ラニさんの花茶屋さん

 天にも届きそうなほど大きな木の根元に、一軒の花茶屋さんがありました。お店の名前はありません。ティーポットの形の看板がドアにかかっているだけです。そこでは店長であるラニさんが花茶……お湯を注ぐと閉じていた花が美しく開くお茶をいれてくれます。
ラニさんのお茶を飲むとどれだけ落ちこんでいても元気になれるのです。
 今日も名もなきお店のドアが開きます。

 その日ラニさんはお客さんが来ないので、大好きなししゅうをしていました。ちくちくと針を動かしていると、ぎぎっとドアの開く音がしました。ラニさんは手を止めました。入ってきたのは若葉色の髪の青年でした。きょろきょろと興味深そうに店内を見回します。
「いらっしゃいませ。どうぞお座りになってください」
 ラニさんはししゅうを置いて立ち上がりました。お客さんはえんりょがちに、店内唯一の席であるカウンターに座りました。そしてテーブルはつやつやで大きな年輪が、とても長い時間を生きていたことを物語っています。店内は一度に五人くらいまでしか入れない広さですが、せまいようには感じません。ステンドグラスの電気のかさのほかにははでなものはありません。テーブルの上には同じ間隔で小さなコップに花が活けられています。
 ラニさんはカウンターの内側から出てきて、しずかにメニューをわたしました。
「お決まりになったら声をかけくださいね」
「は、はい」
 お客さんはメニューをぱらぱらとめくります。ラニさんはにこにこしながら、待っているあいだカップやティーポットを磨きはじめました。
 しばらくするとお客さんがラニさんに声をかけました。
「あの、この『蜜水連の花茶』をください」
「はい。かしこまりました」
 ラニさんは準備をはじめました。お湯をわかしティーポットとカップを温めます。その後ろ姿をながめながらお客さんはぼうっと一週間前のことを思い出していました。

 お客さん……シランが花茶のお店のうわさを聞いたのは数か月前でした。そのときのシランはめずらしいものもあるもんだ、くらいにしか思いませんでした。コンクールに出す絵を描いていて一番いそがしかったせいかもしれません。
 思い出したきっかけは、そのうわさを教えてくれた友達とひさびさにご飯を食べたときの一言でした。
「ぼく、絵を描くのをやめようと思うんだ」
 ぽろっとフォークからソーセージが落ちました。シランはすぐに言葉が出てきませんでした。そんな彼に友達は続けて言いました。
「ずっと画家になりたかったけど、もう疲れてしまったんだ。描いても描いてもだれも見てくれないし、食べていくこともできない。夢を見続けることはつらいよ」
 それから友達はなにか話していましたが、右から左へ流れていきます。悲しみの中に「またか」という気持ちもありました。シランの友達には絵を描く仕事につきたい人がたくさんいました。けれど年を重ねるごとに夢をあきらめる友達はひとり、またひとりとふえていきました。そして絵を描き続けているのは友達とシランだけになっていました。戦友がいなくなってしまうようなさみしさが、心にしみのように広がっていくのがわかりました。

