壊し屋 06

最終話

 大きな鉄の門、汚れ一つない白い壁。広い芝生の庭に赤い屋根。この三階建ての屋敷に、ライトは見覚えがあった。幼いころ過ごした家だ。幼いころの記憶のままだ。そのためライトはこれが現実ではなく、夢であることを悟った。重そうな鉄の門も幽霊のように簡単にすり抜けることができた。ライトは特に思い出に浸ることもなく、先へと進んだ。いや、正確に言うとライトの意思に関係なく、足が勝手に動いている。足はあるところに向かっていた。そこは、幼いころのライトが一日のほとんどを過ごした部屋だ。
 その部屋は、二階の一番奥にあった。多くの部屋のドアはチョコレート色であるが、ライトの部屋だけは黒い扉だった。そして鍵は外側から開けることはできなかった。そのため、自分から外に出ることは不可能で、滅多なことで部屋の外に出ることはできなかった。しかし部屋そのものは子供部屋にしては十分すぎるほどの広さだった。天蓋付きの大きなベッド、勉強机、家具一式が置かれていても、鬼ごっこができるほどの余裕がある。部屋の中央には一人の女の子が床に座っている。真っ白なレースのワンピースに身を包み、絵本を読んでいる。それは幼いころのライトだった。
 コンコン、と扉がノックされ、幼いころのライトが返事をすると開錠する音のあとに一人の青年が入ってきた。十代後半くらいだ。ライトと同じ黒髪で穏やかな微笑みを浮かべている。両手を後ろに回してライトの名を呼んだ。幼いころのライトは満面の笑みを浮かべ、青年に抱きついた。
『ルーお兄ちゃん』
 ルー・ジュメジル。ライトの兄だ。滅多に会いに来ない両親の代わりに彼はよくライトに会ってくれた。ルーは後ろに隠していたものを差し出した。真っ白な包装紙にピンク色のリボンが掛けられている。
『開けてごらん』
 幼いころのライトは包みを開けた。目が輝く。ライトブラウンのテディベアが姿を現した。くりくりした黒目は愛らしく、青色のリボンが首に巻かれている。手足は自在に動き、左足の裏にはブランド名が小さく刺繍されている。
『ありがとう、ルーお兄ちゃんっ』
『ライト、その子にはまだ名前がないんだ。つけてやりな』
『えっとね、じゃあね、ベティにする。絵本に出てきたくまさんの名前だよ』
 幼いころのライトはベティをぎゅっ、と抱きしめた。
『ずっと一緒にいようね、ベティ』
 それを見たルーは幸せそうに笑い、幼いころのライトの頭を撫でた。

 「……ト。ライト、朝だよ」
 ライトはビオスの声で目を覚ました。ゆっくり体を起こす。
「もう十二時だよ。二時に依頼人来るんでしょ。もうトネス来ているよ」
「あー。そうだったな」
 ライトは頭をがしがし、と掻いた。いつもより起きるのが遅くなったのは、夢のせいだろうか。そんなことを思いながらライトは着替えた。
 着替えを終え、ライトは部屋から応接間に移動する。ソファーではトネスがパソコンをいじっており、ビオスはライトの朝食の用意を始めていた。フライパンのじゅう、という音がする。
「今日はまた一段と遅いな」
 画面から視線を外し、トネスはライトに話し掛けた。いつもに比べてぱっちり、と覚醒した目で、ライトは向かいに座る。
「ガキのころの夢みた。兄貴出てきたわ」
「へえ。そういえば、お前の兄貴ってどんな人だったんだ」
 トネスは近頃ライトの家族のことを訊ねることが多くなった。黙っておく必要もないので、ライトは答えた。しかし自分だけ話すのも癪なので、トネスの家族のことも訊ねることにしている。
「そうだなあ」
 ライトは記憶を辿る。脚を組み、天井を仰いだ。
「オレのこと可愛がってくれたな。しょっちゅう部屋に来てくれたし、遊んでくれた。優しそうに笑ってさ」
「何歳差よ」
「確か、八歳だったか。さっき、ルー兄貴にテディベアもらったときの夢見た」
 ビオスがトーストとベーコンを皿に載せて持ってきた。ビオスはライトの隣に座った。焼き立てのトーストはきつね色に焼け、その上ではバターがゆっくり、と溶けていく。ベーコンはカリカリに焼けていた。ライトはトーストを口に運んだ。バターの味が口の中に広がり、食パンの甘みと調和する。
「そのテディベアって、まだあるのか?」
 ライトのベーコンに伸びていた手がぴくり、と止まった。その表情はどこかさみしそうだった。
「もう、ねえや」
 ルーがくれたテディベアのベティは、ライトがこの町に来てしばらくしてから捨てた。ライトはベディを捨てた、あの日のことを思い出した。
 雨が降っていた。町の片隅に建っているぼろぼろの廃墟にベティとプルートとともに、身を寄せていた。そこでブラックとグレイに出会った。彼とともに行くには、ベティを手放すことが条件だった。ライトは、自分の意思でベティを捨てた。あのとき、ベティにつぶらな瞳で「嘘つき」と罵られたような気がした。
 ぼう、としているライトを見て、トネスは「ふうん」となにか察し、質問を終えた。ライトが今度は自分の番だ、と言わんばかりにトネスに質問する。
「お前の嫁さんってどんな人だったんだ?」
「んー。そうだなあ。料理がうまかった」
「へえ。なにがうまかったんだよ」
 ライトは再びベーコンに手を伸ばし、口に運んだ。強い塩味が口に残る。
「だし巻き」
「ダシマキ?」
「ジャパンの卵料理。焦げ目ついちゃいけねえんだって」
「ふーん」
 トネスは遠くを眺め、懐かしそうに語った。ふわふわ、として出汁の味が効いただし巻きは妻、由梨香の得意料理だった。母からの直伝だ、と自慢げに言っていた。
「あと、怒るとめちゃくちゃ怖かった。記念日忘れて帰りが遅くなったときは殺されるかと思ったわ」
 由梨香の背後にサタンが見えた、あの日のことを思い出したトネスは、恐怖で体を震わせたことを語った。ライトはそれを笑い、ビオスは話の様子が想像できないのか首を傾げていた。トネスはまだ由梨香について話したかったが、以前に由梨香との思い出話を長々として怒られたことがあるので、やめた。
「なあ、なんでお前最近、オレのこと聞くわけ」
 ライトは最後の一口となったトーストを口に放り投げ、相方に訊ねた。相方のトネスは素直に答えた。
