壊し屋 02

第2話

 ノートパソコンを入れた鞄を持ったトネス・ナイズは事務所のドアノブを回した。今日は鍵が開いていた。時折鍵がかかっていることがあるのだ。
「おはようさん」
 トネスは鞄を定位置である部屋の片隅に置いた。ソファーに座っているライトは大きな欠伸をしてからトネスのほうを向かずに「おう」と返事をした。寝ぼけ眼で寝間着であるところを見ると先程起きたのだろう。ガラステーブルの上には六枚切りの食パン一枚と朝刊が置かれている。この事務所はライトの自宅も兼ねているため、この姿でいることやドアの鍵がかかっていることも少なくない。
「お前、相変わらず朝に弱いんだな」
「ん……」
 ライトはむくり、と立ち上がるとガスコンロの前に立った。しばらくするとゆっくり、と動きだし小さな冷蔵庫からベーコンと卵を取り出し朝食を作り始めた。トネスはソファーに腰を下ろし、朝刊に手を伸ばした。新聞を読んでいると世間とこの町の時間の流れ方が違う、と感じる。トネスが新聞を読んでいると向かいに朝食を作り終えたライトが腰を下ろした。目はぱちり、と開かれいつの間にか着替えている。ライトは作ったベーコンエッグを真っ白で柔らかな食パンの上に乗せて口に運んだ。半熟の黄身がどろり、と垂れ真っ白な皿を黄色くする。
「なんでそんな風になるってわかってんのに半熟にするんだよ」
「完全に火を通してパッサパサになった黄身なんて食えっかよ」
 トネスの問いにそう答えるとライトは大きな口でベーコンエッグトーストを食べ続ける。壊し屋『クラッシュ』の二人の一日は大方このように始まる。ライトが朝食を食べ終えてからは掃除や事務仕事などをする日もあれば、のんびり過ごす日もある。もちろん依頼をこなす日もある。この日トネスは事務仕事を、ライトは武器のトンファーの手入れをし始めた。
 午後一時ごろ、二人が昼食のピザを食べようとすると、一人の男が事務所を訪ねてきた。黒のスーツに身を包み、黒のアタッシュケースを持っている、三十代前半の男だ。男はR・C……報酬回収協会の人間だった。依頼していた報酬の八割を持ってきたそうだ。金額を受け取るとトネスは領収書にサインをする。接客はトネスの担当だ。態度と口の悪いライトが接客などすれば依頼などたちまち来なくなるだろう。実際に一時期一人で壊し屋をしていたライトの元に同じ依頼人は来なかったらしい。トネスは依頼主がどうなったかは考えないことにした。R・Cが去ってから二人は必要経費を差し引いた金額を二人で分け昼食を食べた。
 一日を過ごしているとあっという間に日が傾いてきた。トネスが自宅に帰る準備を始めようとした、そのとき。キイ、と事務所のドアが開かれた。トネスとライトは同時にドアを見た。事務所の中に入ってきたのは葡萄色のスーツを上品に着こなし、眼鏡を掛けた五十代前後の男だった。穏やかに微笑んではいるが隙がない。
「失礼します。依頼をしたいので……」
 男はライトを見ると大きく目を見開いた。異変に気がついたトネスは男に声を掛けた。
「はい、依頼ですね。……あの、どうかされましたか?」
「あ……いえ」
「こちらへどうぞ」
 男の態度を少しおかしいと思いながらもソファーに座るよう促した。男はトネスとライトの向かいに腰を下ろした。男はディルマン、と名乗った。ディルマンは懐から一枚の写真を取り出し、ガラステーブルの上を滑らせるようにし二人の前に置いた。写真には一人の少女が写っていた。輝くようなオレンジ色のロングヘアーに白のワンピースを着ている。正面から撮ったその顔に表情は浮んでいなかった。八歳くらいだろうか。
「依頼は『これ』を壊していただきたいのです」
 男は事務所にきたときと変わらぬ微笑みを浮かべたまま言った。
「おい、うちは壊し屋だ。殺しなら余所をあたりな」
 普段は依頼主と言葉を一切交わさないライトが口を開いた。不快を隠そうともしていない。いつもなら焦るトネスだが、今日はライトと同じ意見だった。男は苦笑いをした。
「やはり『これ』が人間に見えますか」
 男は自身の顎を撫でながら満足そうに笑みを浮かべた。写真をこつん、と指さし言った。
「ロボットですよ。人間型(ヒューマンタイプ)の」
 近年ロボットの開発が盛んになり、特に人間型のロボットは急速に発展した。開発当初はマネキンのようだったが今では人間と見分けがつかなくなってきている。
「このロボットは我が社の商品なのですが、開発者が勝手にいじったようで逃げってしまったのです。なので、破壊をしていただきたいのです」
「少しお訊ねしたいことが」
 トネスが口を開いた。
「なんでしょう?」
「ロボットの開発には多額の金銭がかかるはずです。回収をしてプログラミングをすれば再び使うことができるでは?」
 途端にディルマンの目つきが鋭くなる。「上の判断なので」とトネスの口にチャックをさせた。ライトはまだ眉間に皺が寄っている。
「この写真に写っている人間型ロボットの破壊依頼、請けてくださいますね?」
 ディルマンは元の穏やかな表情に戻った。ライトの額に青筋が浮かび、怒鳴ろうとしたそのとき。隣にいるトネスがディルマンに言った。
「わかりました。その依頼、お請けします」
「はあ?なに言ってんだ、トネス!」
 ディルマンはトネスの返事を聞くと「ああ、よかった」と安堵した。トネスはディルマンに契約書を差し出しサインをもらおうとした。ライトはトネスの胸倉を掴み、怒鳴った。
「ロボットでも人間だろ……!」
「なに言ってんだよ。ロボットはロボットだ。人間型と人間は同じじゃない。人間型ロボットはロボットで、無機物だ。依頼対象だろ」
「違う!」
「違わないだろ」
