旅のしきたり

 窓の外はしんしん、と雪が降っている。ここは冬の大陸。まばたきのように短い夏を除き、毎日雪が降る大陸だ。必ず一日の数時間は吹雪いている。今日の吹雪は終わったところだ。しかし、暖かい家の中にいるとどんな寒さも忘れてしまいそうになる。
「よーし、また勝った」
「もー、お兄ちゃん手加減してよお」
 旅(たび)猫(ねこ)族の男の子、ワイトはガッツポーズをした。白いしっぽがぴん、と立った。妹のルーは不満そうに言った。二人の間にはオセロがある。もう一回オセロをしようとしたとき。コンコンッ、とノックの音のあとに、お父さんが入ってきた。
「ワイト、ちょっと来なさい」
 ワイトはなぜ、お父さんに呼び出されたか、なんとなくわかっていた。ワイトはお父さんといっしょにリビングへ向かった。リビングではすでに、お父さんが、いすに座っていた。ワイトはテーブルをはさんで、お父さんの向かいに座った。
「ワイト、なんで呼ばれたかわかるな。旅のしきたりのことだ」
 旅猫族は、あちこちの大陸を旅する猫の一族だ。普通の猫とは違い、二本足で歩く。昔はほとんどの旅猫族が旅をしていたが、今ではひとつの場所にとどまる者も増えた。
 そんな旅猫族は、十三歳までにほかの大陸を旅しなければならない。旅猫族は十四歳から大人として扱われる。なので、大人になる準備として、旅に出なければいけない。それが旅のしきたりだ。ほかの大陸は三つある。春の大陸、夏の大陸、秋の大陸だ。春の大陸には花が咲き、夏の大陸にはジャングルや砂漠があり、秋の大陸にはくだものがたくさん実る。小学校の授業ではそう習った。
 けれど、ワイトは旅に出たくなかった。この冬の大陸が好きだし、家族とも離れたくなかいからだ。これまでに何度か、お父さんに旅に出るように言われた。けれどその度に仮病を使ったりして、言い逃れをしてきた。
「今回こそは旅に出なさい。明日、吹雪がおさまってから行きなさい」
 ワイトはいやだ、と言おうとした。しかしお父さんは厳しい顔で「いいね」と念を押してなにも言わせなかった。ワイトは不満と不安が入り混じった顔のまま、下を向いた。
 ワイトは部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。ルーがオセロをしよう、とせがんだけれど、そんな気分になれなかった。ずっと明日がこなければいいのに。その日は眠れなかった。

 次の日。ワイトは部屋に閉じこもっていた。頭から布団をかぶり、ベッドの上で丸まっている。今日の吹雪もやんでしまった。コンコンッ、とドアをノックする音がした。ワイトは布団をはがされないように、さらに丸まる。
「ワイト。入るわよ」
 お母さんだ。ドアが開く音がして、足音が近づいてきた。お母さんはベッドに腰かけた。
「ねえ、ワイト。なぜ旅をするのがいやなの?」
 お母さんの質問にワイトはぽつり、と小さく答えた。
「だってほかの大陸には、雪が降っていないんでしょう?スキーもスケートもできないじゃないか。冬の大陸にいるほうが楽しいし、お母さんやお父さん、ルーも友達もいる」
 ワイトが旅をいやがる理由を聞いたお母さんは、やさしくワイトに話しかけた。
「ワイト。あなたはまだ冬の大陸しか、せまい世界しか知らないわ。見方がせまいと、自分の世界もせまくなっちゃう。かたよった考え方しかできなくなるわ。それはワイトにとって、とても損なことよ」
 一度言葉を区切り、お母さんは言葉を続けた。
「世界は広いのよ。旅に出ることは、きっといい経験になるわ」
 お母さんはとん、とやさしくワイトの背中をたたいた。
「さあ、下りてご飯を食べましょう。次はお父さんが来るわよ」
 そう言ってお母さんは部屋をあとにした。ワイトはしかたなく布団から出た。怒ったときのお父さんは、世界で一番こわいのだ。
 リビングで遅めの朝ごはんを食べた。食べ終わるとお父さんがリュックサックとダウンコートを持ってきた。
「さあ、行っておいで。旅に必要なものは、リュックサックに入っているからね」