 コポポっととうめいのティーポットにお湯を注ぐ音でシランは現実にもどってきました。ラニさんは小さく歌いながら準備をしています。ゆるくあんだ金色のみつあみが小さくゆれます。シランはラニさんの歌声に耳をすましました。
『きみのいない季節がめぐるめぐる あの日の約束 むねにだきしめて
 春のあたたかな風に包まれ町へむかう きみはきれいなおどりこになっているかもしれない
 夏のきらきらな海の中へもぐる きみは人魚になっているかもしれないから
 秋の真っ赤な落ち葉をふみしめながら森へ きみは妖精になっておどっているかもしれない
 冬の冷たい雪原にゆっくりと眠る きみは雪の結晶になっているの
 なんども太陽がしずみ 月が昇る
 どこまで歩んでも 生まれ変わったきみは見つからない』
 ティーポットとティーカップが温まったころ、ラニさんの歌も終わりました。シランはラニさんに言いました。
「歌お上手ですね」
「あら、わたしったら。すみません。お茶をいれるとき、ついつい歌ってしまって……」
 ラニさんは照れくさそうにしながらあやまりました。シランは歌に興味がわき、ラニさんに尋ねました。
「その歌はなんて曲名なんですか?」
「たしか……『来世の約束』だったかしら。悪魔と人間の恋物語だとか。わたしも旅人のお客さんに教えてもらったんで、まちがっているかもしれませんけれど」
 ラニさんはティーポットの中に、ぎゅっとかためたつぼみのようなかたまりをひとつ入れました。そしてお湯を注ぎふたをします。長方形の木のトレイにポットとカップ、小さな砂時計をのせてシランの前に置きました。砂時計を逆さにしました。
「今お湯を入れたところなので、砂が落ちきるまでお待ちくださいね」
「はい」
 さらさらと砂が落ちます。けれどただ待っておくにはたいくつです。そんなシランの気持ちを見抜いたのか、ラニさんはシランが注文した花茶について教えてくれました。
「ふつう水連……ハスの花は水の上に咲くでしょう?けれど蜜水連は水中に咲くんです。咲いている時間は日の出から数時間と短いんですが、ふたつの季節のあいだ咲くそうです。咲いた花から蜜が流れ出るそうで、その池の水はあまくなるそうです」
「へえ」
 シランはふとポットの中を見ると、かたまりが少しほぐれていました。ほうっと感心しているとラニさんは続きを語りました。
「蜜水連の花茶はもうすぐ咲きそうなつぼみを摘みます。そして日陰でゆっくり乾燥させ、水を得ると咲くようにするんです。咲いてからさらに時間を置くと蜜がしみ出るんです。
 ほら、ずいぶん花が咲いてきたでしょう?」
 ラニさんはティーポットを指さしました。今では花が開ききっています。うすいピンク色のハスの花からじんわりと蜜が、水にお湯が混じるようににじんでいるのがわかります。
「きれいですね」
 シランはティーポットをじっと見つめました。まるでうとうとするような、水中にいるような心地よい気分になってきました。
(こんな風にしていると、なにもかもわすれられるなあ)
 シランはまぶたが重くなってきて、すうっと寝てしまいそうになりました。けれどラニさんの声ではっと現実に帰ってきました。
「砂、ぜんぶ落ちましたよ」
「あ、は、はい」
 シランはティーカップに花茶を注ぎました。ふんわりとはちみつに似たあまいかおりが、幸せな気持ちになります。シランは蜜水連の花茶を飲みました。思っていたよりもあまく、けれどくどくはなくてすっきりしています。
「おいしい」
「よかった。中にはあますぎるように感じるお客様もいるんで」
 ラニさんはほっとしたように言いました。シランはゆらめく水面に写る自分の顔を見ていました。今朝鏡で見たときよりも表情がやわらいでいるような気がします。
 ゆったりと時間が流れます。時計が見当たらないのでそのせいかもしれません。
 ぼーっと過ごしていたシランはふと、さっきラニさんが歌っていた曲のことが気になりました。
「あの……さっきの歌、あれで終わりですか?」
「たしかそうだったと思いますよ。すてきなメロディーでお気に入りなんです」
「そうなんですか」
 ひと呼吸おいてシランはまた尋ねました。
「その悪魔は生まれ変わった恋人と出会えたんでしょうか?」
「おそらく……歌の内容から考えると会えなかったんじゃないでしょうか。『生まれ変わったきみは見つからない』って最後ですし、雪にねそべっているっていう歌詞は凍え死んでしまったことを言っているのかもしれません」
 シランはラニさんの考えを聞くと悲しい気持ちになりました。
(あきらめないで探し続けたのに、会えないなんてあんまりじゃないか)
 さっきまでとてもおいしかった花茶が急に味気ないものになってしまいました。