 ライトとトネスはしばし睨みあった。先に視線を逸らしたのはライトだった。舌打ちをしてトネスを突き飛ばし、立ち上がり無言のまま事務所を出た。ドアを閉める乱暴な音がライトの心境を表していた。トネスは服装を正しディルマンに謝った。
「すみません、お見苦しいところを見せてしまって……」
「いえ。人間型を壊すことは研究員でも抵抗がある者も少なくありませんから」
 人間の姿をしているため、人を殺めるような感覚に陥ってしまうからだ。制作された人間型ロボットが壊されることに堪え切れず辞めてしまう研究員いるほどである。ディルマンは視線を窓の外に向けながら呟くように言った。
「どれだけ人間が機械を人間のように扱っても、ロボット側からすれば自身が機械であることは変わらないのに」
 トネスがディルマンの言葉の真意を考えている間にディルマンは契約書にサインをした。契約書に記入漏れがないことを確認し、人間型ロボットの詳細を聞いた。


 ディルマンが事務所を去り、トネスはため息を吐きソファーに体を預けた。ライトと意見が衝突したのはずいぶんと久しぶりだ。いつもライトが出ていってしまう。自分の家はこの事務所であるのに、だ。
「……まあ、気持ちはわからんでもないけど」
 トネスは壊し屋を始める前、まだ表社会にいたころロボットの開発・研究をしていた。中でも人間型ロボットを専門としていた。自分が立ちあげたプロジェクトや研究である人間型ロボットを破棄しなければならないことも多かった。罪悪感と悲しみ。その重さに耐えきれなかった何人もの研究員の背中を見てきた。初めは自分も人間型ロボットを破棄することに抵抗があったが、いつしか平気になっていた。ロボットは物、と考えるようになったからかもしれない。トネスは事務所を見渡した。一人でいるにしては広い。探さなくてもライトはこの事務所に帰ってくる。この事務所が彼女の家なのだから。トネスはコーヒーを飲むために湯を沸かすことにした。

「ちょっと、いつまでそうしているつもりなわけ?」
 海のような青い髪を高い位置で一つに結い、雑誌のページをめくっている女性がライトに言った。ライトは女性に寄りかかっている。年齢はライトより三、四歳ほど上のようだ。ライトがトネスと喧嘩をするといつもこの女性の元を訪れる。
「だってお前が来いって言ったんじゃねえかよ、ブルー」
 ライトはブルーに言った。ブルーは読んでいた雑誌を丸めてライトの頭を軽く叩いた。
「喧嘩して逃げてこいなんて一言も言ってないっての」
 奥の狭いキッチンから小柄な女性がくすくす、と笑いながらトレイを運んできた。トレイにはコーヒーが注がれたカップが三つ乗っている。口元に覆われた服と同じ色である黒色の布とスミレ色のショートカットが特徴的だ。ブルーの相棒であり、友である女性である。
「それにしても久しぶりね。ライトがこんな風に喧嘩して転がり込んでくるって」
「バイオレット」
 はい、とコーヒーをバイオレットは二人にコーヒーを手渡した。二人は礼を言って受け取った。
「そうそう。二人でコンビ組んだときはよくあったもんねー。『あいつとはもう組んでらんねー』ってね」
 ブルーとバイオレットは当時を懐かしんだ。ライトはおもしろくないのか、ぷい、と視線を外し、コーヒーを飲んだ。
「……で、今度はどういうことで喧嘩したの?」
 ライトは変わらずブルーに寄りかかったまま事情を話した。人間型ロボットを壊したくない、というライトの思いも含めて。ブルーとバイオレットは茶化さず真剣に聞いた。すべてを聞き終え、ブルーはコーヒーを飲みながら考える仕草をする。
「まあ、トネスの経歴を考えればしょうがないかもね」
「確か元ロボット工学者だったかしら?」
 バイオレットがそう言うとブルーは首を縦に振った。
「それも人間型ロボットが専門。当時は難しかった自分で考えて行動する人間型ロボットを開発したらしいわ。もちろん、そこに感情なんていうものはなくって優先順位を大まかにプログラミングしておいて、判断させるというやり方だったみたい」
 ライトはコーヒーの水面をぼー、と見つめていた。どれだけロボットだ、と言われても写真に写っていた少女はライトにとって人間のように思えてならないのだ。
「そういうことなら同業者のブラックとグレイに相談したほうがいいんじゃないの?」
 ブルーはライトに言った。ライトは首を横に振った。彼らに相談してもきっとトネスと同じ意見だろう。ライトは甘える猫のようにブルーに体を摺り寄せた。ブルーはため息を吐いた。こうなってしまったライトは自分の納得できる答えが得られるまでブルーかバイオレットに甘え続ける。動けないブルーはバイオレットに二杯目のコーヒーを頼んだ。バイオレットはブルーと自分のコーヒーを淹れるためにガスコンロの元に向かった。
「ライトはどうしたいの?トネスを説得したいの?それとも自分が人間型ロボットを壊したくないの?」
 ブルーの問いの答えを出すためにライトは自分の頭の中を整理した。人間型ロボットを壊したくない、という思いも強い。人の姿をしているものを壊すことにはとても抵抗がある。動かない人形とは違う。
「ねえ、ライト。人間型ロボットってだけで壊すことを躊躇っているの?人間型じゃないロボットと、動かない人間とどう違うの?人間の『ように』意思があるかのように見えるから?工場の製造ラインにある機械もロボットよ。製造ラインの機械は壊すのに人間の姿をした『ロボット』は壊さないの?両方機械よ」
 幼い子供に語るようにブルーが訊ねると、二杯目のコーヒーを持ってきたバイオレットがライトに言った。
「この町で生きていくにはそれ相応の覚悟や決意が必要なのは、わかっているでしょ?ライト、あなたは『この町』の壊し屋よ。それが嫌ならこの町で壊し屋なんてしないほうがいいわ」
