幻想世界の小話 01

ガラスと宿

 ザザアと打ち寄せる波の音でフロルは目を覚ました。上半身を起こして思いきり伸びをする。真横の窓からは大海原、漁を終えたのか港へ戻っていく船が何艘か見える。ベッドに腰を下ろしたまま窓を開けると、レースカーテンがふわりと舞い潮の香を運んでくる。
「そろそろ起きなくちゃね」
 フロルは寝間着から普段の服に着替え始めた。長い両足が見える大きなスリットが入ったスカート。もろもろのアクセサリーを身に着け茶色の髪も銀色のリング状の髪留めで一つに結う。
「よし」
 フロルは部屋を出て階段を下りた。
 ここ、カフェバー『ジェネル』は一階が飲食店で、二階は宿屋になっている。といってもフロルを除いて二組しか宿泊できない。フロルには彼女専用の宿泊部屋があるのだ。一階にはテーブル席四つにカウンター席。椅子やテーブルは流木で出来ている。床はフローリングで、小さな舞台がある。夜になると特に賑やかになる。
「おはよう、フロル」
 カウンターの内側で調理をしながらフロルに挨拶したのは一人の青年だった。色あせた紺色に白い波のような模様が描かれたバンダナを頭に巻いていて、収まりきっていない水色の髪がのぞいている。金色の瞳で左の目元にはほくろがある。
「おはよう、リッド。ちょっと遅くなっちゃった」
「いいよ。昨日着いたばかりなのに、さっそく店で踊ってもらってこっちが申し訳ないよ」
 フロルはリッドに勧められカウンター席に座った。カリカリのベーコンと半熟の目玉焼き、トースト、シーフードとトマトの冷たいスープが差し出される。
「どうぞお客様、朝食でございます」
「ありがとう、店長さん」
 ふざけた口調で二人はそんな風に言った。さっそく黄金色のトーストを食べようとしたフロルだったが、とあることを思い出した。
「あ、そうだ」
 フロルは一度部屋に戻り、自身の荷物から木製の小箱をとり出した。それを持って一階へ向かい、それをリッドに渡した。
「はい、いつもの」
「おおっ、悪いねえ。いやはやいやはや、仕込みなんかしてる場合じゃないや」
 リッドはフロルの隣に座り、受け取った木箱を開けた。フロルはそれを横目に見ながら改めて朝食を口に運ぶ。シーフードとトマトのスープはリッド特製で、どんな貝をどれくらい使い野菜はなにを入れているのかも教えてくれない。リッドは木箱の中身を大切そうに一つ一つとり出し並べた。それはシーガラスだった。海の波や砂利などによって角や表面が自然に研磨された、ガラス破片のことである。フロルは旅で海辺に行くとリッドの頼みでこれらを拾ってくる。リッドが言うには場所によって流れ着くガラスの色が違うらしい。
「おおっ、今回は黄色がある」
 リッドが興奮の声を挙げた。指先でつまんだのは小指のつめくらいの大きさほどだ。
「あら、黄色って珍しいの?」
「ああ。そもそも黄色いガラスがあんまり見ないだろう?」
「言われてみれば、たしかにそうね」
 黄色のシーガラスを見つめながらリッドはうなっていた。
「ううーん、手元に置いておきたい気もするけどなあ。でもきっとアクセサリーにしたらもっときれいだろうしなあ」  リッドはここの店主だ。しかし本人いわく「この店は副業で、本業は海に流れ着いたもので雑貨やアクセサリーをつくる職人」らしい。その証拠に店の入口にリッドがつくったものが並べられている。アクセサリーに写真立て、髪飾りにはシーガラスだけでなく、貝がらや流木が使われている。ちなみにリッドが身につけている白と水色のシーガラスが二つ使われているネックレスは彼が初めてつくったものらしい。
 フロルはこの港町を訪れると必ずここに滞在する。フロルにとっては滞在先にもなり、夜になれば小さな舞台の上で花を使った踊りと歌で収入を得ることができる。フロルが来たとなると町の男たちは彼女会いたさに店に来るのでいつもより儲けられる。ウィンウィンである。
