ほおずきのランプ亭

イチゴのヘアゴム

 塾があるゆううつな三日が終わると、土曜日と日曜日の楽しい二日間の休みがやってくる。そんな休みの一日に、坂尾亮はわざわざ塾方面の電車に乗っていた。一駅なのですぐだ。三時だと空いている席はたくさんあった。
 駅のホームを出て二日前の夜のことを思い出しながら歩を進める。
「ええっと、コロを見かけたのがここで……それからこっちを追いかけて……」
 先日よりも明るく人の多い駅周辺は、夜とは別の顔になる。それにとまどいながらも、なんとか目的地へ向かう。
「それでここを曲がった、はず」
 亮の目に飛びこんできたのは女性たちの列だった。亮は店の前に立った。その店の看板には黒く流れるような字で『パティスリー スノーチェリー』と書かれていた。看板も白いつるつるとした石でできていた。ほおずきの形をしたランプもない。
「あれ? 道まちがえたのかな……」
 亮は首をかしげながら引き返し、ほかの道にも行ってみた。しかし店のようなものは一軒もなかった。亮がさっきの道にもどってくると、女性の列はなくなっていた。ちりりんというドアベルの音とともにまた一人の女性が出てきた。半透明でしっかりしたビニール袋を持っている。中は白い箱のようだった。女性はほくほくとした表情で亮とすれちがった。亮はそれを目で追って、もう一度店を見た。白くて表面がでこぼこのレンガがお店の高級感と非日常な空気をかもし出していた。亮はおそるおそるドアノブをにぎった。押すとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
 そう言って亮をむかえたのは、髪一本出さないように帽子をかぶったリンだった。先日白い布をかけられていたのは、目の前で女性たちのすき間から見えているケーキのショーケースだったようだ。亮は店のすみに気配を消すように移動した。
「お決まりのかたからどうぞ」
 リンの言葉に女性たちは我先にと手を挙げると同時に注文をした。店にいるのはリンだけなのかレジで会計をすませてはショーケースのもとにもどって、注文されたケーキを用意する、という動作をくり返していた。そんな中でお客さんによっては「ねえリンさん、お休みの日なにしてるの?」だとか「いっしょにディナーに行きませんか?」などと声をかけている。しかしリンはそんな言葉にも笑顔で「みなさまのために、おいしいケーキがつくれるように修業中です」や「もったいないお言葉です。もっとすてきな男性とごいっしょしたほうが楽しいですよ」などと女性たちのさそいを慣れた様子でかわしていた。
 お客さんが一人二人と減っていき、お客さんは全員満足そうな顔で店を出ていった。ドアベルが名残惜し気に鳴ると、ショーケースがはっきりと見えるようになった。ケーキはまるで一つ一つが宝石のようだった。つややかなチョコレートケーキ、カットしたフルーツがあふれんばかりにのせられているタルト、うずもれたくなるような生クリームがたっぷり使われた苺のショートケーキ。ほかにも季節限定のものやテントウムシの形をしたものもある。
「わあ、すっげえ……」
 亮は思わずため息をもらした。どれもきらきらとかがやいていて、亮に「ぼくを食べて」「いやいや私を食べてちょうだい」などと語りかけてくるようだ。
「いらっしゃいませ」
 亮ははっとして顔を上げた。リンが木のトレイとトングを持って亮を見下ろしていた。威圧感があるのはリンが高身長であるだけではないだろう。
「なにかご用か? まさかケーキを買いに?」
「あ、あの、おれ織田にちゃんといろいろ聞きたくって。でも学校じゃちょっとしにくくて。それに夜のほうの店のことも気になってたから。おれ、織田とそんなになかよくないから、電話番号や家もどこか知らなくて」
 リンのあの日の夜のような、鋭い視線が亮にささった。
「それであの店のことを聞いてどうするんだ? ほかの人間にも教えるつもりか」
 亮は全身があわ立った。リンが急にまとい出した空気はまるで歴戦の戦士のようで、少しでも動けば見えない剣できりつけられてしまいそうだった。亮はなんとか声をしぼり出した。
「そ、そんなんじゃなくて、ただ、知りたいだけで。その、悪いことをしに来たわけじゃない、です」
「悪いことをするつもりがある者はわざわざ言わない」
「ほ、ほんとうだって。織田ってクラスじゃずっとひとりで勉強してるし、だれかといっしょに遊んでるの見たことないし、それが魔女の弟子って……。おれ、魔女って会ったのはじめてで、もっと知りたい、んです」
 リンは少し考えるとすらりとした人差し指で亮に向かって円を描いて、今度はケーキのショーケースの外側にあるかべにも同じようにした。指先からはきら光に当たった細かいガラスのような小さな光のつぶが舞った。光のつぶはすぐに消えた。そしてリンが指さしたほうを見た。ケーキのショーケースのななめ後ろ、ケーキなどをつくるであろう厨房の入り口の真横のかべにいつの間にか木のドアが現れていた。
「えっ。さっきまでなかった、よな?」
 亮は何度も目をこすった。そんな亮にリンが説明した。
「きみに魔法をかけた。そこのドアは二階に通じている。部屋に二人はいるが、なにかあれば、わかるな?」