「いや、お前のことよく知らないなあっと思って。家族とか、家のこととか」
「知ってどうするんだよ」
「どうもしない。好奇心だよ、好奇心」
「私も、ライトのこといっぱい知りたい」
 ライトは会話の横から入ってきたビオスの頭を優しく撫でた。ビオスは顔を上げ、ライトに訊ねた。
「ねえ、ライト。今度いつプルートを召喚する?」
「特に予定ないけど、用があるんなら喚ぶぜ」
 ビオスは頷いた。ライトは腰を上げ、ソファーから少し離れた位置に移動する。
『我の血に生きし神々よ。汝、冥界より出で我の血と思いに応えよ。死の神、プルート』
 腹部の不死鳥の痣が、燃えるように光を放つ。紫色の霧が現れ、人の形を成す。漆黒の長髪で、霧と同じ紫色のローブを着た恐ろしいくらいに顔の整った男性、プルートはライトを見た。
『どうかしたか、ライト』
「なんかビオスがお前に用があるらしい」
『なんの用だ、ビオス』
 プルートはビオスのほうを見て訊ねた。ビオスはプルートの背を押し、自分の部屋へと連れて行った。二人に「来ちゃダメだからね」と念を押して。そんなビオスの様子を見て、トネスはぽつり、と呟いた。
「愛の告白とかだったら、どうするよ」
「それだったら、もう応援するしかねえじゃねえか」
 ライトはソファーにもう一度座り、朝ごはんを食べ終わらせた。

 二時からの依頼は簡単なものだった。目の前で元彼がくれたものを粉々にしてほしい、という内容だった。高そうな指輪やバッグ、笑顔の写真と写真立て。引っ越し用の段ボールいっぱいに持ってきた。
「なんか細かいモンからでっかいのまで、いろいろあったなあ」
「そうだなあ」
 トネスはソファーに座り、ノートパソコンで『クラッシャー』宛に届いたメールの返信をしていた。お礼のメールから、壊し屋についての問い合わせなど、種類は様々である。ライトはその向かいでゴシップ誌を読んでいる。そのときトネスのノートパソコンんから、ポンッ、という音が聞こえた。メールが届いた音だ。ライトは反射的にノートパソコンのほうを見た。トネスはメールにウイルスがないか確認する。
「依頼のメールか」
「んー」
 ウイルスがないことを確認すると、トネスはメールを読み始めた。ライトはゴシップ誌を読むのをやめ、トネスの返答を待った。読み終えたトネスはノートパソコンをライトのほうに向けた。
「なになに」
 ライトは声に出してメールの文面を読みだした。
『親愛なる壊し屋の方々。このたび皆様に壊したいただきたいものがありまして、メールさせていただきました。しかし、対象が巨大なもののため、複数の壊し屋の方にお願いしたいのです。その対象を壊した方全員、平等に報酬を支払います。
 一週間後の午後一時に以下の地図の場所においでください。
 依頼人 コウシン』
 ライトは腕と足を組み、ソファーにもたれた。そして、以前にも似たようなことがあったのを思い出し、露骨に嫌そうな顔をした。
「実はディルマンはもう一体稼働してました、とかいうオチはないよな」
「それは大丈夫だろうさ。それに仮にそうだとしても、複数の壊し屋にメールするメリットはないじゃないか」
 トネスにそう言われ、ライトは納得しかけた。だが、本当に複数の壊し屋にメールを送っているかわからない。文字ではなんとでも言えるからだ。そのとき、ライトの携帯電話が鳴った。グレイからだ。
「おう」
『よー、ライト。なあ、お前んとこに変な依頼メールこんかったか?コウシン、とかいうやつの』
 どうやら複数の壊し屋にメールを送ったのは本当のようだ。
「来た。お前らのとこにも来たのか」
『来た。で、自分らどないするん。あ、ちょい待て。……よし、俺ら今からそっち行くわ。んでいろいろ話しようや。ほなな』
 グレイは一方的に宣言すると、電話を切った。ライトは舌打ちをした。ライトは部屋に籠っているビオスを呼んだ。まだプルートと一緒にいるはずだ。ビオスがひょこっ、と顔だけ出した。
「今からスーパーに行くぞ。タバスコとチリソース買う」
「あ、えっと……。あ、あのね、今手が離せないの。だから、ライトだけで行って」
 そう言うとビオスは部屋に引っ込んでしまった。ライトは代わりにトネスの襟首をつかんだ。
「スーパーに付き合え」
「絞まる、首絞まる。付き合うから」
 ライトは手を離した。肺に空気が入り、トネスは咳き込んだ。ライトの手にはすでに愛車のキーが握られていた。
「それで、なんでタバスコとチリソースを買いに行くんだよ」
「そりゃあお前、グレイへの嫌がらせに決まってんだろ。前に窓ガラス割られたし」
 トネスはまだ根に持っていたのか、と心の中で呟いた。

 ライトとトネスが、チリソースとタバスコを抱えて買って帰ったころには、ブラックとグレイがすでにソファーに座って待っていた。ちなみにチリソースとタバスコが入っている紙袋には、トマトジュースも入っている。チリソースとタバスコの赤色を誤魔化すためだ。
「なんやねん、どこ行っとってん」
 グレイが訊ねた。隣に座っているブラックは、静かに二人を見た。前髪は下ろしているため顔が隠れ、表情が見えない。そういえば、ジャパンのホラー映画にこんな風に長い髪の登場人物がいる、と由梨歌が話していたことを思い出した。まあ、その登場人物は女性だったらしいが。
「飲み物がなかったから買ってきたんだよ」
 ライトは企みを隠し、そう言った。視線でトネスに時間稼ぎをするように脅した。二人のトマトジュースを用意する。ただし、チリソースとタバスコが大量に混入された、激辛トマトジュースだ。こんなときのライトに逆らって痛い目には遭いたくない。トネスは心の中で二人に謝りながら向かいの席に腰を下ろした。
「それで、あのメールだよな」
「おう。えらいけったいなメールが来たもんやで。いろんな壊し屋に破壊依頼して、破壊対象もなんも言うてこんのに、地図のとこに来い?うっさんくさい」
 それはトネスも同じ意見だった。本来ならば行くべきではないだろう。報酬の金額もわからない。ライトは、ブラックとグレイにトマトジュースを差し出した。ブラックはぴくり、となにか気がついたようだった。グレイは喉が渇いていたのか、疑うことなくトマトジュースを飲んだ。次の瞬間、噴水のように勢いよく、グレイがトマトジュースを吹いた。予想していなかった辛さのせいで盛大に咳き込んだ。
