壊し屋 01

第1話

 事務所の応接間で一組の男女が各々暇をつぶしていた。男は腕立て伏せをしていた。赤い髪で四角のフレームの眼鏡をかけている。しかし体重を支えている腕は震えており頼りなさそうに感じる。その震えは限界が近づいているためか大きくなり、男は古い木造建築のように崩れた。
「よし、し……新記録……」
「ただの腕立て伏せ九回で新記録とか、どれだけ体力ないんだよ。貧弱トネス」
 達成感と疲れで寝転がっている男――トネス・ナイズに女は雑誌から視線を外さずに言った。艶やかな黒のショートヘアーに白いヘアバンドを身につけ、左腹部には朱色の鳥のような痣がある。それはまるで不死鳥のようにも見える。二人掛けのソファーを独り占めして寝そべっている。投げ出されている少し長い脚にも出している腹部にも傷一つない。
「うっせえ……ライト。お前は体力がありすぎるんだよ」
 トネスは起き上がりながら女――ライトに反論した。トネスは起き上がり応接間の片隅に設置されているガスコンロに向かう。ガスコンロの隣にある水道の蛇口をひねり、水を赤いケトルに注ぐ。インスタントコーヒーを淹れるために湯を沸かすためだ。
「標準だっつーの。お前が貧弱すぎるんだよ。あ、オレもコーヒー飲む」
 ガスのつまみを回しかけたトネスはケトルにもう一人分の水を追加で注ぐ。カチカチ、と音を鳴らしガスが点火する。トネスはガラステーブルを挟んでライトの向かいのソファーに腰を下ろし湯が沸くのを待つ。雑誌のページをめくる音がした。トネスはライトが読んでいる雑誌を見た。ライトの体は壁のほうを向いているため、雑誌の表紙がわからない。
「それ、なんの雑誌?」
「ん?ああ、ファッションブランドの総合雑誌。いろんなブランドの商品が載ってんだよ」
 トネスはライトがブランド商品に興味があることが意外であった。言葉遣いだけでなく足癖も態度も悪くどこを探しても女性らしいところが一つも思い浮ばない人間なのだ。
「けど、どれもオレの趣味には合わねえな。こんなもののどこがいいんだか」
 そう言うとライトは雑誌を閉じた。やはりライトは、トネスの思っていた通りの人物だった。そのときケトルから、ピーッ、と高い音がした。湯が沸いたようだ。その直後、事務所のドアが開く音がした。
「あの……壊し屋『クラッシュ』とはこちらでいいのかしら?」
 ドアを開けたのは齢四十から五十と思われるふくよかで上品な白人女性だった。
「ええ。ご依頼ですか?どうぞ」
 トネスは女性を事務所の中に通した。

「壊し屋にご依頼は初めてですか?」
 トネスが座っていたソファーに女性が、ライトの隣にトネスが座っている。女性の前には来客用のマグカップにインスタントコーヒーが注がれていた。トネスとライトの前にはない。
「ええ。初めてですわ」
「それでは説明させていただきます」
 まるで観察するかのように女性を見ているライトを睨めつけ、トネスは女性に説明を始めた。
「私ども壊し屋は文字通り、お客様から依頼されたものを壊すことが仕事です。我々が壊すものは有機物、つまり生き物以外です。それをご了承していただけます。それから、報酬は必ずお支払いしていただきますようお願いいたします」
 女性は「もちろんよ」と返事をした。トネスは女性に話をするように促した。女性は腕を組み、その中にハンドバッグを守るように持っている。
「どのようなものを壊せばいいのでしょうか?」
 トネスがそう訊ねると女性はにこり、と笑みを浮かべた。
「夫の好きなものを壊していただきたいの」
「はい?」
 トネスは依頼主の言っていることが理解できず、少々間の抜けた声を出してしまった。
「あの、もう少し具体的に話していただけませんか?」
「……元々夫は多趣味で社交的な人でしたわ。ゴルフにテニス、絵画の収集やクルージング。挙げればきりがありません。そのためか、夫はいつしか私よりも趣味や付き合いを優先するようになりました。だから、夫の好きなものが私だけになれば私の元に戻ってくるでしょう?」