 今にもさされそうな目力のリンに対して亮は何度もうなずいた。ドアに近づくとそこには『ゆるされぬもの、入るべからず』と彫られていた。その字はまるで液だれしているような字で、ホラーものを連想させた。亮はドアをゆっくり開けた。すると目の前にはさっそく階段が上にのびていた。階段の最後の一段が暗闇で見えない。はばがせまくて手すりにつかまっていないと、なにかの拍子で頭から落ちてしまいそうだ。亮は右手側につけられている手すりをしっかりつかんだ。一段上がるごとにキィと音がしてまるで後ろからお化けかなにかがつけてきているようだ。五段ほど上がるとかべがぽうっと丸くオレンジ色に光った。足元を照らすには十分だった。それから五段上がるごとにオレンジ色の光が灯った。亮の手すりをつかんでいる力が少しゆるんだ。
 ようやく階段を上がりきると小さな窓があった。レースのカーテンが強い日差しをやわらかくしていた。亮は窓を背にして立った。左手には木のかべが奥まで続いていて、右手側の手前にだけドアがぽつんとたたずむようにあった。
「外から見たときはもっと広そうだったけどなあ。ほとんどかべじゃん」
 亮はドアの前に立ち小さくノックをした。すると中から「はあい。どうぞお」ときふじのおっとりとした声がした。亮はまず顔だけ出した。するときふじが「あら、坂尾くんだったわよね」と表情を明るくした。きふじは白に近い水色のシャツに黄色のエプロンを身につけていた。なにか作業をしていたらしいひめかは、きふじの言葉を聞いてがばっと勢いよく顔を上げた。
「は? なんで?」
 ひめかはぽかんとしていた。亮はドアをきちんと開け部屋に入った。
「ここに来られたということは、リンがゆるしたってことね。こんにちは」
「こ、こんにちは」
 亮は小さく頭を下げた。教室ではあまり表情を変えないひめかが、あきらかに口をへの字にゆがめていた。
「ちょっと待ってちょうだいね」
 そう言ってきふじは立ち上がって、かべに横向きに打ちつけられている板の上にある、ミニチュアのいすを手にとった。ダークブラウンで赤いベルベットのクッション。そんなドールハウスにありそうないすをテーブルから少し離れたところに置いた。
「さて。『ほらほら元の大きさにおもどり』っと」
 するとミニチュアのいすはぐんぐん大きくなり、あっという間に亮が十分くつろげそうな立派なものへと変わった。
「うおおっ」
 亮はいすをいろんな角度から見たりさわったりした。きふじはそんな亮の反応に満足しているようだった。
「それはものの大きさを変える魔法よ。ふだんは場所をとるからこんな風にしてインテリア代わりにしているのよ」
 しかし亮はきふじの説明など耳に入っておらず、「すげーっすげーっ」と興奮しっぱなしだった。
「まあまあとりあえずお座りなさいな」
 きふじは楽しそうに笑みを浮かべながらそう言った。ようやく興奮がおさまった亮ははたっとさっきまでの自分を思い出した。
(うっわ、はっずかし……)
亮はほほに熱を感じながらいすに座った。三人が丸いテーブルを囲むとまるで逆三角形のようだった。テーブルの上にはケースに入っている色や大きさが様々なビーズとワイヤーが、きふじとひめかの前にあった。きふじは紫色でひめかは青と白のビーズで花をつくっていた。花のサイズは小指の先ほどで一本のなわのように連なっていた。
「さて、なにかご用かしら?」
 いざ話をふられると亮は「ええっと……」と口ごもってしまった。しかしきふじは急かすことなく待ってくれていた。反対にひめかは不満そうにしており、目だけで「早く帰れ」と言っているようだった。
「えっと、いろいろ聞きたくて……」
 きふじはうんうんとうなずきながらも、亮のあいまい言葉からまるで心をのぞいたかのように語り出した。
「ここはね二つの顔があるの。昼間のケーキ屋としての顔と、夜だけ開く魔女のお店としての顔。リンはあまいものをつくるのも食べるのも好きでね、この世界のケーキのおいしさと美しさにひかれて人間のふりをしてまで修業をしてお店を開いた。
 わたしは前に話したようにものをつくる魔女。わたしたちは一人前になると師匠のいる町や村から離れて自分の店を持つの。場所も自分で決めるのよ」
「なんでわざわざ分けた……んですか?」
 亮はぎこちない敬語で尋ねた。
「ここには大好きな人におくりものをしたい動物やふだんなら会うことがない精霊たちがやってくる。このあいだのように明るい内に飼い主から離れることは難しいでしょう? 意外と夜行性の動物も多い。わたしも作業をする時間は必要だし。
 それにリンはおいしいケーキがつくれるだけじゃなくって、あのイケメンっぷりでしょう? だからいっしょにするとリンとケーキがお目当てのお客さんであふれちゃう」
 きふじはじょうだんぽく、手のひらを上にむけ肩を上下させた。そのときコンコンコンッと三回ノックをする音がした。入ってきたのはリンだった。運んできた銀色のトレイには、焼き菓子がたくさんのったお皿とティーセットがのっていた。
「きふじ。そろそろ休まれては?」
「あら、ありがとう。坂尾くん、紅茶は平気?」
「え、えっと、飲んだことない、です」