 そう言ってお父さんはワイトに荷物を渡した。その口調が柔らかくなっていることにワイトは気がつかなかった。ワイトはしかたなくダウンを着て、リュックサックを背負った。お母さんが玄関のドアを開けた。ひんやり、とした空気が入ってくる。ワイトは何度も振り返りながら、外に出た。さく、と音を立て雪に小さな足跡が残った。一歩ずつ、港行きのそり乗り場へと進む。旅に出たくない、という気持ちに変わりはないけれど、家を出てしまったのだからしかたない。まずは春の大陸に向かうことにした。港から船が出ている。ワイトの旅を応援するかのように、雲ひとつない空だった。

 春の大陸へ向かう船のすみで、ワイトは一人海をながめていた。周りのにぎやかな声は、右から左に抜けていく。そんなワイトに一匹の旅猫族が話しかけた。
「やあ」
 ワイトは旅猫族のほうを向いた。黒い毛並みは少しいたんでいる。十歳以上年上で、たくさん旅をしてきたのだろう。耳の先がかけていた。
「となり、いいかい」
 ワイトはうなずいた。黒い旅猫族は、ワイトのとなりに座った。
「旅のしきたり中かい?雰囲気でわかるよ」
 黒い旅猫族はなつかしむように遠くを見た。
「おれも昔は旅がいやだったよ。けれど、いろんなところに行くと、旅が楽しくなっていった。まあ、きみもきっとわかるよ」
 黒い旅猫族はそう言ったが、ワイトの憂うつな気持ちは変わらなかった。
 春の大陸に着くと、黒い旅猫族とは港で別れた。ワイトを歓迎するかのように、風がふわり、とふいた。どこからか花びらが舞ってきた。ワイトは手を伸ばし、花びらをつかみとった。ピンク色でトナカイの足跡のような形をしている。確かサクラ、という、春の大陸だけに咲く花だ。もう一度風がふき、小さな花びらがワイトの手から飛び去った。冬の大陸では決して見ることがなかっただろう。ワイトは船から荷物を降ろしている中を横切り、町に向かった。
 町にはいろんな種族があふれていた。人間、旅猫族、歌(うた)鳥(どり)族、戦(いくさ)狼(おおかみ)の一族など。冬の大陸では雪かきや買い物、遊ぶとき以外で外に出ない。用事も吹雪が止んでいる間にすませようと、急ぎ足だった。お店の商品も店の中に並べられていた。しかしここ、春の大陸はちがった。商品は店の外に並べられているところもあり、みんなのんびり、買い物をしている。生きた魚や見たことのないくだもの、ピンクや黄色など明るい色ばかりの花。
「わあ」
 ワイトは声をあげた。冬の大陸は白、青、灰色など暗い色のものが多いところだった。そのため明るい色の花は見たことがなかった。生まれてはじめて見るものばかりで、少し浮かれていた。そんなワイトをある人は不思議そうに、またある人はほほえましく見守っていた。
 お店めぐりをしていると、ぐう、とおなかが鳴った。どこか食堂はないだろうか。ワイトは辺りを見回した。ナイフとフォークの形をした看板がかかっている食堂を見つけた。店の前にはメニューの一部が書かれた黒板が置かれている。花のカルパッチョ、桜エビのクリームパスタ、パエリア。冬の大陸ではなじみのない料理ばかりだ。想像がつかない料理を食べる気になれないワイトは、お母さんが持たせてくれた、焼いた魚の一夜干しを食べることにした。冬の大陸では、雪が積もって家から出ることができなくなることもある。なので、日持ちする干物などがよく食卓に並ぶ。
 しばらく歩くと噴水と桜の木がある広場にたどり着いた。ワイトは噴水のへりに腰かけた。通り過ぎる様々な種族をぼんやり、とながめながら魚の一夜干しを食べた。
 一夜干しが残り三分の一ほどになったころ。ワイトの向かいで一羽の歌鳥族がなにか準備を始めた。ワイトよりも背が高いカナリアだ。
使い古された丸い缶を足元に置き、声出しをしている。
 歌鳥族は様々な場所を飛んで旅をしている、鳥の一族だ。旅したところの文化や歴史を歌う。その歌声はとても美しいらしい。というのも、ワイトはまだ歌鳥族の歌を聴いたことがない。カナリアの歌鳥族はゆっくり、歌い出した。その歌声は力強いけれど、雪が止んだ朝のように澄んでいる。聴いていると、おだやかな気持ちになる。みんな立ち止り、歌鳥族の歌を聴いていた。体を左右にゆらし、リズムをとっている者もいた。ワイトは干物を食べるのも忘れ、歌に聞き入っていた。