「ぅえっほ!げほっごほっ!」
「あーっはっはっはっはっ」
 その様子を見てライトは腹を抱えて笑った。ブラックはコップの中をよく観察した。トマトジュースにしては赤過ぎる。においを嗅ぐとツン、と辛そうなにおいが鼻をついた。グレイもなぜ、気がつかなかったのだろうか。
「悪かったグレイ、ブラック。でも俺にはライトを敵に回すなんて恐ろしいことはできない」
 視線を下に向いたままトネスは謝った。ブラックはコップをテーブルに置いた。
「いや、気がつかないあいつがも悪い」
「ライトお前ええっ」
「ひーっ、ひーっ、ばっかでえ」
 トネスはため息を吐き、立ち上がった。辛さで苦しんでいるグレイに水を差し出した。辛いというのは味覚ではなく、痛覚だ、という話は有名だ。グレイはそれを今、身を持って体験している。目には涙がにじんでいた。
「それで、お前たちはどうするんだ。あのメール」
 ブラックは自分の相棒のことなど気にせず、話を再開した。少しも心配してもらえないグレイをかわいそうに思いながら、トネスは答えた。
「俺たちもやめておこうと思っているんだ」
「え、まじで。オレ、請けるつもりだったんだけど」
 ライトは笑うのをやめ、会話に入った。どうやらライトはこの依頼を請けるつもりだったらしい。詳細が一切わからない依頼を、だ。
「おいおい、どうしたんだよライト。お前までチリソースとタバスコにやられたのか」
 いつもなら怪しい依頼は決して請けようとしないライトが、乗り気なのは珍しい。トネスは本気で、激辛トマトジュースを作っったせいでライトの頭がおかしくなったのかと思った。それはブラックも同じだったらしい。
「おい、よく考えろ。依頼人のことも、報酬がどれくらい支払われるかわからない。なにか面倒なことに巻き込まれるかもしれないんだぞ。興味本位で依頼を請けるな。俺たちはビジネスで破壊をしているんだ」
 ブラックがライトにここまで言うのは、ライトに壊し屋のいろはを教えた人間だからかもしれない。
「初心忘れるべからず、だ。ライト」
 ライトは戒められたのにも関わらず、にやり、と口角を上げた。
「だが、あんたはこうも言ったぜ、ブラック。自分が請けなくて後悔する依頼なら、命落とす覚悟を持って請けろってな」
 ブラックははあ、とため息を吐いた。どれだけ忠告してもライトは、この依頼を請けるつもりなのだ。トネスはとっくに説得を諦めていた。トマトジュースの辛さからようやく回復したグレイが、とんでもないことを言い出した。
「ほんなら俺らも請けるかあ」
「は?」
「おもろそうやんけ。それに四人おったら互いのカバーくらいはできるやろ」
 それらしい理由を言ってはいるが、近頃大した依頼がなく退屈しているだけだ。グレイはブラックとは違い、おもしろそうだと思ったほうに動く。そうなった相棒を止める術があるのならば、ブラックは知りたい。
「どうする、ブラック?」
「残念だが、請けるしかないようだな。あいつらに言って止めたことがあったか?」
「ないな」
 二人は二度目のため息を吐いた。そんな中、グレイがちらり、とライトを見た。腕を組み、なにか考えているようだ。気になったグレイは声をかけた。
「どないしたんや、ライト」
「ん。いや、なんでこんなにも、この依頼を請けようと思うんだろうなって」
 今まで様々な依頼を請けてきたが、これほど請けなければいけない、と思ったことはない。まるで催眠術かなにかにかけられているようだ。しかし、それに抗うことができない。果たして自分の心はここまで弱かっただろうか。考えを巡らせようとしたが、トネスの言葉によって中断された。
「じゃあ、一週間後四人で行くか」
 こうして、依頼人も破壊対象も詳しいことがわからないまま、四人は依頼を請けることになった。

 その日十分な準備を整え、トネスとライトは車のキーを手にとった。トネスはライトよりも先に運転席をとろうと必死だった。ビオスが見送ってくれる。
「じゃあ、行ってくるからな。ビオス」
「うん。あ、あのね」
 ビオスは後ろ手に隠していたものを二人に差し出した。空色のミサンガだ。それぞれに時計と鳥のチャームが一つついている。トネスには時計のチャーム、ライトには鳥のチャームがついたミサンガを渡した。
「お守り。本当は鈴にしたかったんだけど、仕事の邪魔になるかなって思って。サルースっていう女神の加護があるの」
「あー、プルートに紹介してもらったのか」
 ビオスは頷いた。ライトとトネスにお守りを作りたい、とプルートに相談したところサルースを紹介された。サルースは安全と健康の女神だ。サルースはビオスが作ったものに加護を与えることを約束した。ビオスはいつでも身につけていられるように、とミサンガを選んだ。
「ありがとう、ビオス」
 早速二人は身につけてみた。トネスは自分の左手首に結い、ライトを見た。ライトは右手首にミサンガを結っていた。
「え、普通利き腕と逆にするもんじゃないのか。お前、右利きだろ」
「左手になんかあると、気持ち悪いんだよ」
 利き腕にすると乱暴なライトのことだ、すぐに壊してしまうのではないだろうか。そう思ったが、黙っていろ、と殴られるような気がして黙っていた。ライトはビオスの頭を撫でた。
「ありがとうな、ビオス。じゃあ、行ってくるわ」
「うん、気をつけてね」
 ライトとトネスは待ち合わせ場所であるブラックとグレイの事務所へ向かった。トネスは、ライトに運転席を奪われないように車のキーをきつく握りしめていた。

 ブラックとグレイと合流した。それぞれの車で、メールに書かれていた場所へ向かう。トネスはハンドルを死守した。
 メールで指示された場所は、廃墟だった。元はコンビニだったようだ。看板やガラスは割れていて、埃まみれだ。ライトが来たときから、ここは廃墟だった。すでに数組の壊し屋が来ていた。
 『狼少年』ライ・スリープ。話術を巧みに操る、一匹オオカミの壊し屋だ。
 チェン兄妹。中国系の兄妹だ。気功術の使い手で、元々は殺し屋だったらしい。