 バイオレットは二人の前にそれぞれコーヒーを置いた。バイオレットはふと、ライトの顔を見た。さきほどまでうじうじ悩んでいたライトの目には、火がついていた。強い決意が宿っているのは見てわかる。バイオレットの口元ににやり、と笑みが浮かぶ。ライトの負けず嫌いな性格を突いてみたのだ。見事に成功した。ライトは勢いよく立ち上がった。
「……よし、帰る!」
 そう言うとライトは小走りで事務所に帰った。ブルーとバイオレットは壊し屋としての誇りと意地を取り戻したその背を見送った。二人は笑いあうとトネスと仲直りできるよう、心の中でライトにエールを送った。

 コーヒーを飲み終えたトネスはなにをするわけでもなく、ぼー、としていた。悪い癖が出ている。トネスは独りでいるといろんなことを考えてしまうのだ。
 もしも自分が壊し屋になっていなかったら。あんなことがなかったら、自分の人生はどうなっていたのだろうか。
「由梨歌……」
 ぽつり、とかつての妻の名前を呟く。思い出すのは彼女の笑顔、ぬくもり、新たな生命が宿り大きくなる腹部。そして、真っ赤な海に腹部を庇うように沈んでいる最期の姿。研究所から帰ってきたトネスがいつも出迎えてくれる由梨歌の姿がないことをおかしく思いながらリビングのドアを開け真っ暗な部屋の電気をつけると彼女は倒れていた。抵抗したのだろう、部屋には食器や家具が散乱していた。心臓を刺された後、背中を斬りつけられていた。大きくなってきていたお腹を庇うように抱いて亡くなっていた。絨毯に吸収しきれなかった血液が海となっていた。なぜ妻の由梨歌が殺されなければならなかったのか。なぜ自分と彼女の子供の命まで奪われなければならなかったのか。その理由は義父の口から語られることになった。義父は人に恨まれる仕事をしていた。それが娘である由梨歌に飛び火したのだ。由梨歌はなにも悪いことなどしていないのに、だ。お腹の中の赤ん坊は義父の仕事にもっと関係なかった。
 そのとき、事務所のドアが乱暴に開いた。無防備だったトネスの体がびくり、と強張った。ドアのほうを見るとライトが立っていた。走って帰ってきたのだろうか、肩で息をしている。
「おい、トネス」
「な、なんだよ」
 ライトの気迫にトネスは自然と体を引いた。
「人間型ロボットを壊して、でも壊さなくていい方法ってないのか?」
 トネスは一瞬ライトがなにを言いたいのかわからなかった。しかし人間型ロボットを壊したがらなかったライトだ。トネスはライトの足りない言葉を一生懸命頭の中で補った。
「えーと……つまり、依頼主には壊したように思えて本当は壊さないようにするにはどうすればいいか、てことか?」
 トネスがそう訊ねるとライトは「違う」と否定した。
「ちゃんと壊すんだよ。でも、壊さなくていい方法だよ」
「お前……頼むから言いたいことをちゃんと整理して、俺にもわかるように言ってくれ。俺はお前の頭の中は見られないんだよ」
 そう言われライトは腕を組んだ。整理できたのか、再び口を開いた。
「例えばパソコンを壊したいって依頼がくるとするだろ?でもパソコンそのものを壊すことが依頼であって、パソコンのデータを壊すことは依頼に含まれてないだろ?だから、データを壊さなくても契約上は問題ない」
「……つまり、依頼された人間型ロボットのボディだけを破壊して、人格基盤(パーソナルボード)……ロボットの人格を形成するデータは壊さないってことか」
 トネスは指で自分の顎を撫でた。確かに依頼主であるディルマンは写真に写っていた人間型ロボットのボディとデータのどちらか、もしくはどちらも壊すように言っていない。トネスはライトを見上げた。
「お前が言っていることは人間でいうところの、生きたまま脳みそを取り出すことに当たるんだぞ。……それでいいのか?」
 少し、意地の悪いことを言った。トネスなりにライトの覚悟を試したのだ。しかしライトは揺らぐことなくきっぱり、と言い切った。
「いい。脳が、記憶があれば体を与えてまた生活させることができる」
 トネスにとって懐かしい感覚だった。姿を模した機械を人間として扱っていたころの、愛情と切なさと悲しみ。廃棄が決定した人間型ロボットのプロジェクトを存続させようと必死になった日々。ロボットが稼働していたい、と思っているはずがないのに己の心のために、最善の方法を考えていた新人のころの気持ちがトネスの心に蘇る。
「なら、今回は人間型ロボットの『ボディ』の破壊。人格基盤は俺が取り外して、ボディはお前が粉々にぶっ壊すってことだな」
 ライトはいつもと同じ、裏社会の住人としての雰囲気と笑みを浮かべ力強く頷いた。

 二人はブルーとバイオレットから三つの情報を買った。人間型ロボット自身の情報、人間型ロボットの目撃情報、もう一つはディルマンの会社の情報だ。
 人間型ロボットは表向き高齢者向けの愛玩を目的に製作されたことにされているが、実際は違った。本来の製作目的は暗殺用だ。稼働年数は十年ほどになる。製造ナンバーはAI-Me0009だ。AI-Meは通称アイ・ミィと呼ばれており、購入者のほとんどが裏社会の人間だ。
 依頼された人間型ロボット、AI-Me0009はディルマンの会社を逃亡してから一度付近のスーパーで目撃されてから一切姿を見せていない。どこに隠れているのだろうか。まずそこから絞り込まなければならない。
 そして、ディルマンの会社。人間型ロボットの開発が主な仕事であることは確かだが、それらの用途は主に暗殺である。人間型ロボットのほかにコンピューターウイルスの開発、サイバーテロの代行などサイバーテクノロジーを主としているようだ。設立してまだ間もないが顧客は多く、急成長している。人間ロボットの開発には莫大な費用がかかる。それを主力としているからには相当な費用があると考えられる。社長は公の場どころか社員の前にすら姿を現さないため社員の誰かが社長ではないか、という噂がある。
