チェンジリング 01

1.チェンジリング

 産声と喜びの声が上がるのはほぼ同時である。それは世界のどこでも変わらない。
 黄昏時の今、小さな村で新たな命が誕生した。産婆がカテリーナから赤ん坊をとりだした。湯を溜めた桶で赤ん坊を洗う。産婆の助手が部屋の外にいるカテリーナの夫、ジャックに無事に出産を終えたことを知らせに行った。
「元気な女の子ですよ!」
 初めての赤ん坊の誕生にジャックは隣にいた、自分の母親や父親に抱き着いた。そして助手に促され愛する妻のいる部屋へ入った。カテリーナの額や頬は汗で髪がはりついていた。息もまだ上がっている。わずかに顔を動かしジャックを見た。
「あなた……」
「よくやったなあ!」
 カテリーナの手を強く握り、自分にはできない偉業を成した妻を褒め称えた。そのうちに真っ新な柔らかい布で包まれた、二人の愛の結晶が連れてこられた。カテリーナは産婆から赤ん坊を渡された。しわくちゃで猿にしか見えないが愛おしそうに抱いた。
「あなた、ほら。私たちの子よ」
「ああ……!俺たちの娘なんだ」
 カテリーナは赤ん坊をジャックに差し出した。ジャックは脆いガラスでも持ち上げるように腕の中に抱いた。
「すごい……。本当に……俺たちの子どもなんだ」
 感動しているジャックにカテリーナは声をかけた。
「ねえ、あなた。その子の名前、マリィナがいいと思うの。かわいい女の子にぴったりの名前じゃないかしら」
「ああ、いいね。……ああ愛おしいマリィナ」
 二人が喜びに浸っているとジャックの母親が入ってきた。カテリーナを労ったあとジャックの母親は真剣な、二人にとっては少々怖いとも思える表情を浮かべて言った。
「早く洗礼をさせなくっちゃね。妖精たちに交換されてしまうよ」
「妖精たちに?」
「あのチェンジリングとかいうやつか?」
 ジャックの母親は頷いた。
「妖精たちが自分たちと人間の赤ん坊を取り換えるチェンジリングはね、昔からあることなんだよ。だからみんなさっさと洗礼を済ませるんだ。そうすれば妖精たちは手が出せないからね」
 カテリーナとジャックは互いに顔を見合わせ困ったように笑った。
「母さん。そんな迷信信じてるのか?平気だよ、妖精なんておとぎ話だろう?」
「若いお前さんたちは知らないだろうけれど、ここでもよくあったんだよ。取り換えられて七日経ってしまえばもう二度と取り返せない。悪いことは言わないから明日にでも洗礼を受けな」
「ですがお義母さん。洗礼は数日できませんよ……」
 もう夕方で教会は閉まっている。翌日には別の住人の葬式が控えており、この村では葬式のある日に洗礼はできないことになっている。翌々日は日曜日で朝のミサしか行われない。その更に翌日は教会そのものが閉まっている。
「三日も空くのかい。なんとかできないかね」
「無茶言うなよ母さん……」
 ジャックの母親は渋い顔のままカテリーナに忠告した。
「いいかい、この子から片時も目を離してはいけないよ。それから窓際から遠ざけること。いいね」
 ジャックもカテリーナも二つ返事をした。ジャックの母親は、これ以上何を言っても同じだと深く溜息を吐いて帰った。