「はあ……」
 トネスは女性の極端な考えについていけないことを隠すために曖昧な相槌を打った。女性はハンドバッグの中から手のひらサイズのメモ帳とボールペンを取り出し、なにか書き始めた。書き終えるとメモを切り離しトネスに渡した。
「夫が好きなものです。それから夫が出張で留守の日と、クルーザーを停泊している場所です」
「は、はい……。ただその後の旦那様との仲については……」
「ええ、わかっています。それに戻ってくるに決まっていますもの。そちらにご迷惑はかけませんわ」
 女性はトネスが差し出した契約書にサインをすると静かに立ち上がり、二人にお辞儀をした。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「はい。かしこまりました」
 女性は「失礼します」と挨拶をすると事務所を去った。依頼主のいなくなった事務所でライトはコーヒーを飲めなかった不満からか、依頼主の考え方からか口をへの字に曲げ、テーブルの上に脚を載せた。トネスはライトの行儀の悪さを注意し、湯を沸かし直す。
「あのババア、全身ブランド物だらけだったぜ。ハンドバッグやら指輪、ボールペンまでさっきの雑誌に載っていたやつばっかりだ」
「俺は雑誌にボールペンまで載っていたことに驚きだよ」
 トネスはさっきまで依頼主の女性が座っていたソファーに腰を下ろす。女性に手渡されたメモを見た。
「えーっと、ゴルフとテニス、絵画収集にクルージング……はさっき言っていたな。ほかには陶芸に登山、釣りに……高級車まで集めてんのかよ」
 トネスはライトにメモを渡した。ちょうど湯が沸き二人分のコーヒーを淹れる。真っ赤なマグカップをライトの前に置く。ライトは礼を言うとコーヒーを飲みながらメモを見る。
「これ全部壊したからってババアのところに旦那が帰ってくるとは思えねえけどな」
「まあ、なあ……」
 トネスは苦笑した。ライトはメモをトネスに返した。依頼主の夫が依頼主より趣味や人付き合いを優先するのは依頼主の女性に魅力がないからか、人間関係を円滑にするためか、不倫でもしているうちのどれかだろう。いやすべてかもしれない。トネスもライトもそう思っていた。トネスがもしも夫と同じ立場の場合結婚すらしていないだろう。
「まあ、このメモにあるやつ壊したらいいだけだから楽じゃないか」
「でもどこまで壊すかだよな……。持っているものだけを壊すか、金銭的にもダメージを与えるか……」
 ライトはようやくテーブルから脚を下ろし、天井を仰ぎながら言った。依頼主の夫も子供ではないのだ。自分の金でほしいものくらい買うだろう。ただ、乗り物や絵画を再び収集しようと思うとそれなりの金額になるだろう。絵画に関しては破壊すれば同じものを収集することは限りなく難しい。
「うーん……微妙だなあ。スポーツの道具とかだと買い直せるだろうし。……ま、いっか。旦那が道具を買い直せばまた依頼にくるかもしれないし」
 そう言うトネスの顔をライトはじっ、と見ていた。それに気がついたトネスは「なんだよ」と不思議そうに訊ねた。ライトはまるで弟の成長を静かに喜ぶ姉のような表情で答えた。
「お前もずいぶん裏社会の色に染まってきたなあ、と思ってよ。一緒にこの仕事を始めたころは、えらく依頼主に肩入れしていたから」
 トネスがライトと壊し屋を始めたときは、元は一般人だったトネスと長い間裏社会にいるライトは意見が対立することが多々あった。原因は考え方の違いだ。トネスは表社会の考え方を、ライトは裏社会の考え方をしていたのだ。それは時には表社会では避けられることであり、裏社会では当たり前のことだった。
「そりゃあ、お前と組んでそれなりになるからな。いやでも染まるさ」