 そのとき店のドアが開き、がっしりした体つきの男性が入ってきた。持っている箱には山盛りの魚やエビなどの海産物が入っている。
「おいリッド! 今日の分だぜ」
「おやっさん、いつも悪いな」
 おやっさんと呼ばれた漁師の男性はカウンター席にどんっと乱暴に箱を置いた。並んでいたシーガラスとフロルの朝食が一瞬浮いた。
「おっと、フロルちゃんすまねえな」
「いいえ、朝からお疲れさま」
 フロルは微笑みを浮かべるとおやっさんは、でれっと表情筋がゆるんだ。
「ちょっと、僕のガラスが割れたらどうするんだよっ」
 リッドは慌てながらも慎重にシーガラスを移動させた。
「お前、木やらなこんなんやら集めてるけどな、結局売れてねえじゃねえか。もうこっちの店本業にしちまえよ」
「ざんねーん、ちょっとだけど売れてますー。あとそのガラス、フロルが集めてきてくれたやつだからー」
 それを聞いたおやっさんは気まずそうにぎこちなく笑った。特に気にしていないフロルはさっきと同じ笑みを投げかけた。リッドは魚や魚介類の鮮度や種類を確認しながらおやっさんに言った。
「フロルが集めてくれたやつで、おかみさんになにか作ってやろうかい? どうせおやっさんのことだから、プレゼントなんてろくにしてないんだろ?」
 おやっさんが「馬鹿言え、こうやって仕事行って酒飲んでから帰って寝る。かみさんの手間をかけさせないっていうのがプレゼントよ」などの会話の様子を微笑ましく眺めながら、朝食を食べ終えた。
「それじゃあな、フロルちゃん。今晩も楽しみにしてるぜ」
「ええ、ありがとう。気をつけてね」
 おやっさんが店を去るとリッドは大きくため息をついた。
「君が来ると儲けが出るのはいいけど、みんな長居するんだよなあ」
「それは申し訳ないわね。それじゃあお詫びと言ってはなんだけど、店番を引き受けるわ」
 フロルの言葉を聞いたリッドは表情を明るくした。
「じ、じゃあお言葉に甘えて作業させてもらおうかなー」
 リッドは上機嫌で作品を展示しているスペースの奥にある作業部屋へと引っこんだ。フロルが旅先で集めたシーガラスを抱えて。フロルは笑いをこらえながらその背中を見ていた。
 今は朝の九時半。開店して三時間半。漁師たちの朝食は早いので、もうお客さんの波は落ち着きどうやらランチの仕込みやそのほかの準備は終えているようだ。時々来る業者から荷物を受けとり、片付ける場所がわかる場合はそこに収め、フロルの顔を見る為だけにやってきた男たちにさりげなく飲みものや、リッドが作ったものを勧めるなど、ほぼ店員と化していた。
「それにしてもリッドのやつ、フロルちゃんにぜーんぶさせてなにやってんだ?」
 客の一人の男が言った。フロルはそんな彼にジョッキでエールを出した。
「今作業中よ。私が拾ってきたシーガラスを使ってね。あら、リッドのほうがよかった?」
 男は鼻の下を伸ばしながら「いやいや、フロルちゃんのほうがずっといいよ」と答えた。今度は別の男性客が口を開いた。
「なあフロルちゃん、結局リッドのやつとどういう関係なんだよ?」
 フロルはきょとんとしたあと、小さく笑った。
「ウィンウィンの関係よ。残念ながらみんなが想像しているような、甘い関係ではないわ」
「そうそう。それに僕はちゃんと側にいてくれる人がいいんだ。フロルじゃ無理だね」
 フロルが男性客の質問に答えた直後、リッドが作業部屋から出てきた。リッドの返事にフロルも正反対の意見ではあるが同意した。
「私は自由に旅をさせてくれる人がいいかしら。リッドとは正反対ね」
「まあそうやっていろんなところ行ってくれてるおかげで、この辺りじゃ流れ着いてこないシーガラスが手に入ったりするから」
 それを聞いていた客の一人の「ゴミ集めさせられてフロルちゃんもかわいそうになあ」という一言にリッドは「ゴミだけどゴミじゃないっ」といつものやりとりをしていた。フロルは自然とほかの客たちと一緒に笑っていた。