 マリィナが生まれて三日目の夕方、カテリーナは揺り籠を揺らしていた。さっきまでお乳がほしくて号泣していたマリィナは、満足するまで母乳を吸いげっぷをした今すやすやと眠っている。
「本当にかわいい……。きっとこの村で一番の美人に育つわ。あの人譲りの金髪で緑色の目。かわいくないはずがないわ。……ふふ、あなたといっしょに料理や刺繍ができるのが楽しみよ、マリィナ」
 そのときカテリーナは小さく欠伸をした。昨晩もマリィナが夜泣きをしたため、なかなか眠れなかったのだ。
「少しだけ、いいわよね……」
 カテリーナはロッキングチェアでマリィナと同じように揺られながらうたた寝をしてしまった。
 カテリーナの静かな寝息が聞こえるようになった頃、開きっぱなしだった窓辺から生き物が家の中を覗き込んだ。その肌はこげ茶色で腕や足は細いくせに腹が出ていた。目は大きく、髪は生まれたての雛くらいしかない。身長は九十センチくらいだろうか。
『おい、どうだ?』
『大丈夫そうだ』
 安全を確認したその生き物……ゴブリンはぞろぞろと五人ほど家に忍び込んだ。その内一人はなんとか抱えられるだけの丸太を運んでいる。ゴブリンたちはぞろぞろと揺り籠を囲んだ。
『赤ん坊はいるか?』
『ああ。すごくきれいな金髪だ』
『最高じゃないか!』
『なんて名前だっけ?』
『確かマリィナって言ってた』
 ゴブリンたちはその場で小躍りした。そしてマリィナが起きないようにそっと抱きこみ、揺り籠の中身を丸太に交換した。ゴブリンが人差し指でくるくると円を描くと、きらきらと砂くらいの光の粒がさらさらと現れた。
『丸太よ丸太。赤子の変わりになっておくれ』
 ゴブリンの内の一人がそう唱えると光の粒は丸太に巻き付いた。その光が消えてなくなるころには、丸太はすっかりマリィナそっくりになっていた。
『よしよし。これでバレんだろう。皆、帰るぞ』
 ゴブリンたちはマリィナを抱いて機嫌よく歌いながら出て行った。
『帰るぞ帰るぞ 赤ん坊を連れて帰るぞ
 見惚れる金髪の女の子 かわいいかわいい女の子
 帰るぞ帰るぞ 連れて帰るぞ
 インナップヒルに連れて帰るぞ』
 ゴブリンたちはくり返し歌い、麻畑や野菜畑を通り過ぎ左に曲がって村から出た。そこから南西に進むと昼寝丘と呼ばれる小高い丘があった。ゴブリンたちが丘の前に立つとゴゴゴッと音を立てて、隠し扉が開いた。中の通路には等間隔に粗く削った鉱石で作られたランプが設置されていて、【妖精の村、インナップヒル】と書かれた矢印の看板が前方に向けて立てられていた。
 最後尾のゴブリンが丘の中に入ると、扉は重い音を立てながら勝手に閉まった。

 妖精たちが住む丘の地下にある村、インナップヒルの妖精たちはチェンジリングがうまくいったことを知ると、一目見ようとゴブリンたちのもとに押し寄せた。
『かわいいなあ』
『ねえ、まだ起きないの?』
『さっき寝たばかりだ』
 そのとき、マリィナは質素な揺り籠の中で目を覚ました。すると妖精たちは嬉しそうに、もしくは楽しそうに声を上げた。マリィナはエメラルドのような澄んだ瞳をぱちくりとさせた。そしてきゃっきゃっと妖精たちと同じように声を上げて笑った。
『まあ、元気でかわいらしい声!』
 三十センチもない羽の生えた妖精、ピクシーや下半身の馬のケンタウルス、花の妖精たち、いつも難しい顔をしているレプラホーンなど様々な妖精がマリィナを見ようと躍起になっていた。
『通しておくれ』
 そのとき凛とした女性の声が響いた。妖精の波をかき分けて歩み寄ってきた。黒いローブと、襟首に宝石を散りばめた裾の長いドレスに身を包んでいる。肌は青白く紫色の瞳で瞳孔はほかの妖精と同じく縦に割れている。歩いたところは薄く凍りすぐに戻った。
『なんだ?ケリドウェン』
 ケリドウェンと呼ばれた妖精はマリィナを見下ろした。マリィナは一瞬笑うのをやめたが、すぐに太陽のように明るい笑顔を浮かべた。ケリドウェンの表情も和らいだ。
『とてもいい子だね。誰にも臆さず区別しない。この子はあんたたちゴブリンだけで育てる気なのかい?』
 ゴブリンたちは頷いた。するとケリドウェンは不満そうな顔をしたあとに言った。
『よし、決めたよ。私もあんたたちと一緒にこの子を育てるよ』
『ええ?』
 その場にいるゴブリン全員が、とくにマリィナを抱いて戻ってきたルドと夫のゴブルが露骨に嫌そうな顔をした。しかしケリドウェンは気にせず持論を展開した。
『あんたたちだけに任せておけば、この子は粗野でいい加減な子になるからね。この子の将来の美しさには教養も必要だよ』
 こうしてケリドウェンは無理やりゴブリンの子育てに参加することになった。状況がわかっているのかいないのかマリィナは嬉しそうな笑い声を上げていた。