 『ナイト・パラディン』という名の壊し屋グループ。夜しか活動せず、自らを親衛隊と名乗っている変わり者五人組だ。一体なにの親衛隊であるかは、彼らしか知らない。
 どの壊し屋も腕がいい、と評判である。
「意外と、おるもんやなあ」
 グレイが車から降りながら言った。壊し屋たちの視線がグレイに集中した。グレイは特に気にしていないが、トネスは睨まれているような気がして、少し怖かった。
「そろそろ一時だな」
 ブラックが携帯電話に表示されている時計を見て言った。ブラックはすでに長い前髪を結い、仕事をする格好になっていた。
 そのとき、一台の車が現れた。黒の護送車だ。一瞬、警察官が来たのかと誰もが身を構えた。しかし車内から出てきたのは、黒づくめで奇妙な格好をした人物だった。顔は覆面で隠している。確か、ジャパンのクロコ、というものだ。
「黒子とは、えらいけったいなもん寄越してったなあ」
 黒子はドアをひき、壊し屋たちに乗るよう促した。言葉は発しなかった。全員護送車に乗り込んだ。黒子は残った人がいないか確認すると、ハンドルを握りエンジンをかけた。車が走り出した。
「護送車って気分のいいもんじゃないな」
 トネスは呟いた。窓から外を眺めようとするが、ガラスが黒いせいでなにも見えない。
「それにしてもなんで護送車なんだろうな」
 ブラックが言った。トネスも同じことを考えていた。大勢を乗せるならワゴンカーという選択もある。護送車である必要はない。
「あれちゃうん、道知られたないとか」
「それなら、全員にアイマスクやヘッドフォンつけたり、方法はいくつもあるだろう」
「考えても仕方ねえだろ」
 ライトが口を開いた。頭の後ろで手を組み、窓ガラスと背もたれに体を預けた。一寝入りするつもりのようだ。神経が図太いのか、なにも考えていないのか。ふと、見るとグレイも同じく眠っていた。トネスとブラックは呆れ、同時にため息を吐いた。

 護送車が急ブレーキをかけ、止まった。体が慣性の法則に従い、つんのめる。熟睡していたライトとグレイは窓ガラスに後頭部を打ちつけた。二人は痛みに悶える。ドアに一番近い位置に座っていたライ・スリープが、ドアを開け外に出た。特に異常はないようで、次々と護送車を降りる。
 目の前には屋敷が建っていた。錆びた鉄の門、巻きついた蔦。元は白だったであろう囲い、広い庭。しかし、屋敷の外観だけは時間が止められたように美しいままだ。白い壁にサファイヤのように青い屋根、透き通った窓ガラス。絵本に出てくるような屋敷だ。
「ここはっ……」
 ライトは目を見開いた。そんな相棒の様子に気づいたトネスは声をかけた。
「どうしたんだ、ライト」
 護送車からクロコが降りてきた。鉄の門の前に立ち、しゃべりだした。しかし、その声はまるで古い機械で録音されたように、ところどころ音が割れていた。
『こんにちは、壊し屋のミなさん。今回破壊していただきタイのは、メの前にある屋敷デす。屋敷を壊していただいた方全員ニホウ酬を支払いまス。それでは、よろシクオネガいします。なお、ナカにハ見張りがいますので、見つからナイよう気をつケテください』
 黒子は突然、風船が割れるように小さく爆ぜた。はらり、と一枚の紙切れが舞う。ライトは黒子がいた場所に近づき、紙切れを拾った。黒インクで書かれていた文字が、流される砂のようにさあ、と消えた。一瞬しか見えなかったが、書かれた文字に、ライトは見覚えがあった。本来は異国の文字で書かれるべきだが書けないから、という理由で母国の言葉で書いたものだ。ライトはじっ、と紙切れを見つめた。
「おい、ライト」
 トネスが呼ぶ声で、ライトは我に返った。
「どうしたんだよ、行くぞ。ほかのやつら、もう屋敷に入ろうとしている」
 見ると、トネスたち四人を除く壊し屋が敷地内に入ろうとしていた。皆、見張りを警戒してか正面の鉄の門からは入ろうとしていない。
「よっしゃ、俺らも行くでー」
「待て」
 ライトは、ほかの壊し屋たちと同じように入ろうとするグレイを止めた。グレイは不満そうにライトを見る。ライトは鉄の門を開けようとした。
「な、馬鹿っ。見張りに見つかったらどうするんだよ」
 トネスはライトの手首を掴み、鉄の門を開けようとするのを止めた。しかし、ライトは鉄の門を開けようとする。
「これで合ってんだ。この門以外から侵入しようとすると、トラップが発動するんだ。この門から入る人間は、この屋敷の者と認識する」
 言い終わった直後、あちこちから「ぎゃーっ」と悲鳴が聞こえた。もしも、ほかの壊し屋と同じ入り方をしていれば、トネスたちも悲鳴を上げていただろう。恐怖でぞくり、とした。嫌な音とともに門が開いた。
「行くぞ」
「待て」
 進もうとするライトを、ブラックが呼び止めた。そして、全員が思っていることを訊ねた。
「なぜお前がこの屋敷のことを知っている?説明しろ」
 一拍間が開いた。ライトは表情を変えず、答えた。その声に感情は籠っていなかった。
「ここは、オレの家だった」
 予想していなかった答えに三人は、驚きを隠せなかった。ライトは淡々と述べる。
「この家には多くの罠が仕掛けられている。一族の野望を誰にも知られないために。そう、神にさえも。いや、神に一番知られてはいけない」
「野望?」
「不老不死。ありきたりだけれどな」
 人間が不老不死になることをよく思っていない神は少なくない。不老不死は神のもの。神は自分たちが独占しているものを、人間の手に渡ることを、とても嫌がる。プロメテウスが人間に火を与えたときが、いい例だ。火は元々神だけのものだった。神々は、プロメテウスに罰を与えた。火を与えただけで、それだけの罰が下ったのだ。もしも、人間が不老不死を手に入れた場合、神がその人間にどのようなことをするか想像ができない。故にライトの家、ジュメジル一族は秘密が漏れることがないように、多くの罠を仕掛けた。
 ライトは、さすがにここまで込み入ったことまでは話さなかった。脳裏に幼いころの思い出が再生される。しかしすぐに消し、目の前の依頼に集中する。
「ただ、オレがこの家を出てずいぶん経つ。罠が変わっている可能性もある」