 トネスの言葉を聞いたライトはにやり、と満足そうに笑った。トネスはそんなライトに気付かずどのように依頼された物を壊すか頭の中で計画を立てていた。二人で壊し屋をするようになってからはトネスが依頼された物を壊す計画を考え、二人で壊す。物理的に壊す場合は主にライトが、データそのものを壊す場合などは主にトネス、という形が自然と成り立っていた。
「そうだなあ……クルーザーはともかく、ほかは夫がいない隙に壊すしかないな。いつにするよ?」
 トネスはメモをテーブルの上に置いた。ライトはそれを見る。留守の日は五日書かれており、一番近い留守の日は三日後だ。
「一番近い日でいいんじゃねえか?」
「まあな。けど、できれば依頼主がいないときのほうがいい」
「なんでだよ?」
 ライトはトネスに訊ねた。トネスはコーヒーを一口飲み、マグカップを持ったまま答えた。
「もしも依頼主の気が変わってやっぱり主人のものを壊さないでくれって言われたら面倒だろ?まあ可能性は低いだろうけれど」
 トネスは考えた。自分たちの力だけでは夫や依頼主のスケジュールを完全に把握することはできない。答えは一つしかない。
「しゃーない、情報屋に頼むか」
 トネスはマグカップの中に残っているコーヒーを一気に飲み干した。立ち上がり、シンクにマグカップを置く。
「それじゃあ、ブルーに電話するぞ」
「ああ、頼む」
 ライトは腰を少し浮かし、ホットパンツの後ろポケットから携帯電話を取り出した。アドレス帳から「ブルー」という名の人物の項目でボタンを押し、電話をかけた。三度目の呼び出し音で電話が繋がった。
『もしもし』
「久しぶり、ブルー。ライトだ」
『あら、ライト!本当に久しぶりじゃない』
 電話の相手である女性……ブルーはライトの声を聞いて嬉しそうな声をあげた。
『私以外の情報屋から情報買っていたんじゃないでしょうね?』
「そんなことしねえよ。ブルーの情報が一番正確で速いんだから」
 電話の向こうにいるブルーは少し呆れ気味に小さくため息を吐いた。
『本当にそう思ってんだか。で、どんな情報がほしいの?』
 ブルーに促され、ライトは依頼主である女性の一ヶ月間のスケジュールが知りたい、と伝えた。ブルーは一時間ほど待ってほしい、と言うと電話を切った。ライトもツー、ツー、と音を聞くと通話を切る。
「ブルー、なんて?」
「一時間待てってよ」
 ライトはソファーの背もたれに身をゆだねた。何年も使っている安物のソファーには包みこむような柔らかはない。しかしライトはこのソファーを気に入っているので買い換えるつもりはない。
「たまにはブルーのとこに行ってやれよ?お前の姉ちゃんみたいなもんなんだろ?」
 ソファーに座り、新聞を読みながらトネスは言った。
「まあな。けどめんどくせえんだよなあ……絡みが」
 ライトはガリガリ、と頭を掻いた。ブルーはライトがこの町に来たころから交流がある人間の一人だ。ライトのことを妹のように可愛がっているが、最近は「あんたも少しはこんな格好してみなさいよ」とミニスカートなどを着せようとしてくるため、ライトは少しブルーに会うことを避けている。
「いや……ブルーはいい奴なんだよ。けどこう……別に女が女の格好をしなくてもいいじゃねえかってオレは思うわけよ」
「まあ、女性がみんなスカートを穿かなくちゃいけないっていうわけでもないしな。……なあ、お前ってスカート穿いたことあんの?」
 トネスは一瞬新聞を読むことをやめ、ライトを見た。ライトは体をソファーに沈めたまま答えた。
「ガキのころはあったぜ。ほとんどスカートだった」
「えっ!?」
 意外な答えにトネスは目を丸くした。思わず前のめりになってしまった。そんなトネスの反応を予想していたのかライトは淡々と言葉を続ける。
「この町に来てからスカート穿くのをやめたな」
「ふーん……」