 夜になるとジェネルは酒で顔が赤くなった、老若男女の笑い声とお世辞にも上品とは言えない言葉が飛び交う。
 そんな中でフロルは店内にある小さな舞台の上に立ち、楽器の調子や踊るときに欠かせない植物の種を入念にチェックした。今宵の楽器は黒のカスタネット。客たちの視線は、旅の踊り子フロルに向けられていた。
 息を深く吸い、吐き出すのは息でなく少し低めの歌声。紡ぐのは古代の英雄の雄姿。
 カスタネットの前奏はしっかりとした足どりのように、一音一音がはっきりとたたかれた。
「駆けろ駆けろ英雄 かつての故郷をその足で再び踏むために
 駆けろ駆けろ英雄 故郷を踏みにじる敵を屠るために

   その右手に握るのは激情の剣 敵を薙ぎ払う炎の剣
 その左手に握るのは勝利の光 故郷を取り戻す眩い道のり」
 テンポの速い曲に合わせてフロルの手から蔦、黄色の花が咲き、空いている手では常に黒いカスタネットを鳴らしている。歌詞や植物の速度に対してフロルのステップは軽い。回転するとピンク色の蓮の花が描かれた、水色のスカートが空のように広がる。
「進め恐れずに 響く足音
 進め恐れずに 響くのは悲鳴
 進め恐れずに 響くは勝利の鐘

 咲き誇るは黄金の花 勝利の蜜を蓄え
 咲き誇るは黄金の花 人々の笑みをたたえ」
 フロルは最後にひと際大きくカスタネットを鳴らした。そして両手から様々な種類の黄色の花をたくさん咲かせ、舞台の上でそれらを客たちへ投げた。細長い花びらのもの、肩を寄せ合うように花を咲かせているもの、何枚も花びらがあるもの、薄い花びらの花。客が声を挙げた。特に前方で花を受けとることができた女性客は嬉しそうだった。フロルは客一人一人と話して回り、大量にチップをもらった。その後二時間後に別の歌を踊ってその日の営業を終えた。

 自分の部屋に戻ったフロルは自身の荷物から便箋と封筒を取り出した。室内に備え付けられているペンには貝がらとシーガラスがつけられている。リッド特製だ。フロルはペンに手をのばした。小さな宿のわりにしっかりしている机の上に便箋と封筒を置いて座る。フロルはさらさらと文面を書き始めた。
『前略 お母さん、タリオ
 お元気ですか。私は相変わらずいろんなところを歩き回っています。今はリッドの宿に泊まっています。旅先で拾ってきたシーガラスを渡すと喜んでいました。
お母さん、体の調子はどうですか。そちらはそろそろ寒くなってきているだろうと思います。ちゃんと体を温めてね。それから体調がすぐれないときは無理をせずに休んでください。どれくらい香りが残るかわからないけれどポプリを一緒に送ります。リラックスや安眠の効果があるそうです。
タリオ、いつもお母さんの様子を見てくれていてありがとう。酒場で働いていた私に旅に出ていいと言ってくれたことは、今でもほんとうに感謝しています。そういえば店長さんは元気ですか? あの人はザルでいくらでもお酒を飲むからいつか体調を崩さないか心配です。それから家の牛や羊たちも元気ですか? 今年もきっとたくさんの子どもが産まれたんでしょうね。目を閉じると今でもあの子たちの首につけた大きな鈴の音が聞こえてきそうです。
晴れた朝に見るこちらの海はとてもきれいです。海面がきらめいて、船が走るように港や漁場に向かって行って。潮の独特のにおいは、牛や羊たちとはまた違っています。ねえ、タリオ。そういえば子どものころのあなたは片手で牛一頭を持ち上げていたけれど、今はどうですか? 両腕でまるで荷物のように、二頭ずつくらい抱えてしまうのかしら。
旅をしているといろんな人たちから、様々な民話や唄を聞くことができます。ちなみに今いる港町では、こんな言い伝えがあるそうです。曇り空で木がしなるほどの乾いた強い風が吹くと、海の神様と風の神様が家族になれそうな人間を探していて、そのときに子どもや女の人が出歩いていると攫われてしまうんだとか。だからそんな日は滅多に人は出歩かないそうです。幸い今のところそのような状況に出会ったことはないので安心してください。
三か月もすればここからも離れて、別のところへまた行ってみようと思っています。それが私の中でのルールだしね。
それではお母さんもタリオも体に気をつけてください。
                               フロル』
 フロルは手紙を三つ折りにし、今回の仕送りを別の封筒に二重にして手紙の間に挟む。手紙と仕送りを封筒に入れると自身の荷物からマッチと封蝋、スタンプを取り出して封をした。
 次の日、郵便も取り扱っている雑貨屋へ向かった。フロルは雑貨屋の店主に手紙を預けた。
(どうか今回も無事に届きますように)
 手紙にそんな願いを込めながら。