「それでもなにも知らないより安全だ。頼むぜ」
 ライトは頷き、鉄の門を押し開けた。ぎい、と錆びた不愉快な音がする。もしも泥棒ならば、絶対に立てないような、大きな音だ。しかしライトは気にせず敷地内へと進む。かつては花にあふれていた庭。しかし、その庭にライトは出たことがなかった。幼いころ、部屋から出ることは禁じられていたからだ。窓から見る庭は、とても遠い場所のように思えた。玄関までは遠く、一分ほど歩いた。
「実はオレ、玄関から家に入るの初めてなんだよな」
「え、なに。お前今まで窓から入っていたわけ?」
「いや、部屋の外に出ちゃいけなかったんだよ。出て行ってから帰ってこなかったしな。だから玄関から家に入るのが初めて」
 トネスは、ますますライトの素性がわからなくなってきた。これほど広い家に住んでいるからには、お嬢様なのだろう。もしかすると、箱入り娘だったのだろうか。想像できない。
「それでも、罠の位置や仕組みは叩きこまれた。だから、手を加えられていない限り大丈夫だと思う」
 ライトはノッカーを五回叩いてドアを開いた。するとそこには、あるべきはずの床がなかった。怪物が口を開けて獲物を待ち構えているかのようだ。底は全く見えない。ライトがいなければ、全員落ちていただろう。トネスはぞっ、とした。この依頼は思っていたよりも危険であることにようやく気がついた。
「うっわ。床あらへんやんけ」
 グレイが下を覗き込んだそのとき。すう、とレッドカーペットが現れた。まるでカメレオンが擬態をやめたようだ。ライトはためらいなく、レッドカーペットを歩いた。三人も続いた。トネスはなるべく下を見ないようにした。見たら最後、足がすくんで進めなくなるだろう。ライトは歩きながら説明した。
「この家を物理的に壊すためには、手順を踏まなくちゃいけねえんだ」
「手順?」
「そう。まずは、結界の依り代である水晶五つを壊す。次に家の中央の銅像を壊す。それが終わってようやく、物理的に壊せるようになる」
「面倒だな」
 ブラックが正直に感想を漏らした。ライトはそれを無視して、水晶のある場所を説明した。
 この家には離れが北、西、東にそれぞれある。ライトの父のもの、儀式に使われるもの、当主以外立ち入りが禁じられているもの。この離れに水晶が置かれているはずだ。しかし、この離れに行くにも、決まった道を通らなければ辿りつけない。その道は、ジュメジル一族しか知らない。
 レッドカーペットは、最後尾のブラックが渡り終えると虹のようにすう、と消えた。左右と正面にそれぞれ階段がある。左の階段は赤、正面の階段は青、右の階段は黒に塗られている。しかし積もった埃のせいで本来の美しさが損なわれている。ライトはまず右の赤い階段から上がった。足跡がつく。
「いいか、ここからはオレが踏んだところ以外進むなよ。一ミリもだ」
 手すりにはルビーをあしらった彫刻がされている。しかしよく見るとあちこち傷だらけだ。刃物でつけられた、比較的新しい傷だ。
「それにしてもえらく傷だらけだなあ」
 手すりを見ながら、トネスは呟いた。トネスはそこで重大なミスを犯した。次の段へ踏みだした足が、ライトの足跡から数センチずれてしまったのだ。突然、足元の階段がバタン、と音を立て扉のように、開いた。トネスは、いや、トネスの後ろにいたグレイとブラックもなにが起きたかわからなかった。床がなくなり、一瞬無重力空間にいるような錯覚に陥る。しかし、すぐに重力に従って落下した。まるでスローモーションをかけたように、ゆっくりとライトの後ろ姿が見えなくなる。
「トネス!」
 グレイの声でようやく異変に気がついたライトがふり返った。手を伸ばすが、指先がかすっただけだった。
「うわああっ!」
「トネスっ!トネス!」
 トネスを飲みこむと、なにごともなかったように元の階段の姿に戻ったた。ライトは伸ばした右手を見た。指先にまだトネスの指の感触が残っている。爪が食い込むほど強く握る。プルートを喚びだした。
「トネスが罠にかかった。先に行って、あいつを守ってくれ」
『わかった』
 プルートは風のようにその場を去った。
「あいつが落ちた場所は、大体見当がついている。急ぐぞ。そうじゃないと、あいつが「こっち」に戻れなくなる……!」
「こっち?」
「それってどこやねん?」
「離れだ。当主以外に入ることが許されていない、西の離れ」
 三人は駆け足で階段を上がった。そこに、一柱の視線があることも気がつかずに。

 耳にゴオオ、と風を切る音がうるさい。大きな魚に食べられた小魚は、こんな気分なのだろうか、とどこか客観的に落ち着いている自分がいた。どれくらい落ちるのだろう。これだけの高さから落ちて、無事で済むはずがない。トネスは覚悟を決めた。由梨歌や澄歌と同じ場所に逝けるのならば、悪くない気がした。ゆっくり、目を閉じた。そのときだった。風の音に紛れ声が聞こえた。
「トネス」
 それはかつて守ることができなかった、愛おしい妻の声だった。お迎えが来たようだ。
「もう、トネスったら。今日は澄歌と三人で公園に行くって言ったじゃない」
 トネスは弾かれたように目を開けた。目に入ったのは、真っ白な天井。起き上がって、辺りを見渡した。それは、かつての自分の部屋だった。
「あ、やっと起きた。おはよう、トネス」
 そこにいたのは、妻だった。毛先にはゆるいパーマがかかっており、白磁のように白い肌は記憶と一ミリも違っていない。髪をかきあげた左の薬指には結婚指輪をはめている。
「ゆ、りか?」
 自分は夢でも見ているのだろうか。いや、死後の世界にきた確率のほうが高い。名前を呼ぶ声はかすれている。由梨歌は死んだ。お腹の中の子供と一緒に、血の海に横たわっていた。
「お前、なんでここにいるんだよ?」
 由梨歌はきょとん、としたが、すぐに小さく笑った。トネスはまったく状況が把握できないでいる。
「寝ぼけているのね。早く朝ご飯にしましょう。澄歌が待ちくたびれているわ」
 澄歌は先に部屋を出た。トネスはベッドを出た。間違いなく自分の部屋だ。依頼の途中で罠にかかり、突如現れた穴に落ちたはずだ。混乱したまま、トネスはリビングへと向かった。