 トネスは再び新聞を読み始めた。ライトは携帯電話を再び取り出し、アプリで遊び始めた。二人の間に沈黙が流れる。しばらくするとライトの携帯電話に着信が入った。画面に電話を掛けてきた人物の名と番号が表示される。ブルーからだ。
「もしもし」
『はーい、ライト。あんたの言っていた情報、手に入ったわよ。今からメールで送ってあげる。それから家の間取り図も、ね』
「ありがとう、ブルー。料金はいつものように口座に振り込んでおく。もちろん間取り図の分も」
『間取り図の分はサービスしておいてあげる。今度顔出しに来なさいよ。バイオレットもあんたに会いたがってんだから』
 ライトは姉から注意を受ける妹のように唇を尖らせ「はいはい」と適当に返事をして携帯電話を切った。そして小さくため息をついた。
「トネス、ライトからメールがくる」
「わかった」
 トネスは部屋の片隅に置いてある鞄からノートパソコンを取り出し、電源をつけた。インターネットに接続する。メールボックスには一通のメールが来ていた。ブルーからのものだ。開いてみるとまるで古代文字のような記号が羅列していた。第三者に情報が漏れないようにするためだ。トネスは慣れた手つきで記号を解析する。一分もしないうちにメールの本文が表示された。ライトはトネスのノートパソコンの画面を覗き込んだ。そこには依頼主のスケジュールが細かく書かれている。さらには依頼主の家の間取り図まで添付されていた。
「本当にブルーのやつ仕事が早いよな。一時間でどうやって調べたんだ?」
「あいつ、いろんなところにいろんなもの仕掛けているらしいからな」
 トネスの疑問にライトが抽象的だが答えを述べた。つまりは企業秘密、ということだろう。トネスは依頼主のスケジュールを睨むように見ている。
「うーん……この日がよさそうだな」
 トネスはトントン、と指先で画面を叩いた。それは今日から二番目に日にちが近い、一週間後だった。
「この日は依頼主の夫もいないし、依頼主も彼女の姉と出かけるみたいだ」
「なるほどな。確かにこの日が一番よさそうだ。ほかは短時間しか外出しないみたいだからな」
 トネスは言った。
「それじゃあ、この日に決定だ」
 二人は顔を見合わせニヤリ、と笑った。

 先にクルーザーを壊したトネスとライトは、依頼主の家の前から少し離れ立っていた。それぞれの手にはパソコンと分解した武器が入っている鞄を持っている。クルーザーは依頼主の夫の別荘にある港に停泊されていた。沖に移動させ修理ができぬようエンジンを破壊した上で海の底へと沈めた。爆破するのが一番手っ取り早いが爆音で警察や近隣住民に嗅ぎまわれても面倒だ。
「……それにしても無駄にでかい家だな、おい」
 ライトは少し引き気味に言った。依頼主の家はまさに豪邸という言葉にふさわしい。清潔感のある白の壁、大きな門、横に広い二階建てだ。屋根の縁はよく見ると金色に輝いており、青々と茂る芝生の庭には噴水やプールだけでなく子供用の遊具が設置されている。
「もしかするとそれぞれ部屋一つ分くらいは趣味のものがあるかもな……」
「もしかしてあれが車庫か?……軽く一軒家くらいの広さがあるじゃねえか」
 トネスはちらり、と門の側で左右に首を振り黒く光るものを見た。防犯カメラだ。見たところ豪邸の外には入口や壁含め計五カ所に防犯カメラが設置されているようだ。
「裏口くらいあるだろうから、そっちから行こう。お前は先に依頼されたものを壊していってくれ。俺は防犯カメラの映像を差し替えてから行くわ」
「わかった」
 二人は裏口を探し、敷地内へと入った。裏口の防犯カメラは不審者がいないか見渡していた。防犯カメラの視界に入らないように豪邸に侵入した。