 亮がそう答えるときふじは「じゃあミルクティーのほうがいいわね」と言ったあとリンのほうを向いた。リンはこくりと一度だけうなずき、慣れた様子で人数分の紅茶をいれた。ストレートティーが二つ、ミルクティーが二つ。ミルクティーは先に牛乳を注いでからティーカップに紅茶をいれていた。そんな中ひめかとリンからビシビシと鋭い視線を向けられているのがわかった。
(うっおお、きっまずー……)
 亮は部屋を見回すふりをした。きふじはまた大きさを変える魔法を唱えて、いすをもう一脚増やした。リンは亮のとなりに座った。亮は座ったまま席を左にずらした。
「きふじ、どこまで話されたんで?」
 リンがそう尋ねるときふじは紅茶を飲みながら「お店のことを簡単に」と答えた。お皿の上にはクッキーやマドレーヌ、亮が名前を知らないおかしもあった。きふじは亮に「どうぞ、召し上がれ」とすすめてくれた。亮は茶色くてふちにグラニュー糖をまぶしているクッキーを手にとって口に運んだ。それはチョコレート味で生地には刻んだドライフルーツが練りこまれていた。サクッとしていてじんわりと口の中でチョコとドライフルーツのあまみが広がる。
「うまっ!」
 亮は思わず声を上げた。リンはまんざらでもないのか口元だけに笑みを浮かべ、ティーカップを持った。亮はミルクティーを飲んでみた。いやな牛乳くささはないが、苦みが残っていてどうにも飲みにくかった。亮はすぐそばにある銀色の容器から砂糖をスプーン二杯分すくって入れた。
「ひめか、きみがなぜここで修業しているのか知りたいそうだよ」
 リンはさらりとひめかに言った。亮はおそるおそるひめかと目を合わせた。ひめかの顔には「それだけのために邪魔しにきたの?」と書かれていた。
「あら、次の日にでも聞けばよかったのに」
「わたしクラスじゃガリ勉って言われて、あんまり話す子がいないんで」
 海斗と英の会話が聞こえていたとわかった亮は、目をきょろきょろとさせた。リンがとなりでじとりとにらんでいるのがわかった。
「なにが知りたいの?」
 ひめかはマドレーヌをとって食べながら尋ねた。そっけなく言ったひめかにきふじは注意した。
「ひめか、そんな言い方しちゃだめよ。せっかく来てくれたんだから」
「師匠、わたし早く修業にもどりたいです」
 ひめかははっきり告げた。
「なんだよ、それ。たしかにいきなり邪魔したのは悪いと思うけどよ、そんな言い方しなくってもいいじゃんか」
「ふだんしょうもないこと言うときはこそこそしてるのに、今は堂々と言うんだ」
 亮は言葉をつまらせた。きふじが口を開きかけたが、その言葉がつむがれることはなかった。
「それは……たしかにおれが悪い。ごめんっ」
 亮は思い切り頭を下げた。そのとき、ごんっとにぶい音がした。テーブルのことを考えていなかった亮は、ひたいを思い切りぶつけた。痛みのあまりに「おおおお……」と両手でぶつけたところをおさえながらうめいた。部屋がしん、とした。亮は痛みでじんじんするひたいをおさえたまま顔を上げた。するとひめかがふき出しておなかを抱えて笑い出した。
「そ、そんなマンガみたいなことっ、ぷっ、あはははははっ」
 亮のとなりのリンは笑いをこらえているのか肩が細かく震え、きふじも「だいじょうぶ?」と亮を案じていたが声が波打っていた。一しきり笑って満足したひめかは「あー、おっかしい」と言いながら指先でなみだをぬぐった。
「いいよ、気にしてないから。っていうか、ごめんね笑っちゃって。おでこ、だいじょうぶ?」
「お、おう。平気」
 亮は未だにじんじん痛むひたいをさすりながら強がった。
「織田ってちゃんと笑うんだな」
「あのね、ロボットでも笑うことができるんだから笑うに決まってんでしょ」
 ひめかがあきれたように言った。
「で、なにをわざわざ聞きに来たの?」
 先ほどとはちがって明るい声色のひめかはにっこり笑っていた。亮が口を開こうとしたとき、リンが立ち上がった。
「どうやらお客さんが来たようです。店のほうにもどります」
「はいはい、いってらっしゃーい」
 きふじは顔の高さくらいで手をふって座ったままリンを見送った。亮はリンのたくましい背中を見送ってふと疑問に思ったことを尋ねた。
「あれ、ドアベルの音ってしたっけ? おれ、なにも聞こえなかったや」
「ああ、彼は元騎士だから気配でわかったんでしょうね」
 きふじはさらりと説明したが亮が反応しないはずがなかった。
「え、騎士ってどういうことなん、ですか?」
 きふじは紅茶を一口飲んでから亮に教えてくれた。
「リンは精霊で騎士だったの。わたしが十代のころだったから、何十年も前ね。大きな戦いがあったらしくて、木にもたれかかるようにして気を失っていたの。そこをたまたま通りがかったわたしが助けたの。ここよりもっともっと遠いところでね。わたしもちょうど自分の店を開く場所を探すのに旅をしていたところだった。なかなか決まらないから外国にも行ってみたりしたのよ。けどやっぱりこの国がよくてね。
 あのときのリンはずいぶんけがをして弱っていたわ。一番強い騎士って言われていたらしいから、よっぽど強い相手だったのね」