 今すぐ西の離れに向かいたかったが、東の父親の離れにまず向かう。来た道を戻ることは不可能だ。引き返せば、また別の罠が発動する。東の離れから北の離れを通り、西の離れに向かうしかない。ライトは逸る気持ちを抑え、慎重に東の離れに向かう。もうすぐで東の離れに着く。どこから「ぎゃああ」と悲鳴が聞こえてきた。ライトは自分に言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫、トネスじゃねえ」
「なぜそう言いきれる?」
 ブラックが訊ねた。ライトはドアを開けた。外に出られるようで、地面にはレンガで舗装された小道があり、その先に離れが見える。
「あいつの落ちた先は、悲鳴なんて聞こえるような罠じゃねえからだ。幸せすぎて戻って来られなくなるんだ。
 さて、お前らには先に言っておく。あの離れは、オレの親父以外の人間が入った時点で罠が発動する。幻覚を見せる罠だ。どんだけ自分にとって見たくない場所や相手が現れたとしても、相手にすんな。オレが水晶を壊すまで、耐えろ」
 ブラックとグレイは静かに頷いた。ライトは両頬をぱんっ、と両手で挟むように叩き、気合いを入れた。離れへと進む。離れの扉の前に立ち、ライトはトンファーを組み立てた。
「開けるぞ」
 ライトは離れの扉を開けた。この離れには、水晶が二つあるはずだ。確か、父の机の上と、本棚に隠されているはずだ。しかし、幻覚が父の部屋とは別の場所を見せた場合、水晶が放つ力を手がかりに探すしかない。ぎし、という床板が軋む音を合図とするように、体に見えないなにかが当たる。強い空気砲が当たったかのようだ。そこには、父の机も、本棚もなかった。代わりに天蓋付きのベッド、勉強机、そのほかの家具が寂しげに置かれていた。これはかつての自分の部屋だ。ライトを縛り付けていた、鳥籠の中だ。
『ねえ、なんで置いていったの?ライト』
 声のするほうを向くと、一体のテディベアが二本脚で立っていた。青いリボンは色あせておらず、あのころのままだ。その隣には幼いころの自分が虚ろな目でライトを見ている。
「ベティ」
『ずっと一緒だって言ったくせに』
 本来喋るはずがないテディベアの言葉を皮切りに、ライトを罵る言葉と、幼いころの心の叫びが、ライトを責める。死んでしまった兄、フォスの名前まで出して。
『なんでお父さんは、プルートを喚んだら怒ったの?』
『結局は自分が一番大切だったんじゃない』
『あたし、いっぱい勉強したんだよ?フォスお兄ちゃんの分も、いっしょうけんめい』
『嘘つき。裏切り者。あんたは、なにかあるごとに裏切って、見捨てて逃げるんでしょ』
『ねえ、なんでお母さんはあたしと会ってくれないの?お母さんはあたしがきらいなの?お母さん。お母さん。あたしを見てよ、フォスお兄ちゃんやルーお兄ちゃんだけじゃなくて、あたしも見てよ』
 ライト大きく深呼吸をして、目を閉じた。幻が吐く罵詈雑言を無視し、心を落ち着かせる。すると瞼の裏に、中心から波打つような光が二か所映った。水晶が放っている力だ。ライトはその光に向かって、目を瞑ったまま歩いた。近づくにつれ光が大きくなる。光の側まで来ると、トンファーを構え、叩きつけた。まるで車のドアガラスのように粉々に砕けた。ベティと、幼いころのライトはまだ、なにか言っている。気にせずもう一つの光へと歩を進める。光を掴もうとすると、固いなにかに遮られた。それが本の形をした入れ物であることを、ライトは知っていた。入れ物から光を取り出し、真上に投げる。自分の頭くらいの高さまで落ちてくると、トンファーを構え、バッティングのように水晶を壊した。すると、ベティと幼いころの自分の姿が乱れ、消えた。
「お前らの言葉なんて届くかってんだ、ばーか。こちとらもう、気にしてねえんだよ」
 一体と一人が立っていた場所に向かって、ライトは言葉を吐き捨てた。水晶を壊したことにより、かつての自分の部屋から本来の姿へと戻った。ブラックとグレイも異変に気がつききょろきょろ、と見渡した。そしてため息を吐いた。
「これ、心臓に悪いなあ」
「だろ」
 どんな幻覚を見せられたのか、グレイのタンクトップは汗でびっしょりだった。ブラックも呼吸を整えている最中だった。
「ゆっくりしている暇はねえ。次に行くぞ」
 三人は次の離れ、北の離れへと向かった。

 リビングでは、すでに朝食が用意され、由梨歌と見知らぬ子供が椅子に座っていた。子供は女の子で、三歳か四歳くらいだろうか。髪はトネスと同じ赤色で、優しい目元は由梨歌に似ている。
「パパはお寝坊さんですねえ、澄歌」
「パパ、おねぼうさーん」
 澄歌。自分と由梨歌の子供の名前。混乱しているトネスを心配そうな顔で、由梨歌が声をかけた。
「どうしたの?トネス」
 そう、目の前にいるのは由梨歌と澄歌。ここは、自分たちの家。今までが夢のようだ。いや、夢だったのだろう。由梨歌や澄歌が殺されるなんて、夢に決まっているではないか。
「あ、いや。なんか変な夢見ていたみたいだ」
 トネスは頭を横に振り、椅子に座った。向かいにいる澄歌がトネスに笑いかけた。トネスは微笑み、食事を見た。鮭の塩焼き、由梨歌が得意なだし巻き、白いご飯にミソスープ。典型的なジャパニーズスタイルの朝食だ。
「はい、それじゃあ手を合わせて。いただきます」
「いただきます」
「いーたーだーきまーすー」
 澄歌は鮭に手を伸ばし、元気に食べ始めた。トネスは左手で茶碗を持った。視界の端で、きらり、となにか光った。見ると左手首には、銀色の時計のチャームがついたミサンガが結び付けられていた。その空色は一体の人型ロボットの髪色だった。
『お守り。本当は鈴にしたかったんだけど、仕事の邪魔になるかなって思って。サルースっていう女神の加護があるの』
 トネスは、ようやく目を覚ました。これは、現実ではない。それを思い出すと、心が悲しいほどに締め付けられる。目の前にいる妻も、愛娘も幻なのだ。二人は、もう死んだ。思い出さなければよかった、とは思わなかった。心のどこかではわかっていたのだろう。いや、わかっていた。始めはちゃんと幻だと認識していたではないか。