 入った部屋はキッチンだった。リビングダイニングと繋がっている。ガスコンロや冷蔵庫があり、壁は白で統一されて清潔感がある。キッチンは三人ほどすれ違っても余裕がありそうな広さだった。カウンターにはカスミ草が生けられた花瓶が置かれている。いくつも調味料の瓶があり片手鍋やフライパンがインテリアのように壁に掛けられている。二人は小さくうなずくとライトは依頼主の夫の趣味を壊すために、トネスは監視カメラの映像を自分たちが映らないように差し替えるために警備室へと二手に分かれた。ライトは右のドアからリビングダイニングを抜けた。そこはホールで床には赤い絨毯が敷かれておりふかふか、としている。ライトはドアの側にある螺旋階段を駆け上がり、夫の趣味のものが仕舞われている部屋を探した。トネスはブルーが添付してきた間取り図を頭の中から引っ張り出す。警備室はどういうわけか玄関から一番遠い位置にあった。監視室の横は空き部屋だ。
「まったく金持ちはうらやましくて無駄な部屋の使い方をするな」
 トネスは呟いた。ライトとは違い真っすぐ進む。実に座り心地のよさそうな真っ白なソファーや大型テレビの前を視界に入らないように通り過ぎる。事務所や自宅のアパートメントとの差を嫌でも思い知らされるからだ。そのまま進みドアを開ける。そこから十五歩歩くと右手側に一部屋ある。そこが警備室だ。トネスはドアノブをゆっくり、回し押した。鍵はかかっておらず、簡単に開いた。中に入ると小さなテレビ画面が横に三つ、縦に三つずつ埋め込まれるように設置されていた。テレビ画面は家の敷地内を一定のリズムで映している。トネスは屈み鞄からノートパソコンを取り出した。すべての防犯カメラを統括しているコンピューターとノートパソコンをケーブルで繋ぐ。トネスはノートパソコンを床に置き、胡坐をかいてキーを打ち始めた。カタカタッ、という音と共に文字が羅列する。キーボードを叩き終えると防犯カメラの映像は設定した時間帯の映像を繰り返し映すようになった。トネスは満足そうに笑みを浮かべる。ふと、なにかがおかしいことに気がついた。これだけ広い家なのにも関わらず、使用人の一人もいない。依頼主や依頼主の夫が留守とはいえ、使用人がいないはずがない。監視カメラや対象を壊すことばかり考えていたためこの違和感に今まで気がつかなかった。途端にトネスの心がざわめき始めた。急いでノートパソコンを鞄に仕舞い、部屋に侵入者がいた痕跡をすべて消し、急いでライトの元へと向かった。最悪の事態がトネスの頭に浮かんだ。

 階段を上り、ライトはため息をついた。今ライトは二階のホールで腰に手を当てて、この豪邸を眺めた。
「まったく……なんで金持ちの家は共通して横にでかいんだよ」
 そのときライトは背後、左右から人の気配を感じた。ライトは振り向いた。姿は見えないが隠す気がないのか気配がそれぞれ居場所を主張していた。左右の部屋と納戸の中、真正面のバルコニーの左にある夫の部屋の計五カ所だ。その気配は一般人のものとは異なっている。敵意が刺さる。ライトはにやり、と不敵に笑い、腹の不死鳥の痣に触れた。
『我の血に生きし神々よ。汝、冥界より出で我の血と思いに応えよ。死の神、プルート』
 ライトが詠うように唱えると、側に紫色の霧が現れた。その霧は次第に人の形を成していった。霧は夜のように真っ黒な長い髪に紫色のローブを着た、切れ長の目で人とは思えないほど整った顔立ちといった男となった。
『お前の敵か?ライト』
「多分な」
 ライトはウエストバッグから分解した武器を取り出し、組み立てる。計六本の棒をそれぞれつなげると、二本一組のトンファーとなった。古代遺跡から発掘された伝説の金属、オリハルコンで作られている。
「動きを止めてくれ。ただし、殺したりはするな」
『わかっている。お前は命を奪いたいわけではないからな、ライト』
 指示を受けたプルートは契約者であるライトに一瞬穏やかに微笑むと、鋭い目つきになり右手を前に出した。よく見ると髪の毛よりも細い糸が何本もプルートの手のひらに集まっている。プルートはぐっ、と素早く握り拳を作った。糸は切れそうなほどに張り詰める。すると部屋のあちこちから人が倒れる音がした。ライトはプルートの手のひらに集結している糸をじっ、と見つめる。