 当時の光景を思い出したのか、きふじはどこを見るともなくほおづえをついた。
 そのときボーンボーンとかべかけ時計が五回鳴った。見てみると時計の針は五時をさしていた。
「あら、もうそんな時間? あっという間ねえ」
「あの、師匠。坂尾くんに『あれ』見せてもいいですか?」
 ひめかがきふじに尋ねた。するときふじは「いいわよ、いいわよ。見せてあげなさい」と笑った。亮だけ頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいた。
「なあ、織田。『あれ』ってなんだよ?」
「外に出ればわかるよ。行こう」
 亮はひめかに連れられて店の外に出た。ちょうどリンがドアにCloseと閉店を知らせる、かけ看板をつけようとしているところだった。リンが店内にもどるとひめかは、店の前のかべに亮を手招きした。亮はちらりと横目でひめかを見た。ひめかはじっと店を見ているだけだった。
「なあ、なんで外なの?」
「外じゃないと見れないから」
 ひめかから返ってきた答えは亮がほしいものではなかった。そんな中ひめかは続けて言った。
「なにも知らないほうが、きっとおどろく」
 それはいたずらをたくらんでいる亮の弟の顔に似ていた。二人はかべに背中を預けた。しん、と気まずい空気が流れているような気がした亮は横目でひめかを見た。どうやらひめかはそんな風に思っていないのか、リズムをとるように小さく背伸びしては地面に足をつけるという動作をくり返していた。しかし突然ぴたりとその動きをとめた。
「あ、そうだ。なにか聞きたいことあったんだよね?」
「え、あ、ああ。その、なんでここで修業してんのかなって。織田ってクラスとかでもそういうこと話してるの見ないし」
「実はわたしも坂尾くんと似たような感じでここに来たんだ」
 そう言ってひめかは語り出した。
「わたしの場合はね、近所のおばあちゃんの猫がここに来てたんだ。ミイコっていうんだけどね。六時くらいだったかな。おばあちゃん、ミイコのことすっごくかわいがってたんだ。ミイコは家から出ない猫だったから、おかしいって思ったからついて行ったんだよね」
「でも、追い出されたりしなかったのか?」
「追い出される前にお店の商品見ちゃって。かわいくてきれいで、きらきらしてて……夢中で店内うろついてたら、師匠に声かけられたんだ」  亮はこっそりと目をかがやかせているひめかを想像しようとしたがどうしてもできなかった。ひめかの言葉は続く。
「師匠ね、『あなたはここがどういうお店か知っている?』って聞いてきたんだ。それでお店のことや置いてあるものが魔法のアイテムで、師匠が魔女だってことも教えてくれたんだ」
「……なんかおれのときとずいぶんちがうくね?」
 亮はほほをふくらませた。ひめかは「あはは、そうだね」と言った。
「でもなんで魔女になろうなんて思ったんだよ?」
 亮の質問にひめかは流れ星よりも早く答えた。
「だってすてきじゃん」
「え、それだけ?」
「もちろんそれだけじゃないよ。
 お母さんがね、子どものころに魔女に助けてもらったんだって。お母さん、体が弱かったらしくて十五才まで生きられるかわからなかったんだって。そんなときに薬の魔女に助けてもらったんだって。なかなか手に入らない薬草を採ってきてくれたんだ、お母さんのために。お母さんね、何回も何回もその話するの。だからわたしも魔女に対してなんとなくあこがれがあったんだろうなあ。
 それにね、師匠がつくったものを初めて見たとき……本当に感動したんだ。きれいで、かわいくて、それでもって大人っぽくて……」
 ひめかは思い出しているのかうっとりとした表情を浮かべていた。亮も藤の花のネックレスを記憶の引き出しを開けてみた。美しくはあったが、ひめかが言うような感情は生まれなかった。
「あ、ほら。始まるよ」
 ひめかが店を指差した。亮は言われたとおりに正面を見た。
 ケーキ屋『パティスリー ウィンターチェリー』はミシミシッと耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな音を立てながら、その姿を変えていった。ドアのすぐとなりにある青銅の板から植物の芽が出てきた。看板も白いつるつるとした石のものから、あちこちぐにゃりと曲がりながら木製に変わっていく。青銅の板から芽吹いたそれはぐんぐん成長していき、あっという間に花を咲かせ実がなった。
「ほおずきだ……」
 ほおずきの中の実はぽうっと淡い光を灯し、看板は石から木の板になり書かれている店名も変わっていた。『ほおずきのランプ亭』というものに。
「な……」
 亮は開いた口がふさがらなかった。そんな亮を見てひめかは満足そうに笑みを浮かべていた。
「ふふふ、すごいでしょ? わたしもこれ見たとき、すっごく感動しちゃったんだ。このほおずきのランプがすごくかわいいし、きれい。このランプはね、リンさんのお店から師匠のお店に変わったっていう合図で目印なんだって」
「……これも魔法、だよな?」
「うん。師匠のね。ほら、中に入ろう」
 足どりが軽いひめかとは反対に亮はしばらくその場から動けなかった。