 歌い終わると拍手のあと、歌鳥族の足元に置いている缶に、お金が投げ入れられた。歌鳥族は丁寧におじぎをした。みんなその場から去っていく。ワイトも知らないうちに拍手をしていた。それに気がついた歌鳥族はにこり、と笑い、近づいてきた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
 カナリアの歌鳥族は気さくに自己紹介をした。
「わたし、歌鳥族のリーア。よろしくね」
「ワイトです」
 二人は握手をした。リーアはワイトに尋ねた。
「ねえ、ダウンを着ていて暑くないの?」
 春の大陸に着いても、ワイトはダウンを脱いでいなかった。じわり、と汗をかいている。それでもダウンを脱がないのは、まだ旅がいやで、冬の大陸に戻りたいからだ。
「だいじょうぶです」
 ワイトは強がりを言った。リーアもそれ以上はなにも言わなかった。
「あなた、旅猫族よね。どこから来たの?」
「冬の大陸から来ました。旅のしきたりで、旅をしています」
 リーアは旅猫族のしきたりを聞いたことがあった。なので、ワイトが旅に出ることが初めてであることがわかった。リーアはワイトにいっしょに行動しよう、とさそった。ワイトはうなずいた。今日の宿もリーアと同じところにした。ワイトはリーアといっしょにいろんなところを回った。菜の花畑、藤だなでできた道、市場。どこも明るい色であふれていた。けれど、どうしても冬の大陸と比べてしまう。
 夜はお店でご飯を食べることになった。リーアはカルパッチョを注文した。二人で食べようと思ったのだ。しかし、生の魚の料理を食べたことがないワイトは手をつけなかった。魚は干物にするもの、と思っていたワイトには抵抗があったからだ。それがわかったのか、リーアはワイトに説明した。
「春の大陸は気候もおだやかで、港町では新鮮な魚を生で食べることも多いのよ」
「そんなの変ですよ。生じゃ何日も持たないし、おなかをこわすじゃないですか」
「ねえ、ワイト。みんないっしょじゃないんだよ。いろんな考え方をしているし、故郷とちがう文化がある。それを否定せず、受け入れることが大切だと、わたしは思うよ」
 その言い方は説教じみてはいなかったけれど、ワイトは少し怒られたような気がした。それでもカルパッチョを食べる気には、なれなかった。

 春の大陸には数日滞在した。ワイトは、やっぱり春の大陸は変なところだ、と思った。色とりどりの花にあふれ、いつも道やお店に人がいる。どこかに移動するときには、馬車を使う。雪もなければ、そりもない。ワイトはよけい故郷がこいしくなった。今、リーアに教えてもらったとおり、夏の大陸に向かう船の乗り場に来ている。リーアとは宿の前で別れた。菜の花のようにきれいな羽を広げ、飛び去った。ワイトはその羽がうらやましかった。もしも羽があれば、すぐに旅を終わらせて家に帰ることができるのに。ワイトはそんな風に思いながら船に乗った。  夏の大陸に着くには、三日かかった。夏の大陸に近づくにつれ暑くなり、さすがのワイトもダウンを脱いだ。できることなら、綿毛のような毛皮も脱いでしまいたいくらいだ。飲み水があっという間になくなった。町に着いたら水を買わなければいけない。
 夏の大陸はとても暑かった。じりじり、と日差しが痛い。フライパンの上で焼かれているようだ。こんなに暑いのに、町には露店が多かった。くだものがたくさん置いてあるお店には、手書きで「水売っています」と書かれたベニヤ板がかけられていた。ワイトはそこで水を買うことにした。とげとげしたもの、丸いもの、細長いもの。赤、黄色、緑、と見たことのない色や形のくだものが並んでいる。
「すみません、水をください」
「あいよ。旅猫族かい」
「はい。初めて旅をするんです」
 ワイトは水筒を渡した。店のおじさんは水を入れながら、ワイトにアドバイスをした。