「その糸を切ったら人間は冥府に行くのか。……命っていうもんは簡単に終わっちまうもんなんだな」
 そう言うライトの顔には喜怒哀楽のどの表情も浮かんでいなかった。ただただ、糸を見つめていた。プルートの手のひらに握られている糸は人の命そのものである。この糸が切れてしまうと糸の主である人間は命を落としてしまう。
『しかし、この糸を切るのは別の神の仕事だ。あまり長い間握っていると、あの三姉妹に叱られるからな』
 ライトはこくり、と頷き依頼されたものを壊すために右の部屋に入った。さっそく壁に所狭しと飾られている依頼主の夫の絵画が目に入った。ライトは絵画に詳しくないので、これらの価値がどれほど高いのかわからないが、純粋に美しい、と思った。太陽に当たった明るい緑にリアルに波紋が描かれた湖の絵だ。ほかにも絵画がある。できることならば持ち帰ってしまいたい。しかしそれでは契約違反だ。依頼されたものはきちんと壊さなければならない。ライトは「もったいねえなあ」と呟きながら拳で絵画を突いた。キャンバスの弾力が伝わり、破けると弾力は夢のようになくなってしまった。ライトはじっ、と拳を見つめた。そして決意するように大きく息を吐くと壁に飾られているすべての絵画を破った。美しかった絵画にはすべて穴が開き芸術品としての価値はなくなってしまった。ライトの心が画家に対する謝罪と後悔で渦巻いているころ、背後から気配がした。ライトは体を反転させながら、トンファーを振り回す。当たった感触はない。
「あっぶねえだろ!」
 声の主はライトの相棒、トネスだった。トネスはトンファーに当たらないよう顔を反らしていた。
「なんだよ、お前か。背後に立つなよ」
「そんなことより、この屋敷変だ」
「ああ。なんでこんなに護衛みたいなやつらがうろついてんだ?」
「それに警備室には誰もいなかった。普通警備室には誰かいるものなのに」
 ライトとトネスは顔を見合わせた。二人が今日この屋敷に来ることが漏れていたのだろうか。それならばいつも以上に警備を強化するはずであり、警備室には必ず誰かいるだろう。
「こんなところには長居しねえほうがいいな。とっとと依頼されたもの壊して帰んぞ」
 そう言うとライトは左の部屋に向かった。トネスもライトと意見は同じだ。トネスは納戸に向かった。
 納戸といってもそこはトネスが想像しているよりも広かった。トネスの部屋より少し広い。
「俺の部屋は納戸以下か……」
 ぼそり、とトネスは呟いた。金持ちと凡人の差にむなしさを感じながら納戸の中を見回した。ここには特に壊すものはないようだ。もしかすると、夫の部屋……バルコニーの左にある部屋にまとめて置かれているかもしれない。トネスは納戸を出てライトと合流する。今度はトンファーを向けられないように、声をかけながら。
「おい、ライト。夫の部屋にまとめてあるかもしれな……」
 トネスは目に映った最後まで言葉を紡ぐことができなかった。今、相棒であるライトは一人の男と対峙していた。男は胡麻塩頭で太い眉で肌は浅黒い。体格はトネスと比べるとはるかにいい。眼力が強く、トネスは幼いころに父親に叱られたときのことを思い出した。
「ちょっと、ライトさん。これどういう状況?」
 トネスがそう訊ねると、ライトはトンファーをくるくる、と回しながら答えた。
「依頼主の夫」
「はあ!?」
 なぜ出張に行っているはずの夫がいるのか、見知らぬ人間であるライトが目の前にいるのにも関わらずなぜ動揺していないのか、など疑問はあるが、今はそれらを押さえこみ現状を正しく把握することが大切だ。トネスは頭をフル回転させる。
「なんか今この男が説明したけど、オレには意味不明で理解ができん」
「ではもう一度ご説明をしましょう。今度は理解していただけるように、もっとわかりやすく」