 店内もがらりと変わっていた。ならんでいたケーキは姿を消し、リンがショーケースに真っ白な布をかぶせていた。いつの間に現れたのかテーブルやソファー、商品がならんでいる棚がどっしりと構えていた。
「ここもさっきの外みたいな感じで変わったのか?」
「うん。でもわたし、外が変わるときのほうが好きなんだ。とくにほおずきのランプが出てくるときなんか、こう、実際に植物の成長していく様子を見れてる感じがいいんだよね。ランプもすごくきれいだもん」
「たしかにな」
 ふとひめかは亮のほうを見た。
「坂尾くん、時間だいじょうぶなの? 門限とかあるんじゃない?」
「あ、やっべ。わすれてた」
 二人がそんな風に話していると二階からきふじが下りてきた。エプロン姿からワンピースに着替えていた。太陽の光に当たった葉のような明るい緑で、すそに白い花が描かれている、全体的にふんわりしている。親しみやすいおばさんからきちっとした上品な女性へと変身していた。
「さあひめか。二階からさっきの続きを持ってきてちょうだい」
「はい」
 ひめかは軽い足どりで例のドアから二階へかけ上がって行った。亮はきょろきょろと目だけせわしなく動いていた。そんな亮を見てきふじは小さく笑った。
「そんなに緊張しなくていいわよ。とって食べたりしないから。おうちの門限はだいじょうぶ?  もし平気ならせっかくだから夕食も食べていきなさいな。そうすれば魔女がどんなことをするか、じっくり見ることができるわよ?」
 きふじはウィンクをして言った。亮の心のてんびんがぐらぐらとゆらいだ。塾がない日の門限は六時だ。今から駅にむかえば時間までには家に着く。しかし好奇心という名の分銅が、心のてんびんの皿にどんどんのせられていく。亮はとうとう好奇心に負けてしまった。それがわかったのかきふじは、ケーキをつくる作業場にいるリンに声をかけた。
「リン、今日の夕食は坂尾くんの分も用意してちょうだいな」
「いいんですか、きふじ。その子は……人間ですよ?」
 リンがちらりと亮を見て小声でそう言ったのが聞こえた。
「ええ。でも、ひめかの友達くらいは受け入れられるようにならないとね」
 同じように小声で答えるきふじの顔は作業場の入り口の木枠でかくれてわからなかった。しかしその声音はなんとなくかたいように亮は思えた。ひめかがさっきまで使っていたビーズやそのほかの道具一式を持ってきた。ひめかの足音に気がついたきふじは、ひめかに亮が夕食をここで食べて帰ることを伝えた。
「え、食べて帰るの? 遠慮するでしょ、ふつう」
「う、うっさいな」
「まあまあ、ひめか。そんな意地悪言わないの」
 そのときキィとドアが開く音がした。昼間とちがってドアベルの音がしない。亮はドアの上部を見た。そこには鳴るようなものがついていなかった。
(店そのものが変わったから、ベルもなくなったのか?)
 亮がそんな風に考えているあいだに入ってきたのは一匹の猫だった。黄トラで毛のつやがそれほどないので、ずいぶん生きているのかもしれない。しかしキリっとしていて歩き方も若い猫のようにキビキビしていた。黄トラの猫は亮たちの顔を順番に見た。
「にゃあ」
 目力に反して高めの声で猫は鳴いた。リンは亮を見てからきふじを見た。まるで亮がこの場にいていいのか確認するかのように。きふじはほほ笑みを浮かべて首をたてにふった。
「お客さまでしょうか」
「ええ。ここがうわさの、ものをつくる魔女の店ね」
「ね、猫はしゃべっ、むぐっ」
 亮はとなりにいたひめかに手で口をおさえられた。そして亮のうでをぐいっと引っぱり後ろをむかせて耳打ちをした。
「ここではどんなこともおどろいても顔や仕草に出しちゃいけないの。それで相手が機嫌を損ねちゃうこともあるんだ。下手したら一生人間にもどれなくなったりするんだからっ」
「ま、まじか……」
「まあアタシはだいじょうぶヨ。かれこれ三十年も人間を見ているから、そのぼうやみたいな反応が多いってこともわかっているの。それにアタシにはそこまでの力はないからねえ」
 黄トラの猫は亮とひめかのひそひそ話に自身でつけ足した。亮とひめかはぎこちなくふり返った。黄トラの猫はにっこりと笑った。二人もまるでさび付いたロボットのようにぎこちなく笑った。
「弟子たちが失礼なことを言ってもうしわけありません」
「いいのヨ。子どものすることだもの。ついでに自己紹介もさせてちょうだいナ。
 アタシの名前は……いっぱいあるけど、一番呼ばれているのはキイコ。ケットシーなのヨ」
「ケットシー?」
 亮が首をかしげた。そんな亮にキイコはかんたんに教えてくれた。
「猫の妖精ヨ。ちゃんと王だっているんだから。とても立派なかたでね……」
「申し訳ないのですが、万が一人間が入ってきたときのために姿を変えていただいているのですが、よろしいでしょうか?」
 リンが話を終わらせるようにキャンディーを差し出した。飴玉についての説明を聞いたキイコは「いいわヨ」と後ろ足二本で立ち上がった。そしてキイコはリンから前足で器用にキャンディーを受けとり、口を大きく開けて口内にふくんだ。大きさは亮の親指の関節一つ分くらいで、全体が虹色でマーブル模様を描いていた。キャンディーを食べたキイコはぐんぐんと芽がのびるように、人の体になりながら大きくなった。髪の毛は金髪でところどころはオレンジに近い金色が混じっていた。見た目は四十代後半か五十代くらいのおばさんで、つめは長めで口から八重歯がのぞいていた。