「やっぱり真っ白な企業じゃなかったか」
 トネスがブルーから買った情報をまとめたものを見ながら口を開いた。
「まあ、なんのロボットかは言ってなかったけどな」
 同じものを見ながらライトも言う。
「付近のスーパーで目撃されて以降は行方不明、か。どう思う?」
 ライトは目だけでトネスを見て、訊ねた。トネスは少し考えてから述べる。
「元々暗殺用の人間型ロボットだから姿をくらますことは得意だろう。けど、最近はあちこちに防犯カメラが設置されているんだ、完全に姿を消すことはほぼ不可能だろうさ。それでも目撃がないってことは、もう壊れちまったかどこかに隠れているか」
「人間型ロボットって、ずっと稼働できるものなのか?」
 ロボットについて知識のないライトは訊ねた。
「いや。エネルギーが必要なのは作業用ロボットと変わらない。充電も必要だ」
「充電なしでどれくらい動けるものなんだ?」
「暗殺用ってことは……きっと二週間ほど持つと思う。充電しなくても長期間稼働できるように作られているはずだ」
 しかしそれはあくまで目いっぱい充電した場合だ。もっと短い場合も十分考えられる。しかしこの町から出るには最低でも一日分の充電があればいい。もうこの町から出ているかもしれない。
「まずはこの町にいるかどうか、だな」
「だったらいい神(やつ)がいる。……本当は喚びたくはないんだけどよ」
 ライトは面倒くさそうに頭を掻きながら言った。トネスは最初信じられなかったが、ライトは神という存在と契約を交わし、召喚することができる。本人曰くそういう家系だったそうだ。ライトは立ち上がりソファーから離れた。深呼吸をして目を閉じる。
『我の血に生きし神々よ。汝の聞きし言葉を我に伝えよ。噂の女神、ペメ!』
 ライトの腹部の痣が輝くと隣に真っ白な霧が現れ次第に人の形を成した。長い髪を緩くねじってからバレッタで留めている、二十代半ばくらいの穏やかな笑みを浮かべた女性だ。ゆったり、とした締め付けの少ない白い地味なドレスを着ている。
『久しぶりねライトちゃん。あたし、寂しかったんだからー』
 そう言ってペメはライトに抱きついた。すりすり、と頬ずりをしている。ライトにしては珍しく抵抗せず大人しくしている。
「あー……ペメさん。そろそろいいっすか?」
『えー、もうちょっとライトちゃんと一緒にいたーい!……と言いたいところだけれど、ライトちゃんもお仕事なのよね?』
「うん」
『……わかったわ』
 ペメは残念そうにライトから離れた。ライトはトネスのノートパソコンを持ち上げペメに見せた。
「これに写っている少女がどこにいるのか知りたい。なにか噂はないか?」
『ちょっと待ってね』
 ペメは目を閉じ、耳を澄ました。ライトとトネスは様子を見ている。ペメは噂そのものが神になった。そのため身内同士の些細な噂から都市伝説まで、世界のあらゆる噂話を知ることができる。三十秒ほど経つとペメは目を開いた。
『ここから北に二キロ行ったとこにある屋敷に双子の姉妹がいるみたい。裏社会の人間ね。最近屋敷から姉妹と一緒にその子が出てくるのを見たっていう噂話があるわ』
 トネスとライトは互いに顔を見合わせ、頷いた。ライトはペメに礼を言った。
「ありがとう、ペメ。助かった」
『ライトちゃんのお役に立ててよかったわ』
 ペメは両手を胸の高さで左に傾けて合わせ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
『寂しいわ、ライトちゃん』
「悪いな。出来れば早く見つけたいんだ」
『……わかったわ。でも今度こそ一緒にお茶しましょうね』
 ペメはライトの手を包みこむように握った。ペメの気迫にライトは頷いてしまっていた。ペメは約束を取り付けたことに満足し、還った。ライトはどっ、と疲れが出てソファーに倒れ込む。
「……疲れた」
「だから喚びたくなかったのか」
「でもいい女神(やつ)なんだよ」
 トネスは腰を上げた。アイ・ミィの居場所がわかったのだ。ライトが思いついた人格基盤を別のボディに移す計画を実行するには迅速に行動をしなければならない。それはライトもわかっているらしく、起き上がり自分の部屋から組み立てる前のトンファーを持ってきた。
「よし、行こう」
「ああ」
 トネスとライトは気合を入れ、事務所を後にした。

 ペメの言っていた屋敷の前で車が止まった。トネスの車でハンドルを握っているのはライトだ。
「ここだな。……お前この距離で車酔いするとかどんだけ軟弱なんだよ」
「……お前の運転が乱暴なんだ。……あー、気持ち悪い」
 トネスの顔色は悪く、口を押さえている。その様子をライトは横目で見て呆れていた。しかし今回はトネスの軟弱さではなくライトの運転の仕方が原因なのだ。道が平坦でなくてもスピードを出し、カーブを曲がるときもブレーキをほとんどかけない。いつもなら置いて行くところだが、今回はトネスがいなければアイ・ミィから人格基盤を取り出すことができないため、しばらく待つことにした。しかし怪しまれてはいけないのであまり長い時間留まることはできない。
「二分後には屋敷の中に入るぞ」
「え……もうちょっと休ませてくれよ……」
 ライトはトンファーを組み立て始めた。トネスはライトが二分も待つ気などないことを察した。逆流してきた胃液を無理やり飲み込む。トンファーの組み立てを終えたライトはなにも言わずに車から降りた。トネスは諦めて車から降り少しでも気分をよくしようと大きく息を吸った。