 そう嫌味っぽく言うと依頼主の夫は口を開いた。ライトの顔の筋肉がぴくり、と動いたのをトネスは見逃さなかった。
「妻が私のコレクションを壊してほしい、と依頼したそうですが、そのように仕向けたのは私なのです」
「は?」
 トネスは予想していなかった夫の言葉に間の抜けた声を出してしまった。
「妻はやきもち焼きなのですが、私もそうでしてね。妻が私以外に興味を持つことが嫌なのですよ。しかし、そこで行動を制限しても反発されるだけ。それならばやきもちを焼かせればいいと思いまして、以前からの趣味を利用したわけです。ですが趣味やコレクションを捨てたつもりはありません」
「つまり、俺たちに退けっていうことだな?」
 トネスは依頼主の夫の長い話が嫌になり、結論を出した。夫は首を縦に振った。おそらく短気なライトはこの話だけで聞く気をなくしてしまったのだろう。ライトが小さく「だったら最初っからそう言えってんだ」と呟いた。やはりトネスの予想は当たっていた。それにしても自分のコレクションや趣味のものを守るためにここまでするだろうか。
「それはできねえな。依頼を途中で放棄したなんて知られちゃ評判が悪くなる」
 ライトは首を鳴らしトンファーを回すのをやめ、構えをとった。
「おい、素人に本気になるなよ」
「お前……それ本気で言ってんのか?」
 ライトは呆れた様子で言った。トネスはなぜライトが呆れているのかわからない。ライトはため息を吐いて説明を始めた。
「あいつ、表向きは製薬会社の社長だけど実際はドラッグまき散らしている組織のトップだ。スリーディー製薬ってとこ」
「え?じゃあ、依頼主も……」
「いいえ、妻は関係ありません。彼女は一般人ですよ」
 夫はトネスの予想を否定した。ドラッグ組織のトップ。はたして夫の言っていることは本当なのだろうか。趣味で集めているものを壊されることを防ぐためだけに護衛を配置するだろうか。そのときふと、トネスはある考えが浮かんだ。 「もしかして、俺たちが依頼されたものの中にドラッグ組織の大切なものがあるとか?例えば名簿や運ばせる予定のドラッグ、とか」
 夫の眉がぴくり、と動いた。トネスはそれを見逃さなかった。
「図星、か」
 にやり、とトネスの口角が上がる。ライトは買ったばかりのゲームで遊ぼうとする子供のように笑った。
「正直お前のドラッグとかどうでもいいけどよ、オレらも仕事なんだ。邪魔はさせねえぜ」
 ライトはちらり、とトネスに目配せしてから夫に攻撃を仕掛けた。夫はライトの攻撃をかわした。ライトの意図を汲みとったトネスは部屋を見渡した。釣り竿、ゴルフクラブ、テニスラケット、陶器、登山道具。高級車を除く、まだ壊していない依頼の品がまるで展示物のように飾られている。トネスはまず釣り竿の元に走った。十本以上ある釣り竿の中から適当に手に取り先端部分を踏み体重を前にかけ折っていく。ライトと夫の勝負は五分五分というところだろう。互いに攻撃を避ける。釣り竿の最後の一本を折り終えたとき、ライトのトンファーが宙に舞うのをトネスは見た。その隙に夫がライトの顔を殴る。ライトは踏ん張りきれずに倒れた。ライトの危機にトネスは陶芸の元に全力で走った。棚に飾られている一本挿しを手に取り夫に向かって投げた。夫の耳を掠り壁にぶつかり、割れる。
「貴様あ!」
 鬼のような形相、とはまさにこのことだ。トネスは恐怖を隠さずいくつも陶器を投げた。ざらり、とした土色の器もあれば赤い植物が描かれた白の大皿など種類豊富だ。これらはおそらく純粋に夫のコレクションだろう。
「やめろ!やめんか!」
 夫がトネスに向かって手を伸ばし走って向かってきた。トネスは雪合戦のように陶器を投げ夫に攻撃した。夫は少しでも多くのコレクションを守ろうと必死に受け止めようとしている。起き上がったライトの視界にテニスラケットが入った。悪戯を思いついた子供のように笑いテニスラケットを手に取った。