「あら、意外と若いのネ。もしかして気を遣ってくれた?」
 キイコは変化した体のいろんなところを観察していた。
「キイコさん、なにをお求めですか?」
 きふじは手をにぎっては広げたり、軽くその場ではねたりしていたキイコに尋ねた。キイコは動きを止めた。
「そうそう。プレゼントを渡したいの」
「さっき言ってた王さまですか?」
 そう尋ねたのはきふじではなく、ひめかだった。まるでなにかのスイッチが入ったかのように、背筋はしゃんとして目つきもきりっとしていた。急に大人びた雰囲気になったひめかに、亮は少しとまどった。
「いいえ、王ではないの。人間の少女……あなたよりも大きな子に渡したいの。幸せになってもらいたくってネ。そんなものは置いてあるかしら?」
 キイコはひめかを指差しながらきふじに言った。
「ええ、ございますよ。少々お待ちくださいますか」
 きふじはちらりとひめかを見た。するとひめかは小さくうなずき、店内をうろうろしはじめた。
「こちらへどうぞ」
 キイコを奥のテーブルとソファーに案内すると、次にきふじは亮に手招きをした。亮はきふじのとなりに腰を下ろした。少しするとリンがいつの間に用意したのかチーズケーキと紅茶を運んできた。
「チーズケーキは平気ですか?」
「ええ。ときどき猫用のチーズをくれる人がいるからだいじょうぶよ」
 リンはキイコの前にチーズケーキとティーカップを置き、ティーポットから紅茶を注いだ。ふわりと亮やきふじのところまで香りが漂ってきた。
「銀のフォークにアタシにちょうどいい紅茶の温度。とても気が利くわね」
 キイコにそんな風に言われたリンは「いたみいります」と頭を下げた。
「わたしたち妖精は鉄がだめなのヨ。それからアタシは熱いものが苦手なの」
 不思議そうに見ていた亮にキイコが説明した。キイコはリン特製のチーズケーキを口に運んであっという間にぺろりと平らげた。
「師匠、持ってきました」
 うろうろしていたひめかの手に小さなかごを持ってもどってきた。かごの中にはブローチ、ブレスレット、机に置くような小さな花束の置物、コンパクト、懐中時計などがあった。
「今当店にある中で、幸せな人生に導くことができるものはこれらになります」
 きふじの言葉を合図とするように、ひめかは一つずつ丁寧にテーブルの上に置いた。
「すっげえ、全部花だ」
 亮もキイコといっしょになって商品をながめた。きふじは順番に説明しはじめた。
「こちらはクリスマスローズのブローチです」
「ローズって……全然バラっぽくないな」
 四、五枚しかない紫色の花びらをした花のブローチを見て亮は言った。そんな亮に説明したのはひめかだ。
「その花はクリスマスくらいに咲く、バラに似た花だからそういう名前なの。ねえ、もうちょっとつめてよ。座れない」
 亮は言われた通りきふじのほうに寄った。ひめかは亮のとなりに腰を下ろした。さっきまで広々としていたソファーは互いのひじが辛うじて当たらないくらいの距離になってしまった。
「それからそのとなりは、コチョウランのブレスレットです」
 六つの白い花が一組ずつ連なって円を描いていた。その花は亮でも見たことがあった。新しいお店によく置かれている。
「それからこの置物の花はブルースターとホワイトスターです」
 空のような青色と真っ白な花はその名の通り星の形に似ていた。
「なあ、これなにで出来てんの?」
 亮はひめかにこっそり尋ねた。ひめかは亮と同じくらいの声の小ささで答えた。
「樹脂粘土っていう、乾燥させるとかたくなる粘土。透明っぽくなったり、弾力が出て水に強いんだよ」
「そ、そんなものがあるのか」
「最近はちょっとの量で百円くらいで売ってたりする」
 ひめかがそんな風に教えてくれているあいだに次の商品の説明に入っていた。
「このコンパクト……鏡のふたに描かれているのはハボタンです」
「あ、それ見たことある。おれ、これずっとキャベツだと思ってた」
 放射状に広がっているその植物を、学校の花だんに植えられているのを亮は見たことがあった。
「キャベツやブロッコリーの仲間ではあるんだけれど、あんまりおいしくないそうよ。花のようだから花キャベツって名前もあるわね」
 そう言ったのはきふじだった。そして最後の商品である懐中時計の説明に入った。
「この文字盤に描かれている青とピンクの花はヤグルマギクです」
 とがっていて細い花びらが集まるように咲いている、それぞれの花はまるで小さな花火のようだった。
 それらを見つめていたキイコは首を横にふった。
「残念だけど、どれもあの子にぴったりだと思えるものじゃないわ……」
「日にちをいただければオーダーメイドで、プレゼントするものを作ることもできますよ」
「だめなのヨ。最近あの子と会う時間がばらばらだから、会ったときにすぐ渡したいの」
 きふじは「そうですか……」と少し考えると、はっとなにか思い出したように小さく手をぱんっとたたいた。
「プレゼントされるかたの髪の毛は長いですか?」