「そうだよ。そうだよなあ。由梨歌も、澄歌もいるはずがないんだよなあ」
 今にも泣きそうな夫を見て、由梨歌と澄歌の幻が心配そうにしている。
『どうしたの、トネス?』
『パパ、おなかいたいの?』
 ああ、この心配そうな表情も幻なのだ。頭ではわかっていた。一瞬、幻でもいいからこのままでいようか、とも思った。けれど、脳裏に浮かんだのはビオスの笑顔と、トネスの腕を掴めなかったライトの悔しそうな顔だった。
「わかっている。わかっているよ。これが、幻ってことくらい」
 それでも、トネスは言葉を紡がずにいられなかった。この幻が天国の由梨歌と澄歌に、声を届けてくれるかもしれない。長い距離を旅する蝶やオリーブを運んできた鳩のように。
「ごめん。ごめんな、由梨歌。あの日、俺が早く家に帰っていればお前は死ななかったかもしれないのに。逃げる時間くらいは稼げたかもしれないのに……!澄歌まで。ごめん……ごめん、由梨歌、澄歌。一緒に逝けなくて、ごめん」
 そのときふわり、とトネスの両頬に手が添えられた。その体は小さく光を放ちながらも、向こうが透けて見えた。澄歌の姿はなく、代わりに由梨歌のお腹は亡くなった当時のまま、大きくなっていた。由梨歌は口を開いた。声は出ていないが、唇の動きでなにを言っているのか、わかった。
 ありがとう。愛しているわトネス、と。
 由梨歌は優しくトネスの額に口づけをした。唇の感触は、なかった。最後に聖母マリアのように穏やかな微笑みを浮かべたまま、由梨歌は儚く消えた。

 トネスは目を覚ました。目に入ったのは、かつての家の真っ白な天井でも事務所のものでもなかった。落下してきた穴だった。背中が冷たく、固い。
「へえ。自力であの罠を抜けだしたんですね。なかなか心の強い人のようだ」
 トネスは反射的に起き上がった。声のしたほうを向くと、そこには一人の男女が立っていた。男は三十代くらいで切れ長の目に、オニキスのような黒い髪が整った顔立ちを引き立てている。女のほうは病的なまでに白い肌をしており、どこか人間離れしているような気がした。プルートやアレスに似た気配。つまり、神だ。
「こんにちは。トネス・ナイズさん。私が依頼主のコウシンこと、ルー・ジュメジルです」
「ジュメジル、てまさか」
「はい。ライトの兄です。妹がいつもお世話になっております」
 コウシン、いやルーは腰を折った。つられてトネスも軽くお辞儀した。どこかで見た顔だと思ったのは当然のことだ。相方の兄なのだから。
「隣にいるのは、私が召喚できる神の一柱、イザナミです」
『こんにちは。異国の者』
「やっぱり神様だったのか」
 トネスは疑問に思っていることすべてを、ルーにぶつけた。
「なんであんな依頼の出し方をした?この依頼の目的はなんだ?」
「……あなたには、お話したほうがいいですね。ライトの、相方として」
 そう言って、ルーはすべてを語り始めた。
「ジュメジル一族には大昔から一つの野望がありました。不老不死なんていう馬鹿げたものです。人間の力だけでは、それを成すことが不可能なことは明白でした。故に神を召喚、使役することができる力があった一族は、神を畏怖し、敬うふりをしつつ研究を続けました。ときには、生贄を差し出すこともありました。しかし、そのジュメジル一族は滅びました。私が滅ぼしたのです」
 あまりにも自然に言うので、トネスは聞き逃しそうになった。ルーは言葉を続けた。
「ライトが出て行ってから、しばらく経った頃です。何百年も進展のなかった研究に、ようやく不老不死の手がかりが得られました。召使いや、人間を拉致して実験台に利用することが決定されました。その中には、私の乳母やメイド、婚約者まで候補に挙がっていました。父いや、先祖から続く馬鹿げた計画のために、誰かが犠牲になるなんて耐えられなかったんです。だから、私は召喚できる神を通じて各国の主神にこのことを密告しました。私と召使い、ライトの命の保障を条件にして。
 神々がこの家に入れるように、結界を解除したのも私です。人間の不老不死を許さない主神たちは、私とライトを除くジュメジル一族を灰も残さず、滅ぼしました。研究の成果も神の手によって処分されました」
 ここまで聞いて、トネスの頭に一つの疑問が浮かんだ。一族が滅んだのならば、なぜこの家を破壊する必要があるのだろうか。そう思っていたのが、顔に出ていたのだろう。ルーは説明してくれた。
「主神たちの中には家も滅ぼすべきだ、という方もいましたが、多くの主神により家の破壊までする必要はない、と判断されました。しかし、この家がある限りジュメジル一族の野望は人を惹きつけ、果たそうと繰り返すと思います。ジュメジル一族はまだ、私とライトがいます。どちらかが家に執着してしまい、不老不死を得ようとしては意味がない。だから、ライト自身がこの家ごと破壊してすべてを断ち切る必要があります。あの子の思いを断ち切るために」
 まるで、ライトのためを思っているかのような言い方だ。トネスは今朝のライトとの会話を思い出した。ルーからもらったテディベアがあった、と。けれど捨てた、と。
「あの、こんな言い方は失礼だとわかっているんですが」
「なんでしょう?」
「あいつは、ライトは家に執着はないと思います。自由気ままにやっているし、壊し屋としても十分実力があります、俺が言うのもなんですけれど……。きっとあいつは今の生活を後悔なんてしていなくて、過去のことに囚われてなんていません。家に執着しているのはルーさん、あなたじゃないんですか?」
 鋭いところを突かれたルーは、気まずそうに笑みを浮かべた。
「そう、ですね。あの家に、一族の血に囚われているのは私なのかもしれません。それならばなおさら、この家を破壊していただきたい。あの子の手を、私の血で汚すことのないように」
 そのときふわり、と音を立てずに一柱の男の神が姿を現した。トネスは情けなく短い悲鳴を上げてしまった。しかし、そんなトネスに構わず、男の神はルーに報告した。
『妹君とその仲間は、水晶の破壊に成功しました。まもなくこちらに着くでしょう』
「そうか。ありがとう、コトシロヌシ。イザナミ、トネスさんにあれを渡して」
