10年越し

 依頼が一件もないその日。トネスは新聞を読み、ライトはトレーニングをして時間をつぶしていた。ビオスは、以前かくまってもらった双子のところに遊びに行っている。
 そろそろコーヒーでも飲もうか、と思ったとき、男が訪ねてきた。黒いスーツにサングラス、アタッシュケースを持っている。年齢は三十代半ばから四十代前半だろうか。サングラスのせいで、はっきりとはわからない。
「失礼します」
「お、RCのおっさんじゃねえか。待っていたぜ」
 RC、報酬回収協会。報酬を支払うことを拒否した依頼人から報酬を回収している。もちろん、無料というわけではなく、回収する報酬の二割が料金となる。
 ライトはトレーニングを止め、RCから報酬を受け取った。先日ライバル会社の機密データの破壊を依頼された。その依頼人は海外に高跳びし、行方をくらましてしまったのだ。
「お知らせしたいことがありまして」
「なんだよ」
「私この度、本社内勤務となりましたので、このエリアの担当から外れることになりました」
 RCの仕事は外回りと本社内勤務がある。報酬の回収や回収した報酬を依頼主に渡すことは外回りの仕事だ。本社内勤務は外回り社員のフォローや、経理など組織を維持することなどが仕事である。本社内勤務は、一定の評価を得なければできない。所謂出世である。
「へえ。おめでとうさん。あんたには、世話になったな」
 ライトが懐かしむように言った。
「実はおねがいがあります。これは私の個人的なおねがいなので、断ってもらって構いません」
「なんだよ、いきなり」
 男は深呼吸をして、言った。
「私とデートをしていただけないでしょうか」
「デートお?」
 驚きの声をあげたのは、無関係のトネスだった。ライトは目を丸くしていた。しかしすぐにくすり、と小さく笑い了承した。
「いいぜ」
「えっ」
「え!?」
 男も驚いているようだが、一番驚いているのはトネスだった。絶対に断ると思っていたからだ。それは男も同じだったようだ。
「よ、よろしいのですか?」
「ああ。で、いつにする?」
 目の前で着々と、デートの予定が決まっていくにも関わらず、トネスは未だに信じられなかった。ライトに好意を抱く男がいることも、ライトが誘いを受けたことも。相方は、狂戦士のような怪力の持ち主で、口調や仕草からは女性らしさは一ミクロンも感じられない。そんな化け物のような人間と、なぜデートなどするのだろうか。罰ゲームか、脅されているのか。様々な憶測がトネスの頭の中で飛び交った。気が付くと男とライトは、デートの詳細を決め終わっていた。
「それでは、失礼します」
 まるでデートの申し込みなどなかったように、事務的なあいさつをして、男はRCに帰った。トネスはまだ二人のやりとりを信じられないでいた。夢に違いない。そう思って、頬をつねったが、痛い。信じがたいが、現実のようだ。
「お前、どうしたんだ。頭でも打ったのか?」
「殴られたいのか、てめえ」
 そう言いながら、ライトはトネスの頭をはたいた。すでに殴っているではないか、という抗議は無意味である。それはこれまでの付き合いで十分わかっていた。
「別に、なんてことはねえよ。この事務所構えてから世話になっていたから、その礼だ、礼」
「礼ってお前なあ……」
「この話題は終了。お前の顔にメガネがめりこんでもいいなら、続けるけど」
 トネスは腑に落ちなかったが、口を閉ざした。おそろしい脅し文句である。メガネだけでなく、トネスの顔面まで壊す気なのだ。ライトは回収された報酬を機嫌よさそうに、確認していた。報酬が支払われたことに喜んでいるのか、RCにデートの申し込みをされたことが嬉しかったのか、トネスにはわからなかった。