 ラニさんの花茶屋さんから帰ってきても、シランの頭の中には『来世の約束』がくり返し流れていました。ゆったりとしたやさしいメロディー、それとは反対に悲しい最後。そのせいで作業も手につきません。
「ほんとうに恋人を見つけられなかったんだろうか。実は歌になっていないだけで、続きがあるんじゃないか?」
 それはねがいに近い思いでした。シランはあきらめずに絵を描き続けている自分と、最後まで生まれ変わった恋人を探し続ける悪魔を無意識に重ねていました。
 その日からシランの中で『来世の約束』の存在が大きくなっていきました。このようなおとぎ話や言い伝えなら本になっているかもしれない、と図書館に通いつめたり、まったく縁のなかった大学の教授のところに話を聞きにいきました。けれどそんな歌を知っている人はいませんでした。もう一度ラニさんのお店にも行って尋ねましたが、教えてくれた旅人のお客さんの行き先も、歌について新しいこともわかりませんでした。異国の歌なのか、だれかがつくったものか。それでもシランは悪魔と恋人が出会う最後を聞きたかったのです。二人が出会えたと聞ければ、自分もまだ絵を描き続けられるような気がしたのです。
 シランが『来世の約束』を知って二カ月が経ちました。どれだけ調べても結末はわかりませんでした。決まった人以外と話さないシランが、今までの人生の中で一番多くの人と話していました。そのためか町に出るとあいさつを交わす人も出てきました。
 そんなある日、シランはせまいアパートの部屋で寝ころんでいました。
「やっぱりみんなが知らないってことは、出会えていないのかもしれないな……」
 ぽつりと小さくつぶやいたのに、とても大きく響いたような気がしました。ぐるぐるといろんな考えが混ざります。種族のちがう二人がふたたび出会うなどなかったのでしょうか。シランとしては幸せな最後があってほしかったのです。しかし実際幸せな結末はありません。ないものはないのです。
「……そうか、ないならつくればいい」
 シランはふとさとりました。シランはふだんから本棚や机など、ほしいけれど理想としたものがないときは自分でつくっているのです。
 シランはさっそく動きだしました。まずスケッチブックに悪魔と恋人を描きました。二人はたがいの手をとって、見つめ合っています。幸せそうな顔になるまで何度も二人の顔を描いては消しをくり返します。完成した絵に色をぬります。
「ちがう……。こんな固いタッチじゃない」
 描いていたページをやぶり捨て、鉛筆からクレヨンに持ち替えて描き直しました。けれど理想のタッチにならず、またページをやぶき道具を変えます。何度も悪魔と恋人を描いては、自分の追い求める絵になるまで描きました。そしてシランの求めるやわらかくやさしい、包みこむようなタッチは水彩絵の具で再現できました。悪魔の目にはなみだを流し、恋人はそんな悪魔を「泣かないの、待たせてごめんね」と声をかけているような笑みを浮かべています。けれどまだ足りないような気がしています。
「悪魔がこんな風になみだを流すのは、長い時間をかけてようやく恋人に会えたからだ。それはこの絵だけじゃわからない」
 それからシランは寝る間をおしみ、食事をとることもわすれて筆をとりました。その手から生み出されるのは悪魔と恋人の笑い合った日々、けんかしてそっぽをむいている二人、恋人と死に分かれて悲しみにくれる悪魔など、歌にはない二人の思い出でした。
 その次に描いたのは生まれ変わった恋人を探し続け旅をする悪魔でした。ときが流れるように景色を描き、その中を悪魔は歩みます。歌詞のとおり何度も季節をめぐります。
 雪に横たわった悪魔の絵から物語は変わります。悪魔はなんとか起き上がり、足をすすめます。足跡がついた雪原から青々とした草原、白い砂浜から真っ赤なじゅうたんへと季節が移ります。悪魔の体に白い毛が混じるようになったころ、ようやく生まれ変わった恋人の姿を見つけます。そこは小高い丘で一面チューリップが咲いています。恋人は春の花であるチューリップに生まれ変わっていたのです。たくさんある中で一輪だけ内側から輝いていて、悪魔が近づくと人の姿となります。チューリップにしたのは永遠の愛、という花言葉があるからです。そして二人が手をとり合った再会の絵とつながるのです。
 絵はスケッチブックから大きな紙、かべやゆかへとどんどん大きくなりました。すべてを描き終わるのに一週間かかりました。
「できた……」
 シランはぐるりと絵を見回しました。歌をとびこえて再会した悪魔と恋人は、自分で描いたものですがそれはそれは幸せそうでした。
「よかったな。やっと出会えて……」
 そう言ってシランは後ろに倒れこみ、大きくいびきをかきはじめました。目を閉じる間際に悪魔が『ありがとう』と口を動かしたような気がしました。

 その作品は『来世の約束を果たす悪魔』と名付けられました。シランの姿が見えないことを心配して様子を見に来た友達がその絵の壮大さ、悲しみを乗り越えた先にある喜びに感動していろんな人に話したのです。
 この絵がきっかけでシランは、いろんな人から絵をたのまれるようになりました。そして死ぬ直前まで絵を描き続けました。
 シランは有名になっていくつもの作品を世に出してから受けた雑誌のインタビューで、このように答えています。
『元はとある花茶屋で店主が歌っていた歌なんです。歌の中で悪魔は恋人に会えないんですが、それが当時売れていなかった自分と重なってしまってどうにかしたかったんです。
 だから子どもだけでなく、多くの人に言いたい。夢を見続けることはとても体力や気持ちがいることです。それでもどうか、夢にむかって歩き続けることをやめないでください。歩くことをやめなければ、かならず道は開けます。悪魔と恋人だって再会できたのですから。これからも絵を通してそのことを伝えていきたいと思います』
 のちに『夢を手放さなかった人』と呼ばれたシランの思いは、夢を抱く多くの人をはげましたのでした。