「ヘーイ、トネス!パスパース!」
 トネスは言われるまま野球バッドのようにテニスラケットを構えたライトに向かって小さいサイズの陶器を投げた。しかし勢いが足りなかったためかライトに届かず落下した。
「おい、トネスしっかり投げろよー。へっぽこトネス」
「そもそも陶器をボールにテニスラケットでバッティングしようとするんじゃねえよ!あとへっぽこ言うな!」
 ライトは「ちっ」と舌打ちしテニスラケットを膝で折った。とてもトネスにはできないやり方だ。そもそも人体にできることなのだろうか、と疑問に思う。夫はもはやどちらを止めればいいか正常に判断ができず、おろおろ、と何度もトネスとライトを交互に見ていた。
「さて、ほどよくパニクってきたな」
 ライトはいじめっ子のような笑みを浮かべながら折ったテニスラケットを投げ捨て夫の懐に飛び込むと鳩尾を一発殴った。ライトの手に筋肉の感触と手ごたえが伝わる。殴られた夫は気絶し、その場に倒れ込んだ。やれやれ、といった態度でライトは唇の血を親指で拭った。
「さて、全部壊そうぜ」
 ライトは鼻歌混じりに残っているものを壊し始めた。トネスはどっ、と疲れが出て大きく息を吐き、座り込んだ。

 屋敷で依頼されたものをすべて壊した翌日の事務所。口元には絆創膏が貼られたライトがソファーで腹筋をしていた。トネスはその向かいで新聞を読んでいる。そのとき、トネスの携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし。……はい、どうも。……え、それはどういうことですか?」
 トネスの声にライトの動きがぴたり、と止まった。トネスの異変に気がついたライトも腹筋をやめ、見守る。トネスの表情は険しい。通話を終え携帯電話を切ったトネスは大きくため息を吐き、倒れるようにソファーにもたれた。
「どうしたんだ?」
 ライトがそう訊ねるとトネスは頭をがしがし、と掻きながら苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「あの依頼主、報酬払うつもりはないってよ」
「あ?まじかよ!」
「……あれはきっと最初っから払う気なんてなかったな。俺たちを利用して自分の目的さえ達成できたらよかったんだろうさ」
 ライトはトネスの言葉を聞くと携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけた。
「R・Cか。報酬の回収を依頼したい。職別コードはC-06だ」
 R・C……報酬回収協会。表向きは債権回収会社だが実際は、加入者七割が裏稼業の人間で構成されている協会だ。報酬を支払うことを拒否した依頼人から報酬を回収している。もちろん、無料というわけではない。料金は回収する報酬の二割と良心的だ。
「依頼人はドラッグ組織『スリーディー製薬』のトップの妻だ。……そう、そいつだ。報酬は……」
 ライトは慣れた様子でR・Cに報酬の回収を依頼している。このような様子を見ているとトネスは自分とライトの経験の差を感じる。通話を終えたライトは体の向きを変え、ソファーの背もたれに体を預けた。
「さーて、ちょっと報酬は減るが、これで一安心だ」
「なあ、ライト。R・Cって一体どうやって報酬を回収しているんだ?」
 ふと、疑問に思ったことをトネスはライトに訊ねた。ライトは腰を上げインスタントコーヒーを淹れる。
「知らねえほうがいいと思うぜ?回収率が高いってことはそれだけ強引ってことだろうからな」
 言われてみればそうだ。トネスはR・Cの報酬回収方法を考えないことにした。再び新聞を読み始めた。コーヒーの匂いが満ちる。裏稼業の事務所とは思えない穏やかな空気が流れる。トネスとライトは依頼終了後の達成感と安らぎを感じながら時間を過ごした。