「手入れのいき届いてねえ庭だなあ、おい」
 屋敷を見たライトが感想をこぼした。雑草は何者にも邪魔されることなく伸び放題で、よく見るとレンガで花壇らしきものもあるが雑草しか生えていない。元は真っ白であったであろう屋敷の壁は薄汚れ蔦が巻きついている。二階建てのどの部屋も深紅のカーテンが閉められており、中の様子を知ることはできない。
「こんだけ雑草だらけだといろいろ仕掛け放題だろうな」
 ライトは塗装が剥げ錆びてしまった門に足を掛け、屋敷の敷地内へと侵入した。あまり気分がすぐれないトネスも門に脚をかけ、侵入する。しかしその姿はお世辞にもかっこいい、とは言えない。門に足を掛けるだけで手間取り、着地する際も足元を見ながらつま先で地面との距離を測っている。そして着地し敷地内に侵入するときも足を滑らし、尻もちをついた。ライトはそんなトネスを見て運動神経の悪さに呆れ、溜息を吐いた。二人は罠がないか警戒しながら屋敷の玄関へと向かう。
その様子を二階のカーテンの隙間から見ている二つの影に、トネスとライトは気がついていなかった。

 トネスとライトは屋敷のドアを開いた。
屋敷の中はお化け屋敷のような外観とは正反対だった。大理石の床に赤い絨毯が敷かれており、入って真正面には階段がある。階段は踊り場から先は左右に分かれている。トネスは階段に近づき、手すりを指でなぞった。
「埃がない、ということはここには人の出入りがあるってことか」
「おいっ」
 ライトはトネスを突き飛ばした。いや、蹴り飛ばした。突然の出来事にトネスは驚く間もなく床に転んだ。
「いってえな!なにするんだよ!」
「見ろ」
 言われたトネスはさっきまで自分とライトが立っていた場所を見た。床には銃痕が二つできていた。もしもライトが蹴り飛ばさなければ銃弾はトネスの体を貫いていただろう。トネスはぞっ、とした。
「……どうやらあいつらが撃ったらしいな」
 ライトは二階を見た。左右に一人ずつ少女が銃を構えている。左にいるのは雪のように真っ白なショートカット、右にいるのは夜のように艶やかな黒いロングヘアーで印象は違うが、よく見ると同じ顔をしている。ガラス玉のように真ん丸な目はつり気味でおそらく双子だろう。年齢はアイ・ミィと同じくらいだろうか。しかし、その顔つきは裏社会で長い間生きてきた人間のものだった。
「あんたたち、なに?」
「ここになんの用?」
 トネスとライトを狙ったまま双子は訊ねた。ライトはふざけて両手を挙げた。
「ここに一体の人間型ロボットがいるって聞いてな。オレンジ色のロングヘアーでお前らと同い年くらいの」
「そんなのいない」
「いない!」
 双子は同時に発砲した。トネスとライトの足元に銃弾がめり込む。思わぬ発砲に驚きはしたがトネスは双子の反応を見てにやり、と笑った。
「じゃあ、お前らを心配そうに見ているあの子は誰だ?」
 白髪でショートカットの少女は後ろを、黒髪でロングヘアーの少女は左側の部屋のほうを弾かれたように見た。その隙をトネスとライトは見逃さなかった。ライトは持ち前の瞬発力で階段を駆け上がった。
「ライト、アイ・ミィはショートカットの子のほうにいる!」
「わかってらあ!」
 いくら裏社会の世界が長いといっても所詮は子供だ。鋭いところを突かれればムキになって否定し、カマを掛ければすぐに引っ掛かる。トネスもライトのあとに続く。ライトは階段を駆け上りながらプルートを喚び出した。紫色の霧が人の形を成し、顔の整った男性となる。双子は自分たちの失敗に気が付き、舌打ちをしてそれぞれ引き金を引こうとする。喚び出されたプルートがふわり、と空中に浮き、白髪の少女の首根っこを掴み、一階の床へと叩き落とした。
「そいつらの相手は任せたぜ、プルート。おい、トネス早く来い」
『ああ』
「お前が速すぎるんだよ!」
 トネスは必死に走りライトに続く。黒いロングヘアーの少女はトネスに狙いを定める。しかし、自分の片割れと同様一階の床に叩き落とされた。双子は痛みに呻きながらなんとか体を起こし、プルートを睨みつけた。
『さて楽しませてもらおうか』
 プルートはまるで観客のようにゆったり、と腕を組み双子を見下ろした。

 トネスがアイ・ミィのいると思われる部屋の前に着くとライトは何やら困っている様子だった。
「どうかしたのか?」
「……ドアが開かねえ。オレがトンファーで殴りかかってもびくともしねえ」
 木製のドアなら蹴るだけで蝶番ごと破るができるライトでもびくともしていないことに、トネスは心の底から驚いていた。一見すると何の変哲もない木製のドアだ。トネスはドアの性質を確かめるために軽く叩いた。コンコンッ、と木の音がするが感触は鉄だ。
「これ、多分鉄板が挟んであるんだ。だからお前でも壊せなかったんだよ」
「どうする?」
 トネスは鞄の中からノートパソコンと文庫本ほどの大きさのプラスチックケースを取り出した。プラスチックケースの中は横四つ、縦三つの計十二個のマスに区切られている。そこからスーパーボールほどの大きさの黒い球体を二つ取り出した。それぞれを蝶番についている位置を予想し、球体を押しつぶし接着させる。まるでガムのようだ。トネスはドアから五歩ほど遠のいた。
「ライト、下がれ」
ライトもトネスと同じくらいの位置まで下がった。それを確認したトネスはキーボードで入力をし、エンターキーを押した。すると球体だったものが小規模な爆発を起こした。
「うお!なんだ?今の」
「ちょっとした爆弾だ。俺のパソコンから指示を出して爆発させるんだ」