 RCとデートをする当日。壊し屋『クラッシュ』は臨時休業にした。
「一人で留守番、大丈夫か?ビオス」
「うん。大丈夫。なんだか、いつもと雰囲気が違うね」
 ビオスがそう言うのを無理はない。いつもは青い半袖ティーシャツにホットパンツ、白いヘアバンドに白いブーツという服装だが、今日は違う。デニムのミニスカート、ゆとりのあるトップスからはキャミソールの肩ひもを見せている。
「まあな。オレもこういう服だって、あるんだよ。それじゃあ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
 ライトはRCとの待ち合わせ場所に向かった。隣町の地下鉄の駅で待ち合わせることになっているのだ。ライトはどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 地下鉄の駅には、人種の坩堝だ。肌や髪、目の色、言語。聞きとれる会話もあれば、なにを言っているのかわからない言葉もある。少し早かっただろうか。ライトは設置されている時計を確認した。十分前だった。どうやって暇をつぶそうか、と思ったときだった。背の高い色黒の男がライトに声をかけてきた。しかし、なにを言っているのかわからない。だがへらへらとした顔から察するに、ろくなことではないようだ。
「あー、なに言ってんのかわかんねえから、あっち行けって」
 追いはらうように手を振ると、男はライトの手首を掴んだ。頭が一瞬で沸騰したライトは、男を殴ろうと拳を握った。しかし、その拳が男にお見舞いされることはなかった。男が悲鳴をあげる。見知らぬ男が色黒の男の腕をねじり、背中にくっつけていた。
「その人に触るな」
 睨みつける目は刃のように鋭く、涼やかだ。年齢は四十代前半くらいだろうか。清潔感のある、上品そうな格好からは想像もできない力だ。色黒の男は理解できない捨て台詞を吐いて、逃げるように立ち去った。
「大丈夫ですか?ライトさん」
「お、おう。っていうか、なんでオレの名前知ってんだよ?」
 ライトがそう訊ねると男は一瞬きょとん、としたがすぐにくすくす、と笑い始めた。
「なにがおかしいんだよ」
「いえ。そうでしたね、あなたは私の顔をちゃんと知らないんでしたね。いつも、サングラスをかけているので」
「……あ。え、ええ?」
 ライトはようやく、今日のデートの相手が目の前にいることを知った。
「あ、RCのおっさん、なのか?」
「はい」
「意外に若いんだな……。もっと、こう……年寄りのにおいがするかと思った」
「それって加齢臭ってことですか……?」
「いや、そういうのんじゃなくて、こう、なんていうんだ?雰囲気というか……。と、とにかく!意外と、いい男でびっくりしたんだよ」
 ライトは素直な感想を言った。いつもと同じ無邪気な笑顔のはずなのだが、RCにとってそれは妖艶に見えた。どきん、と胸が高鳴ったことをごまかすため、こほん、と咳をした。
「ライトさんも、大人のような格好をしていますね」
「それって、普段はガキっぽいってことか?」
「いいえ。凛々しいですよ、普段は。新鮮でいいですね。色気がある」
 RCはにこり、と優しく微笑んだ。その言葉が本当かどうか信じられないライトは釈然としないまま、RCの腕を抱き寄せた。
「まあいいや。んで、今日はあんたのことはなんて呼べばいいんだ?おっさん、ていうのもデートらしくねえじゃねえか。偽名でもなんでもいいぜ」
「では……ジョージ、と呼んでください」
「オーケー、ジョージ。早く行こうぜ」
 にかっ、と元気に笑ってライトは言った。

 トネスはブラックとグレイの事務所にいた。彼らに手伝いを頼まれたのだ。
「はい、終了。これでいいか?」
「ああ。悪いな、せっかくの休みに」
「俺らがするより、お前がするほうが確実にうまくできるもんな。やっぱし、ややこいやつやった?」
「んー、そうだなあ。ちょっとめんどうそうなやつだった」
 ブラックがお茶を出してくれた。この事務所に来ると、高い確率で緑茶が出てくる。彼らが日本人である証だ。この馴染みのない苦みもたまには悪くない、とトネスは思っている。
「それにしても、お前らんとこが急に休みとか、珍しいやん。どないしたんや?また喧嘩でもしたんかあ?」
 グレイがからかうように言った。トネスは緑茶を飲みながら答えた。
「デートだよ」
「ほーん、そうか。デートか……デートお?」
 驚くグレイとは対照的に、ブラックは冷静にデートの相手は誰か訊ねた。
「誰とデートしているんだ?」
「この辺のRCの担当、いるだろ。あいつ」
 ブラックとグレイは互いに顔を見合わせ、納得していた。トネスは二人がなぜにやついているのか、わからない。トネスが不思議そうな表情をしていると、ブラックが教えてくれた。
「あの人、ライトの初恋の相手なんだよ」
「へ?え、え、どういうことだよ、教えろよ」
 どうやらブラックとグレイも話したかったようで、にやつきながら教えてくれた。
「あいつがこの町に来たのが、十年くらい前。俺達や師匠と一緒に壊し屋をしていた時期だな。あのおっさんがこの辺の担当になったのも、それくらいか。裏社会の生活に慣れるまで、いろいろ構ってもらったようでな」
「幼い恋心が芽生えたっちゅーこっちゃ」
 トネスは、ライトが意外と早く町に来ていたこと、初恋の相手、初恋などという少女らしい心がかつてあったことなど、どれに驚けばいいのかわからなかった。
「まあ、あいつにもかわえらしいところがあったんや」
 グレイはうんうん、と一人頷いた。そのとき、ドアが大きな音で乱暴に開かれた。
「ちょっとお、ライトがデートって話、本当なの?」
 怒鳴りこむように入ってきたのは、ブルーだった。続けて落ちついているバイオレットが入ってきた。ブラックが頷くと、ブルーはとても悔しそうに壁を叩いた。
「知っていれば、すっごくかわいいあんな服やこんな服を着せるチャンスだったのに!」
「こんにちは、トネス」
 興奮している相棒のことなど気にせず、バイオレットはトネスにあいさつをした。いつもながら高いスルー力には、感心させられる。
「お、おう。バイオレット。なんかあんたの相方、叫んでいるけど」
「滅多にないチャンスがなくなっただけよ。気にしないで」
 ブルーは文句を言いながらブラックに八つ当たりをしていた。ブラックは抵抗せずに、叩かれていた。それはまるで、兄弟同士でじゃれているようにも見える。
「なんていうか、あの二人って仲いいよな」
「……あら、知らなかったの?あの二人、血のつながった兄弟よ」
 バイオレットから、衝撃の事実を聞かされたトネスはもうなにに驚けばいいのかわからなかった。今日はいろんなことを知り過ぎた気がする。
「なーんや、俺知っとるんや思とったわ」
「もうなにがなんだか……」
 トネスの顔にはひきつった顔が浮かんでいた。ブルーは、まだ兄のブラックに八つ当たりをしていた。