「もしもここから秋の大陸に行くのなら、砂漠を越えないとだめだよ。水は大量にいるし、砂ぼこりがすごいから、薄手の上着がいるよ。まあ、広くないから二日で着くだろうけれど」
 なにも知らなかったワイトは素直にお礼を言った。ついでに宿の場所も尋ねた。おじさんは親切に教えてくれた。夏の大陸はジャングルが見どころだ、とも教えてくれた。ワイトはもう一度お礼を言って、教えてもらった宿に向かった。宿に着いたら少し寝よう、とワイトは決めた。船がゆれて、なかなか眠れなかったのだ。
 お昼時に宿に着いたワイトは、ベッドに倒れた。夜まで一度も起きなかった。宿は食堂もかねており、ワイトはそこでご飯を食べることにした。魚の一夜干しは、船で全部食べてしまったからだ。一種類しかメニューがないのか、みんな同じものを食べている。ワイトは勇気を出して、注文した。人当たりのいいおばさんが、トレイに料理を乗せて渡してくれた。白いご飯の上に茶色い、具だくさんのシチューのようなものがかかっている。おばさんは、この料理をカレー、と言っていた。水とデザートのフルーツも、トレイに乗っている。ワイトはスプーンで、ほかの人たちと同じように、ご飯とカレーを一緒に食べた。すぐにカレーの辛さが、ワイトの口の中を攻撃した。口から火が出そうだ。ワイトは急いで水を飲んだ。ふう、と一息ついた。すると不思議ともう一口食べたくなる。ワイトはぺろり、とカレーをたいらげた。食器を返却口に返しに行く。
「ごちそうさまでした」
「はい、おそまつさま」
 別のおばさんが笑顔で言った。ワイトはふと、かべのはり紙を見た。そこには『砂漠越えキャラバンツアー』と書かれている。
「あの、これってなんですか?」
 ワイトがそう尋ねると、おばさんは返却口から体を乗り出して、「ああ、これね」と説明してくれた。
「ジャングルを見物してから、キャラバンって商人の団体といっしょに砂漠越えをするツアーだよ。もし参加したいのなら、フロントで申し込めばいいよ」
「ありがとうございます」
 ジャングルに行く気はなかったが、自分一人で砂漠を越えるよりも、ツアーに参加したほうが確実に秋の大陸に着くだろう。ワイトはさっそくフロントでツアーを申し込んだ。明日の朝五時に出発するらしい。ワイトは水など必要なものを買い足しに行った。買い物から帰ってきたワイトは、長い昼寝をしたのにも関わらず、ぐっすり眠った。
 次の日。ワイトは用意をして、フロントに向かった。ダウンは邪魔だったから捨てた。そうすれば、旅が楽しめるように生まれ変われるような気がしたからだ。フロントにはすでに何人か参加者が集まっていた。ワイトが来てほどなくして、ジャングルへと出発した。ジャングルまで鉄の柵をとりつけている、大きな馬車で移動する。十人以上乗れるだろう。ワイトは窓側に座った。ツアーガイドが、ジャングルについて説明をした。ジャングルには、たくさんの植物や動物がいること。動物によってはおそうこともあるので、馬車から出ないこと。ワイトはジャングルがどんな場所かまったく想像がつかないまま、馬車にゆられていた。しばらくすると、ツアーガイドが言った。
「みなさん、ジャングルに着きましたよー。今から中に入りますからねー」
 ワイトは窓から身を乗り出した。馬車はジャングルの中へと入る。道はツアーのために草を刈って通りやすくしているだけだった。
「わあっ」
 ワイトは感動のあまり、声をあげた。見たことがないくらいみずみずしい、緑。真っ青な滝。花は春の大陸よりも元気な色で、大きい。聞いたことがない鳥の鳴き声がジャングルに響いた。馬車はさらに進む。木々の葉は一枚一枚が、大きく広がっていて傘の代わりになりそうだ。くちばしが大きな鳥や、木の枝に住んでいる動物もいる。ワイトにとって、初めて見るものばかりだ。見るものすべてに目をうばわれた。ため息をつくばかりだった。
「こんなにすごいものが、あったんだ」
 ぽつり、とワイトはつぶやいた。冬の大陸から出なければ、見ることはできなかっただろう。そんな風に考えていると、早くもジャングルの出口が見えてきた。
「ジャングルは楽しんでいただけたでしょうか。これからは、砂漠を越えます。日差しと風が強いので、上着を必ず着てください」