 爆発により発生した煙が晴れる。ドアは完全に吹き飛んではいないがヒビが入ったようだった。ドアに近づきライトは爆発したところを軽く押し感触を確かめた。ぎしり、と今にも倒れそうになっている。ライトは体当たりをした。すると、あれだけ頑丈だったドアは簡単に前へと倒れた。どしん、と床にドアが軽くめりこんだ。
「お前……鉄板入ったドア倒すとかどんだけ力あるんだよ」
「うるせえ」
 二人は部屋の中に入った。するとそこには一人の少女が椅子に座っていた。オレンジ色の長い髪。アイ・ミィに間違いない。窓辺に佇むその姿は儚げでまるで一枚の絵画のようだった。アイ・ミィはゆっくり、トネスとライトのほうを向いた。
「……ディルマンの使いの方ですか?」
「半分正解。半分はずれ」
 トネスの回答をアイ・ミィは理解できず、首を小さく傾けた。ライトはアイ・ミィに近づくと片膝をつき、説明した。
「確かにオレたちはディルマンに依頼されてお前を壊しに来た。けどオレたちが壊すのはお前のボディだけで、人格基盤は壊さない。お前を殺したりはしない」
 アイ・ミィは俯いた。首を横に振る。
「私を壊して下さい」
「なんでだよ?お前……」
「私がいることによって、あの子たちに迷惑がかかってしまいます」
「あの子たちって、あの双子か?」
 アイ・ミィは頷いた。アイ・ミィはライトに懸命に訴えた。
「あの子たちは悪くないんです、私のことを人間だと信じていて命を狙われているからと親切にしてくれているんです。それに私は……たくさんの人を殺めました」
 ライトが辛そうに話すアイ・ミィの頭を撫で宥めている中、トネスはアイ・ミィの様子を観察していた。発言、表情、仕草すべてを見逃さんとアイ・ミィを見つめていた。そして、あることに気がついた。それは元ロボット工学者という立場から見ると信じがたいことであり、もしもそうであるなら感激することだった。
「いくつか聞きたいことがある。いいか?」
 アイ・ミィは静かに頷いた。
「作られた当初暗殺に抵抗はあったか?」
「いいえ。別のプログラマーが私のプログラム担当になってからです」
「そのプログラマーから最後にインストールされたプログラムはなにかわかるか?それから暗殺を嫌だと思うようになったのは最後にプログラムをインストールされてからか?」
「はい、そうです。けれどプログラムがなにかまでは……」
「……わかったぞ」
 トネスの中で予想が確信へと変わった瞬間だった。
「なにがだよ?」
 ライトはトネスに訊ねた。トネスは下唇を指先で撫でながら口元に笑みを浮かべている。なにかヒントを見つけたときや確信を得た、ナイスアイデアを思いついたときのトネスの癖だ。
「ディルマンが俺たちにアイ・ミィの破壊を依頼した理由だよ」
「なんだよそれ?」
 トネスは自分の考えを整理しながらライトに説明を始めた。
「アイ・ミィに感情をプログラムしたからだ。暗殺用のロボットに感情はいらない。感情プログラムのデータを消すことがディルマンの目的なのか」
「感情プログラムってなんだ?」
 それはロボットについて素人のライトからすれば当然の疑問だった。
「感情プログラムっていうのは名前の通り、人間の感情をプログラムにしたもののことだ。ただし実際に感情があるわけじゃなくて、感情があるように見せることができるだけだ。感情プログラム専門の研究者がいるくらいだ。
 感情プログラムは人間の感情を時と場合のすべてをプログラムにしなくちゃいけない。例えば『泣く』っていってもいくつも種類があるだろ?悲しくて泣く、嬉しくて泣く、面白くて泣く、悔しくて泣く……。それらすべてをプログラムとして製作しなければ感情があるように見せることはできない。これだけ感情豊かなロボットにするには相当な感情のパターンをプログラミングさせているんだろうさ」
「……つまり?」
「……暗殺ロボットに感情なんていらないし、感情のデータなんて存在して自分の会社のほかのロボットになにかあったらいけないから感情のあるアイ・ミィを壊そうとしたってこと」
 ライトは途中でトネスの言葉を理解できなくなったのか、簡潔な答えを求めた。トネスは自分の説明力不足なのかライトの知能が足りていないのか疑問に思いながら答えた。ライトはようやくトネスの言いたいことがわかった。ディルマンはボディではなく、人格基盤の破壊を望んでいるのだ。
「だからってどうした。あいつははっきりとそんなことは言ってねえじゃん。だからオレたちはボディだけ壊せばいいんだよ」
 そうトネスに言うとライトは立ち上がり、アイ・ミィを見つめしっかり、しかし優しくアイ・ミィの体を抱きしめた。アイ・ミィは目を丸くする。
「この世界は意外と懐が広いんだよ。生き物もそうじゃないやつも受け入れてくれる。だからお前は壊されなくていいんだよ。世界はきれいだぜ。一緒に見よう」
 ライトはトネスが今まで見たこともない、穏やかで優しく聖母のように微笑んでいた。アイ・ミィは初めての経験に戸惑っているようだった。
「私は……稼働していていいのですか?」
「ああ、もちろん」
 ライトの返事を聞いたアイ・ミィはライトの服を掴み、声をあげて泣き始めた。自分の存在によって他人を巻き込んでいることに罪悪感を抱き稼働していてはいけないと思いながらも、稼働していたいと思っていたのかもしれない。ライトは抱きしめたままアイ・ミィの背中を優しくあやすようにとんとん、と叩いた。トネスはロボットでも人間と同じように扱うことができるライトを少し見直していた。アイ・ミィの目には涙を模した水が流れていた。
 しばらくするとアイ・ミィは落ち着き泣きやんだ。そしてトネスとライトとともに双子の元に向かった。一階に戻るとすり傷だらけになった双子が銃を捨てアサシンナイフを握りプルートを睨みつけていた。
「おい、プルート。もういい」