「ついてますよ」
「ん?」
「ピザソース」
 ジョージはとんとん、と自身の口元を指さし、ライトにピザソースがついている位置を教えた。二人はたまたま通りかかったイタリアンの店でランチをしている。ライトは気まずそうにピザソースを拭き取ろうとした。ジョージはすっ、と手を伸ばし、中指でライトのピザソースをぬぐった。
「ガキ扱いすんじゃねえよ……」
「ふふ。すみません。幼いころも同じようなことをしたなあ、と思いまして」
 ジョージは、熱い視線でライトを見る。それは保護者が子供に向けるものとは違っていた。そして、ぽつり、と小さく呟いた。
「本当に、大きくなりましたね」
「それに伴い、口も性格も悪くなっちまったぜ」
「口はともかく、性格はそれほど悪くありませんよ」
「ははっ」  ライトはもう一切れピザを食べながら、まるで昨日の夕飯の話をするようにジョージに告げた。
「オレの初恋、実はあんたなんだよな。覚えてねえかもしれねえけど」
 ジョージは一拍置いて「覚えていますよ」と答えた。ジョージは、幼いライトに告白されたときのことを思い出した。
 ジョージは、一度今の地区担当から離れ、別の地区を担当することになったことがある。それを知ったライトは、涙を浮かべながらジョージを引き留めようとした。抱きつく少女はジョージを見上げ「大人になって、結婚してくれるんだったら、行っていいよ」といじらしく言ったのだ。そんなライトにジョージは頭を撫でながら、「十年経って、同じ気持ちだったらね」と返したのだ。当時の自分の気持ちを、封印するために。
「あのとき、あなたを振り切るのにどれだけ大変だったと思います?瞳を潤ませた愛らしいあなたのプロポーズに、思わず首を縦に振ってしまいそうだったんですから」
「……別に頷いてもよかったんだぜ」
「よくないですよ。あなたのこれからを、大人である私が台無しにするわけにはいきませんでしたから」
「台無しにはならなかったぜ、きっと。んじゃ、なんで今更オレをデートに誘ったわけ?」
 かつての思いが一方通行でなかったことを知ったライトは、嬉しさから鼻歌を歌いたい気分だった。ピザなんて食べている場合ではない。
「本社内の勤務になれば、そちらに伺うことはできなくなるでしょうから。自分の気持ちを、断ち切ろうかと思いまして。まさか、頷いてくれるとは思っていませんでしたけど」
「で、どうだ。断ち切れそうか?」
 頬杖をつき、ライトは訊ねた。その笑みはまるで、いたずら好きの猫のようだ。ジョージは困ったように笑い、答えた。
「とても難しいですね。かわいらしかった女の子は、今では花のように美しく、強い女性になったのですから。そして、私を捉えて離さない。蜘蛛の糸のように、ね」
「案外キザだなあ、あんた」
 しかし、悪い気はしない。ライトはとくん、と胸が高鳴った。まるで、幼いころに戻ったかのようだ。ジョージは、真剣な眼差しをライトに向けた。
「もしも残りの人生を共に歩んでほしい、と言ったらどうしますか?」
 ライトは視線を逸らさず、上目遣いをして答えた。
「あんたが、十年経って同じ気持ちだったら、な。今、あんたは色に溺れていい時期じゃねえだろ」
 それは、かつてジョージがライトにした返事だった。それがわかったジョージは苦笑する。
「子供の十年と、大人になってからの十年は違いますよ?」
「だったら、迎えにきてくれよ。そのとき、オレに男がいたとしても、諦めるか相手からオレを奪うかは、あんたに任せる」
 ジョージはライトの左手を持ち上げ、薬指にそっ、と口づけをした。
「では、予約しておきましょう」
 覚悟していてください、と口だけが動いたような気がした。その情熱的な眼差しは、どこか挑発しているようにも思えた。そのときだけ世界は、完全にライトとジョージの二人だけだった。

 ビオスにお土産の本も買って、ライトは帰宅した。
「ただいまー」
「おかえりなさい、ライト」
「ほら、本。気に入るかわかんねえけど」
 ビオスは飛び跳ねそうな勢いで、本を受け取り、ソファーに座って読み始めた。ライトは着替えるために、部屋に入った。後ろ手でドアを閉め、もたれた。ジョージがキスをした左手の薬指をじっ、と眺める。そして、ゆっくり目を閉じ、同じ位置に口づけをした。薬指が、熱くなったような気がした。