「うーん、どうなのかしらこれくらいって長いの?」
 キイコは自分の肩より下くらいに手を寄せた。
「十分ですわ。少しお待ちください」
 そう言ってきふじはあわただしく二階への階段を上がった。一分もしないあいだにもどってきたその手には、まだ完成していないヘアゴムと一枚の紙がにぎられていた。肩を寄せ合うように中央にある三つの白い花はビーズでつくられていて、花の左右にはしっかりした布で緑色の葉っぱがつけられていて、葉脈までししゅうされていた。
「これはイチゴのヘアゴムです。あとはこの花の下に実をつけるだけです。この裏につなげて、動くとゆれるようになります」
 きふじはテーブルの上に完成図が書かれた紙を広げ、イチゴのヘアゴムを裏返したりしながら説明した。
「イチゴはガラスでつくります。透き通った赤色です。このヘアゴムは、幸せな家庭で愛し、愛され生きていけるようになる効果があります。それから災いから離れることができます」
商品の効果を聞いたキイコは目をくわっと大きく開いた。
「それでぜひおねがい! あの子にとっても必要なものだワ」
 キイコは悲しそうな表情を浮かべて語り出した。
「アタシは今までに一度も人間に飼われたことがなくってネ。それでも何十年も生きてこられたのはやさしい人間のおかげ。あの子もその一人。あの子がまだまだ小さなころからよく遊んでネ。ごはんもおやつもくれて。ほかにもいろいろしてくれる人間はいたけれど、あの子が一番かわいがってくれた。親は動物がきらいだから飼うことはできないけれど、こっそり家にきたらごはんをくれるって言ってくれて。何回か雨風をあの子のベッドの中でしのがせてもらったこともあったし、けんかをしてけがを負ったときには手当てしてもらえるところに連れて行ってくれてネ。まあ……何回も行きたい場所ではないけれど。いろんな動物が飼い主といっしょに来ていて、みんなあそこは苦手みたいだった。……あら、話がそれちゃったわね。ゆるしてちょうだいナ。
 あの子、今とても苦しんでいるの。なんか、ジュケンっていうの? それをひかえているんだけれど、セイセキが両親の望むところにまで達していないから怒られるって。ばかな親ネ。子どもが生きていることが一番の幸せなのに」
 キイコはため息をついた。
「あの子はとってもがんばり屋なのヨ。公園で鉄の棒で一回転できるように練習したり、ぶつぶつなにか聞き慣れない言葉を言いながら帰っていたり。ああ、そのときはテストがあるとか言ってたかしら。……このごろ、あの子はよく言ってる。『わたしはあとどれくらいがんばったらいいんだろう』って。『もうこれ以上がんばれない』って。……涙を流していた。『キイコがお母さんだったら、いっぱいほめてくれるんだろうなあ』って言われたときにはアタシ、むねが苦しくなっちゃった……。
 それはどれくらいでできるかしら?」
 キイコはすがるような眼差しできふじに尋ねた。
「一時間半……いえ一時間で仕上げます」
 キイコはほっとむねをなで下ろした。
「こちらでおねがい。そのあいだにお代を持ってくるわ」
 キイコはそう言って一度店を出た。
 きふじはすくっと立ち上がり亮に声をかけた。
「坂尾くんもいらっしゃい」
 きふじは二階へ上がった。ひめかがあとに続く。亮もあわてて二人について行った。
 きふじは左側の壁の一番奥まで進んだ。そして腰くらいの高さでなにかをにぎって回す仕草をした。するとかべにぽっかりと長方形の穴があいた。
「うわっ」
 亮が声を上げるとひめかはけげんな顔をした。
「ドアが開いただけじゃん」
「ドア? そんなもんどこにもないじゃんか」
 亮のその一言を聞いたきふじは「ああ」となにやらひとりで納得していた。そして亮の眉間に人差し指をそっと当てた。するときふじの指先から亮のひたい、ひたいから両目におふろのお湯のような心地いい温度がめぐった。きふじの指示どおりまばたきをすると、なにもなかったはずの左側の壁には三つの扉が現れた。
「リンったら、完全には魔法をかけていなかったのね。……いつまでも心配かけさせちゃってるわね」
 そう言うときふじの表情が一瞬暗くなった。しかしすぐに笑顔にもどった。
「さあ、どうぞ。ものをつくる魔女の作業部屋へようこそ、坂尾くん」
 亮はきふじやひめかに続いて部屋に入った。その部屋は作業場であると同時にきふじ自身の部屋でもあるようだった。
 左三分の一には丸いラグがひかれていて、その上には低めのテーブルやソファー、その後ろにはベッドがある。ドアと向かい合うようにたんすとクローゼットが一体化したものが壁際に置かれている。
 残りの右側は作業するスペースになっているようだ。ドアからななめに三歩ほどの距離に、亮の学習机よりも大きなテーブルが、かべから片腕をのばしたくらいはなれて置かれている。真横のかべにはコルクボードがあり、つくるもののデザインや依頼してきた相手について書かれているメモが貼られていた。部屋の奥にはミシンや布を切るときのためか、作業用のものより少し小さめな別のテーブルがあった。布用や道具用の棚に本棚は大きく、特に布用の棚は亮やひめかがかくれられそうなくらいだ。本棚とミシンのあいだには一まとめにされた、何種類ものリボンが中心の輪に棒を通されて飾るようにかたづけられていた。
