンを起こした。カオルにはデコピンをした。いつもなら怒って言い合いになるところだ。しかし疲れているので痛がるだけだった。
「よし、帰ろう」
 早く帰らなければ、抜け出していることがばれてしまう。三人は眠気まなこをこすりながら急いだ。図書室から出ようとドアを開けようとしたカオルは、突然立ち止った。後ろにいたあすかとレンがぶつかった。
「いってえ!急にとまるなよ、カオル」
 文句を言うあすかに構わず、カオルはまいに言った。
「なあ、まい。おれたちも、もう友達だからな!だからまた話そうぜ」
 まいの目が大きく開いた。そして笑顔でうなずいた。
「じゃあな、まい」
「またな!」
『うん。ばいばい』
 まいは、三人に手を振った。足音が聞こえなくなって、図書室にはまい独りになった。それでも、心が痛くなる寂しさはなくなっていた。

 ムロマチは、部屋であすかを寝ずに待っていた。暇つぶしに雑誌を読もうか、と思ったときに、あすかが帰ってきた。
「おお、おかえり」
「ただいま。はい、これ」
 あすかは、カバンから手紙を渡した。差出人の名前を見て、ムロマチは驚いた。
「まいから?」
「そう。オレも友達になったんだ」
「そうか」
 ムロマチはどこか安心したように、微笑んだ。
「なあ、ムロ兄。まいとどうやって仲良くなったんだ?」
 あすかはムロマチに尋ねた。手紙を開きかけたムロマチは、手をとめて思い出話を始めた。
「五年生だったかな。学校に宿題を忘れたことに気づいてさ、とりに行ったんだよ。真夜中に懐中電灯持ってさ。それでついでだから探検しようと思ったんだよ」
 あの真夜中の学校を、一人で探検した兄を、あすかは素直にすごいと思った。三人でも、怖いのに。
「それで図書室の前を通ったら明るくって、だれかいるから入って声をかけたんだ。それがまいと仲良くなったきっかけ。でも最初は警戒していたから、合言葉を決めたんだ。
 まいは、図書室の本すべてを読んで覚えていた。どの本がおもしろいとか、あの図鑑はきれいだ、とかな。本当に本が好きで、気に入った物語は何度も読んで本の世界を巡っていた。怖がりのくせに怪談とか好きなんだよ」
 まいとの思い出話を語っているムロマチは、小学生にもどっているように見えた。
 一通り話すと、ムロマチはあすかを部屋に帰した。静かになった部屋でまいの手紙を読む。
『ムロマチへ
 もう、ムロマチも高校生になったんだね。ヘアピン、ありがとう。
 わたしも謝らなくちゃいけないの。ごめんなさい。わたし、ムロマチが約束を忘れたんだって、わたしのことを忘れたんだって思っていた。だから友達じゃないって……友達は一瞬だけなんだって思っていた。でも、ムロマチは覚えてくれていたんだよね。ありがとう。
 あのね、あなたの妹とも友達になれそうなの。少し変わった子だけれど、かっこいいね。(家族に対して変わった、なんていってごめんね。悪い意味じゃないから)ムロマチとはちがうタイプだけど、いい子。二人の男の子とも友達になれそう。この手紙を書くっていうのも片方の男の子のアイデアなの。
 わたし、もしこれからいろんな子と友達になってもムロマチとはずっと友達だからね。
 今度は忘れないよ。
 まい』
 読み終えたムロマチはゆっくり、深呼吸をした。
「当たり前じゃないか、まい。おれたちは、友達だ。忘れないからな」
 ムロマチの顔には、小学生のころと同じ笑顔が浮かんでいた。

 まいに手紙を渡して五日経った。三人はプールを終えて図書室に来ている。目的は変わらず、カオルの宿題を終わらせることだ。
「なあ、カオル。読書感想文の本、まだ借りてないだろ」
 レンの言葉にカオルはぎくり、とした。ドリルやプリントは、たいぶ終わらせた。しかし、読書感想文や工作が終わっていないのだ。
「でもどんな本にしたらいいか、わかんないんだもん」
 カオルがそういうとぱたん、となにかが落ちる音がした。見ると一冊の本が落ちていた。夜空に汽車が走っている表紙だ。あすかがそれを拾い上げた。
「銀河鉄道の夜?」
 気配を感じて三人は奥に並んでいる本棚を見た。ちらり、とまいがこちらを窺っていた。そして小さく笑って姿を消した。
「これを読めってことか?」
 あすかは銀河鉄道の夜をカオルに差し出した。カオルは本の中に閉じこめられたことを、思い出した。そのときのことを、二人に説明した。
「いいじゃねえか。なにも知らない本を読むより、読みやすいんじゃないか?」
「まあ、そうなんだけどさあ」
 カオルは、あの宝石をちりばめたような宇宙を思い出した。悲しい場面もあったけれど、ジョバンニとカムパネルラがどんな冒険をしてきたのだろうか。そう思うと、この物語を少し読んでみたくなった。あすかから本を受けとった。
「これにしようかな」
 カオルは貸し出しカウンターに行った。
 これをきっかけに、図書室では不思議なことが起こるようになった。読む本に迷っていると、まるでだれかが勧めるように、本が落ちるのだ。そしてその直後に、雪の結晶のヘアピンをしている女の子の後ろ姿が見えるらしい。それがまいだと知っているのは、カオルたち三人だけだ。  まいはセミが鳴く今日も迷っている人に、本を静かに勧める。友達であるムロマチがくれた、雪のヘアピンを身につけて。