 プルートはライトの姿を確認すると、双子に背を向けずにライトの左隣に寄り添った。
『あの双子はなかなかいい戦闘センスの持ち主だ。アレスが喜びそうだ』
 トネスは両手を挙げ戦う意思がないことを表し双子に言った。
「話がある。聞いてくれ」
 トネスは双子にアイ・ミィのボディのみを破壊し、人格基盤は破壊せず別のボディに移すことを話した。初め双子は話の内容を理解できなかったようだが、ボディが変わるだけでアイ・ミィが稼働し続けることを理解すると喜びをあらわにした。
「けどいくら人間に見えてもロボットだ。整備が必要だからこっちで引き取りたい」
「……離れ離れになっちゃうの?」
 ショートカットのほうが悲しそうな表情でトネスに訊ねた。その問いにトネスより先にライトが答えた。
「んなもん、事務所に遊びにきたらいいじゃねえか。なあ?」
「ああ」
 双子の表情は見る見るうちに明るくなりアイ・ミィに別れを告げ、必ず遊びに行くと約束を交わした。トネスとライトはアイ・ミィを車に乗せた。
「あ、待ったライト」
「なんだよ?」
 運転席に乗り込もうとしたライトをトネスは止めた。
「俺が運転する。お前の運転は荒いんだよ」
「お前の運転ちんたら走っておっせえんだよ!」
「普通の安全運転だよ!」
 トネスは半ば無理やり運転席に乗り込み、アイ・ミィを助手席にライトを後部座席に乗せると次の目的地へと向かった。

「ほー。ここがお前の元職場ねえ」
 ライトは目の前の建物を見て言った。真っ白でどこか学校の校舎を彷彿とさせる。門には警備室がある。トネスは警備室で待機している警備員に話しかけた。
「トネス・ナイズと申します。アレックス・サンジェスト研究員と五時からアポイントをとっているのですが」
 警備員は手元に置いてあったファイルを開き、確認した。無事に建物の中へと通された。トネスの後にライトと茶髪のカツラを被ったアイ・ミィがついて行く。
 建物の中はトネスが退職したときと変わっていなかった。ライトは内部をきょろきょろ、と物珍しそうに見ていた。受付で警備室と同じ手続きをして、内部の地図で同僚だったアレックスの研究室を確認すると三人はエレベーターに乗り込んだ。三階につき、右に進み角で一度曲がり手前から数えて三つめの部屋がアレックスの研究室だ。ドアには彼のトレードマークである犬のイラストが貼られている。トネスはコンコンッ、とノックをした。中から入室を許可する声が聞こえた。部屋中にロボット製作に必要な道具が置かれており部屋の真ん中に布を被せられた、横幅が人二人分ほどの作業台が設置され、パソコンは四台もある。作業台にはなにか置かれているのか膨らんでいる。パソコンの一つの前で作業をしていたアレックスは手を止めた。
「よお、アレックス」
「久しぶりだな、トネス!」
 アレックスは立ち上がり、二人はハグをした。アレックスはライトとアイ・ミィを見た。
「んで、人間型ロボットはどっち?」
「子供のほうだ。悪いな、急に」
「いいぜ、別に。道具も作業台も好きに使ってくれ。それにしてもお前感謝しろよ。これ探すの大変だったんだぜ」
 アレックスは作業台の布を外した。そこには目を閉じた少女のボディが横たわっていた。空色のボブカットで年齢はアイ・ミィのボディと同じくらいだろうか。
「懐かしいよなあ、このボディ。俺らの研究チームで初めて中止になったプロジェクトのやつ」
「ああ。それにしてもよく残していたな。これ、廃棄処分出ていただろ?」
「……俺たちの娘であり妹であるロボットにそんなことできるかよ」
 アレックスは痛みを隠すように笑い、トネスに新品の白衣を渡した。それを受け取ったトネスは興味深そうに部屋を見回しているライトに言った。
「今から作業するけど、お前はどうする?外でもうろついとくか?」
 ライトは真顔で首を横に振った。
「見ておく。全部」
 トネスは「そうか」と返事をし、アイ・ミィのほうを向いた。
「今から人格基盤をこのボディに移植する。電源を落とすぞ」
「はい」
 トネスはアイ・ミィの体を触り電源を見つけた。電源をオフにするとアイ・ミィは眠るように目を閉じ、倒れ込んだ。トネスは金属でできた小さな体を受けとめた。見た目よりも重いボディをなんとか抱きかかえるが持ち上げられないためアレックスの力を借りた。
「お前……なんでそんなに弱いんだよ」
「うるさいっ」
 その様子を見たライトは理解できないと言いたげな顔でトネスに言った。トネスは白衣を羽織り、道具を手に取る。トネスは大きく息を吐き、真剣な顔つきでアイ・ミィの人格基盤を取り出し始めた。

 トネスは一つ息を吐き、アイ・ミィの新たなボディを点検した。
「……よし、これでいいな。起動させるぞ」
 トネスはアイ・ミィの新しいボディの電源を入れた。すう、と眠りから覚めるようにアイ・ミィは目を開いた。
「おはようアイ・ミィ。ゆっくり体を起してみてくれ」
 アイ・ミィはトネスに言われた通りゆっくり、上体を起こした。トネスは手から順に体をアイ・ミィに体を動かせた。特におかしいところはないようだ。
「新しいボディはどうだ?」
「……なんだか感覚が鈍くなったような気がします」
「まあ元のボディの感覚が鋭すぎたんだ。それくらいが普通だから安心してくれ」
 アイ・ミィは手を握っては広げを繰り返していた。どうにも違和感があるようだ。
「まあ、すぐに慣れるだろうさ。ライト、ボディを運び出すぞ。破壊するにはここじゃ研究の邪魔だ」
 トネスはアレックスにダンボールをもらい、アイ・ミィの以前のボディを胎児のように丸め詰め込んだ。アレックスは台車を貸すと言ってくれたがライトが軽々と持っている姿を見ると目を丸くしていた。