「さて、と。それじゃはじめましょうか。火を使うから、そこのソファーに座っておいてくれる?」
 亮とひめかは言われた通りにした。きふじは準備をはじめた。
 作業用のテーブルに置かれたのは黒、明るい緑色、真っ赤なガラス棒それぞれ一本ずつとキャンプで使うような置くタイプのバーナー、先ほどキイコに見せたヘアゴム。ヘラにはさみだった。そしていすをテーブルの反対側へ移動させた。
「見やすいようにこっちでやるわね」
 そう言った直後、すうっときふじの表情が変わった。ほほ笑みすら浮かべていない真剣な顔が亮は少しこわく感じてしまった。
 きふじの体の周りから虹色の光がゆらゆらと現れた。その一部がきふじの右手に集まり、針金くらい細い棒のようになった。バーナーのスイッチを入れきふじは左手に真っ赤なガラスの棒を持った。
 バーナーで溶かしていると虹色の小さな光がタンポポの綿毛のようにふわふわと漂ってガラスや道具に溶けこんだ。虹色の光はそれだけでなく、きふじの指先からガラスへと注がれていた。ヘラを使ったりして完成に近づいていくにつれ、イチゴの中には虹色の光がまるで水のようにゆらゆらと淡い光をたたえていた。虹色の棒からイチゴの実をはさみで切り離すと、中の虹色の光はゆっくり消えていった。ヘタのついた、かわいらしいイチゴの実が完成した瞬間だった。
「わあ……すっげえ……」
 亮は思わず声に出していた。きふじは再び真っ赤なガラスからイチゴの実をつくりだした。次々とガラスのイチゴの実がガラス棒から収穫されていく。五つほどできるときふじはバーナーのスイッチを切りガラス棒を置いた。虹色の光をまとわせたまま、冷めたイチゴの実を手にとって確認していく。そして二番目に作ったイチゴの実をヘアゴムの花の裏につなげた。ヘアゴム全体に虹色の光が注がれる。そして土に水がしみこむように虹色の光は静かに消えた。きふじはイチゴのヘアゴムを左右にゆらした。ガラスのイチゴの実がおどった。
「よし、完成よ」
 きふじはにっこり笑って亮とひめかに向かってイチゴのヘアゴムをかかげた。ガラスのイチゴは部屋の明かりを吸ってきらりと光った。
 完成したイチゴのヘアゴムをひめかが台紙に固定して透明で小さな袋に入れているあいだ、きふじはキイコが渡す相手に短い手紙を書いた。それが終わると亮に先ほどの作業の説明をしてくれた。
 虹色の光は魔力であること。つくっているときに魔力を注ぐと特別なアイテムになるということ。そしてそのアイテムを使う人に対して幸運や災いに巻きこまれないように祈ることが必要だということ。だれかを憎んだり恨んだりした状態でつくったものは、呪われたアイテムになってしまうこと。呪われたアイテムをつくってはいけないこと。材料も魔女にしかあつかえないものがあること。
「あのイチゴのヘアゴムは、花に流れ星のビーズ、葉のししゅうには朝つゆグモの糸を染めて使っているの」
 そんな風にきふじは亮の知らない世界について教えてくれた。

 しばらくするとキイコが口になにかくわえて店にやってきた。リンの渡したキャンディーでキイコは再び人の姿になった。透明な袋の上からアイテムを確認したキイコは「まあかわいらしいっ」と声を上げた。きふじは再びひめかにイチゴのヘアゴムを渡した。ひめかが包んでいるあいだにキイコはきふじに代金をはらった。
「これでどうかしら?」
 それはマスカット色の玉だった。大きさは小指の関節二本分ほどで、縦に一本白い筋があり、見る角度によって白い筋の位置が左右に動いた。
「まあ、猫の目じゃないですか。こんなにも貴重なものを?」
「え、目っ?」
 亮がおどろくとキイコが説明した。
「ほんとうの目じゃないわヨ、安心おし。そう呼んでいるだけ。アタシたちケットシーの力の一部を閉じこめたものなのヨ」
「この白い筋が角度によって動いているように見えて、猫のひとみに似ているから猫の目っていうの」
「よ、よかった……びっくりした」
 キイコは目を細めた。
「ぼうやはやさしいね。そういう人間ばかりだといいんだけれど」
 その場で商品を受けとったキイコは店を出ると元の猫の姿にもどった。ふつうの猫とはちがい、後ろ足二本で直立して手に紙袋を持っている。
「ありがとう、ものをつくる魔女。あの子に似合うものをつくってくれて」
 キイコは紙袋の持ち手を口にくわえ直し、猫の姿にもどって夜のやみに消えた。
 きふじは静かにドアを閉めてくるりと亮のほうを向いた。
「どう? 魔女の仕事ぶりは」
「すっげえきれいでしたっ」
 きふじの作業の様子を思い出した亮は興奮気味に答えた。
「ふふ、ありがとう」
「それにしても勉強がんばってるのにほめてもらえないってつらいですね」
 ひめかが言った。きふじも「そうねえ」と悲しそうな顔をした。
「がんばってがんばって、好きなこともがまんして、全力を出して、それでも認めてもらえないのは苦しいでしょうね。
 ……どうか、その少女が家族とともに幸せな道を歩めますように」
 きふじは遠くを見てつぶやいた。亮もいつの間にか心の中できふじと同じことを祈っていた。