 イザナミは慎重にそれらをトネスに手渡した。起爆スイッチだ。
「それはこの家に仕掛けた爆弾の起爆スイッチです。家の外に出て、押してください。銅像はコトシロヌシが壊したので、家から出てください。
 それから、コトシロヌシ。あの力をトネスさんに授けてくれ」
『いいのですか』
「ああ。この人なら正しい心で使ってくれる」
 コトシロヌシ、と呼ばれた神はトネスの側に寄り、ミサンガに手をかざした。拳よりも少し小さな光が生まれ、ミサンガと融合した。空色のミサンガに、深緑の珠がチャームを中心に四つずつ連なった。
『その珠玉は言霊を操る力を持つ。言珠は言霊であり、事珠。正しい心を持って使用せよ。それに念じながら放った言葉は現実になる。人の幸福を願えば幸にあふれ、人を恨みながら使えば珠玉はひび割れ、お前に災いが降りかかるぞ』
 脅しを交えた注意を言って、コトシロヌシはトネスから離れた。
「ライトには、私が依頼主であることも会ったことも言わないでください。私は姿を消しましょう。ライトが私に囚われないように。ライトを、よろしくおおねがいします」
 ルーはそう言って深くお辞儀をすると、コトシロヌシと共に闇に紛れ姿を消した。イザナミは歩みを止め、くるり、とトネスのほうを向いた。
『最後のあれ、幻覚じゃないわよ』
「え?」
『だから、あんたが最後に会った妊婦。あれは罠が見せた幻覚じゃなくて、本当にあの妊婦の魂よ。異国の者だから、あたしは管理していないけれど、あれからは死者のにおいがしたわ』
 そんな言葉を残すとイザナミは、ルーたちと同じように姿を消した。トネスの心に、一つの光が灯った。自分の思いが伝わった。由梨歌が自分に最期の言葉を届けてくれた。涙がつう、と流れ頬を濡らした。
「まったく、お前は昔から反則技を出しすぎなんだよ、由梨歌。ありがとう……ありがとう、由梨歌。俺も、愛しているよ」
 どうかこの思いが、言葉がもう一度由梨歌に届きますように。そう願いながら、呟いた。
 涙も止まり、これからどうしようか、と思ったとき。突如壁に扉が現れ、プルートが入ってきた。
『無事か、トネス。行くぞ、ライトたちが待っている』
「あ、ああ。大丈夫だ」
 プルートとトネスは扉をくぐった。すると、そこには荒れた庭が広がっており、ライト、ブラック、グレイが立っていた。
「無事やったか、トネス!」
「まったく、ライトが家の構造や罠がわかっていたからよかったものを」
「本当だ。手間かけさせんじゃねえよ、貧弱トネス」
 ライトは平手でトネスの頭を叩いた。いつもより痛くなかったのは、本当に心配していたからかもしれない。
「ごめん」
「ったく。さあ、この離れの水晶も壊したし、銅像壊すぞ」
「あ、銅像はもう壊れているらしい」
 トネスは事情を説明した。ルーのことは伏せ、仮面をしていたので顔はわからなかったことにした。それぞれに疑問に思うことはあるようだが、外に出ることにした。手間が省けた、と考えることにしたようだ。
「いいか、お前ら。これから家の敷地の外に出るまで、絶対に振り向くなよ。生きて帰りたかったらな」
 ライトはそう注意し、先頭を歩いた。誰一人、後ろを振り向かなかった。ライトがオルフェウスとエウデリケの話、伊邪那岐命と伊邪那美命の話をしたからかもしれない。伊邪那美命がイザナミと知ったトネスは、あの女神のことが怖くなった。

 四人は無事に敷地の外に出た。トネスはライトに起爆スイッチを渡した。依頼人がくれた、と言うとライトは一瞬考え、起爆スイッチを捨てた。
『我の血に生きし神々よ。その猛し姿を現せ。戦の神、マルス!』
 不死鳥のような痣が光を放つ。真っ赤な霧が現れ、次第に人の形となっていく。戦の神であるアレスが現れた。
『どうした、ライト』
「マルス。あの家ぶっ壊せ。灰も残らないくらいにな」
『おう。だったら、もっと離れろ。お前らも死ぬぞ』
 四人は素直に従い、止めてある護送車に乗り込み家から離れた。護送車が十分離れたことを確認すると、マルスは空へと飛び、手のひらに力を十二分に溜め、球体を作りだした。それを思い切り家に投げつける。町一つなど簡単に消すことができる攻撃は、まるで罰を下したかのようだった。
「うっわ、ごっつ」
 車の中からその様子を後ろの座席から見ていたグレイは、のんきに呟いた。運転はブラックがしており、助手席にはトネスが座っている。
「なあ、ライト。なんであの起爆スイッチを使わなかったんだよ?」
「あ?依頼してきたのは向こうなのに、こっちのやり方でさせねえのが腹立っただけだよ。そんなもん」
 実にライトらしい答えで、トネスは声をあげて笑った。そんなトネスをライトは気味悪がったが、そんなことはどうでもよかった。やはり、ライトは一族のことなど気にしてはいないのだ。今はライトであり、ライト・ジュメジルではない。壊し屋で、『不死鳥のライト』と一時期恐れられていたらしい、男勝りな、トネスの相棒。それ以外の、何者でもないのだ。

 後日。四人平等に報酬が振り込まれていた。壊し屋になってから一番高額だった。事務所に帰ってきて、トネスのミサンガに気がついたビオスとライトに、ルーのことを伏せて説明した。それからの毎日はいつも通りだ。依頼をこなし、雑用を片付ける。
 日常に戻って、一週間。その日はビオスがトネスも含めて三人で食事をしたい、と言ったので二人は、ビオスが料理を作り終えるのを待っていた。手伝おうとすると、座っておくように言われた。ソファーにもたれながら、ライトが口を開いた。
「なあ、その珠。コトシロヌシって神からもらっただろ」
「えっ」
「ってことはルーの兄貴が依頼人か。めんどくさいことしやがって」
「……いつからわかったんだよ」
「起爆スイッチ渡されたときから。
 今考えるとリュエルの言った、「まだジュメジル家は滅びきっていません」っていうのも、兄貴のことでしどろもどろだったのも納得できるわ」
 ライトは天井を仰ぎ、自身にも聞こえるかどうかの声で呟いた。
「あんたも、幸せになれよ。ルー兄貴」
 料理のおいしそうなにおいが二人の鼻孔をくすぐった。ビオスの手料理、何気ない会話。そんな愛おしい日常を、トネスとライトは噛みしめていた。