「アレックス、サンキュ。助かったよ」
「あ、ああ。それにしてもあの子すごいな……。普通、ロボットのボディをあんな風に引っ越しの荷物のようには持てねえよ」
「あいつ馬鹿力なんだよ」
 トネスが苦笑するとアレックスはトネスをじっ、と見ていた。それに気がついたトネスは訊ねた。
「なんだよ?」
「いや……ちょっと安心したよ。だって、お前その……ユリカさんが亡くなって連絡がつかなくなっただろ?だからどうしてんのか心配だったんだ。……今の仕事については、聞かないほうがいいか」
「ああ、研究を続けたいのなら」
 アレックスは「そうか」と少し悲しそうに笑った。彼にはトネスがもうロボット工学の世界に戻ってこないことがわかっていたのかもしれない。トネスはアイ・ミィに再び茶髪のカツラを被らせた。
「それじゃあな、アレックス」
「……ああ、じゃあな。トネス」
 アレックスはきっともう会えないであろう友の背中を寂しそうに見送っていた。

 トネスとライトは事務所に戻ってきた。もちろんアイ・ミィとアイ・ミィだったボディも一緒だ。ライトは段ボールを床に置き、ガラステーブルやソファーも移動させ、アイ・ミィだったボディを取り出した。
「それで、どこでこのボディ壊すんだよ?」
「そうだなあ……」
 トネスはちらり、とカツラをとり空色の髪になったアイ・ミィを見た。感情プログラムの宝庫といっても過言ではないアイ・ミィがかつてのボディを目の前で破壊されどのような反応があるか気になったからだ。
「どうする?アイ・ミィ。外に出ておくか?」
「あの……ボディは粉々にしてしまうのですか?」
 一瞬考えてアイ・ミィはトネスに訊ねた。トネスは首を縦に振った。アイ・ミィはオレンジ髪のボディをじっ、と見つめた。
「このボディにいたことを忘れないように一部を持っていたいんですけど、いいですか?」  バラバラに破壊したボディの一部を持たせることは危険なことだ、とトネスは判断した。もしも依頼人であるディルマンが万が一ボディを調べ、なくなった一部を探して来い、など言われてしまえば面倒である。その旨を伝えようとしたトネスよりも先にライトがハサミを持ってきてオレンジ色の髪を根元から適当な本数を切り、アイ・ミィに渡した。
「これでミサンガでも作ればいい。作り方は教えてやるから」
 自分の一部であった太陽のような髪を受け取ったアイ・ミィはそれを見つめ、頷いた。
「私の目の前で壊してください。私が人を殺めてきたことを忘れないために、そして新しい生き方のために」
 トネスは元ロボット工学者の顔になっていた。踏んでも起き上がるイネ科の植物のような感情プログラムは、まるで人間のようだ。いや人間以上だ。
「んじゃ、壊すぞ。いいな?トネス」
「ああ」
 ライトはトンファーを組み立て、一呼吸を置くと表情を変えずにボディをトンファーで強く叩いた。まるで骨が折れるようにボディがへこむ。アイ・ミィは目を逸らさないように強く、強く拳を握っていた。人間ならば血が流れ出ていてもおかしくない。トネスの隣にいる人間型ロボットは人間よりも人間らしい反応をする。
 ライトによって粉々にされたボディはただの金属片となっていた。アイ・ミィの人格基盤がないことをわからないようにするためだ。
「これ、どこにしまうんだ?持ってきたダンボールか?」
「いや。事務所にあるダンボールのほうがいい。アレックスに迷惑がかかったら困るからな」
 ライトは段ボールを持ってきて破壊したボディを入れた。
「さーて、じゃあ」
 パンパンッ、と手のひらについた汚れを払いライトはアイ・ミィのほうを向いて言った。
「アイ・ミィ。お前は今日から違う名前にしなくちゃいけない。もしお前が生きていることが知られるとまた狙われる」
「はい」
「アイ・ミィはどんな名前がいいとかあるか?」
「いえ、特には……」
 ライトの言葉にトネスは胸が苦しくなった。同じような言葉を聞いたのだ。
『ねえ、トネス。この子の名前どうする?男の子と女の子の、両方の名前を考えておかなくちゃね』
 新しい命が宿ったことを知った由梨歌は自分の腹を優しく撫でながら言っていた。それは、それは嬉しそうに、愛おしそうに、まるで春のたんぽぽの綿毛のように柔らかく笑っていた。
『女の子ならそうね……澄歌(すみか)って名前はどうかしら?澄んだ歌って書いて澄歌』
 トネスの意思に反して口が言葉を紡ぎだそうとする。『その』名前はアイ・ミィに渡していい名前ではない。
「よし、んじゃビオスっていうのはどうだ?ギリシャ語で命って意味だ」
「命……」
「そう。お前はロボットでその体は金属でも、命だ。それには変わりねえよ。動き、考え、感情がある。生きている。生きているってことは命があるんだ」
 アイ・ミィは「ビオス……」と言葉を口の中で転がす。表情が次第に明るくなる。
「私、ビオスって名前がいいです。アイ・ミィではなく、ビオスがいいです」
「よかった!オレはライト、このへなちょこ眼鏡がトネス・ナイズだ」
「誰がへなちょこだ、おい。よろしく、……ビオス。ちなみに元ロボット工学者だ」
 アイ・ミィ、いやビオスは「よろしくおねがいします」と二人にお辞儀をした。ライトはビオスの頭をくしゃくしゃ、と撫でた。トネスは危うく抱くことができなかった我が子の名前を与えてしまうところだった。澄歌という名前は由梨歌のお腹の中にいた子供だけのものだ。澄歌も由梨歌も戻ってこない。
「じゃああの双子にもこの事務所の場所とビオスのこと言わなくちゃな」
「あと依頼主にも報告して報酬もらわなくちゃな」
 三人は互いに顔を見合わせふふふ、と小さく笑った。それはまるで三兄妹のようだった。
 事務所に家具が増えたのはもう少し先のことである。