 ツアーガイドが言った。ワイトは上着を着ながら、ジャングルの余韻にひたっていた。

 砂漠を越えるのは、とても大変だった。砂ぼこりのせいで、のどが痛くなるし、水もすべて飲み切ってしまった。秋の大陸に向かう船に乗る前に、飲み水だけ買った。船に乗っていると、少しずつ涼しくなるのがわかった。ワイトは、それが少しさみしかった。
 秋の大陸に着いた。船の上で寝ることにもずいぶん慣れたので、宿についてすぐに寝ることはないだろう。町は馬車に乗らなければ行けないようだ。ワイトは馬車に乗って、町へ向かった。石畳の道は馬車をゆらした。ワイトは上着をクッション代わりにして、おしりが痛くならないようにした。二十分ほどすると町に着いた。赤やオレンジ、黄色に色づいた葉が、涼しい風でゆれる。まるで、ワイトを歓迎しているようだ。ワイトは力強く、一歩ふみ出した。心は雲ひとつない空のように、すっきりしている。お店を見て回ることにした。食料を買い足さなければいけないからだ。夏の大陸に比べて、落ち着いた色のくだものが多い。屋台には温かいスープや、くだものをたくさん使ったおかしが、並んでいる。ワイトは、トマトと大豆のスープを買った。ベーコンのうまみと、トマトの酸味が胃にしみわたる。旅に出たばかりのときには、屋台で干物以外のものを食べるなんて、絶対にしなかっただろう。今では、この旅が終わってしまうことが、さみしかった。春の大陸での、カルパッチョも食べてみればよかった、と少し後悔していた。スープの屋台で聞いた宿に向かう途中、一羽の歌鳥族が歌っていた。ふと、リーアのことを思い出した。今では彼女が言っていたことが、少しわかるような気がした。
 ワイトは宿に荷物を置いて、宿のおじさんに教えてもらった、メープル河に向かった。メープル河は秋の大陸を横断している大きな河で、水面に葉の色が写り、きれいらしい。町から出ると、道は石畳から土へと変わった。建物もなく、黄金色の草原が広がっている。まだ見ぬメープル河を想像しながら、そんな道を歩いていると、右前方に戦狼の一族がいた。二人が向かい合う形で立っていて、ほかの三人はそれを囲んで座っている。
 戦狼の一族は、戦いを好み、強い相手を求めて旅をする、狼の一族だった。けれど、月日が経ち平和になると、ほとんどの者が自分の家を持つようになった。今では旅をしている戦狼はめったに見ない。
 そのとき、二人の戦狼がとっくみ合いを始めた。殴ったり、かみついたりしている。ワイトは慌てて二人を止めに入った。
「け、けんかしちゃだめですよっ」
 戦狼たちはぽかん、としていた。そして大きな声で笑った。戦狼の一人が説明した。
「ちがうちがう。これはけんかじゃねえよ。おたがいの強さを確かめあっているんだ」
 二人の戦狼は再びとっくみ合いを始めた。 ワイトは戦狼の言っていることが、よくわからなかった。どう見ても、けんかをしているようにしか見えない。説明をしてくれた戦狼が立ち上がってワイトに近づいた。
「どこまで行くんだよ?」
「えっと、メープル河まで行きたいんです。河がきれいだって聞いたから」
「へー。おれ、メープル河で船を出しているんだ。乗せてやるよ。これもなにかの縁だしな。行こうぜ」
 そう言って、戦狼は仲間と別れてワイトといっしょにメープル河に行くことになった。戦狼はウォル、というらしい。ワイトは思い切って、ウォルに尋ねた。
「なんで、あんな風にけんかするんですか?傷つけあうことは、いけないことなのに」
 ウォルは少し考えて、答えた。
「たしかに傷つけあうことはいけないことだな。それはわかっている。さっきやっていたのは、戦狼の一族じゃ当たり前にしている、力試しなんだよ」
 ワイトは納得していなかった。それが顔に出ていたのか、ウォルは自分の考えを言った。
「たとえば、おれたちは旅をしない。旅猫族や歌鳥族が、なんでわざわざ故郷を離れて、旅をするのかわからない。なんで旅をしているんだ?」
「ぼくは、旅猫族のしきたりで旅をしています」
「そうだろう。それは旅猫族の文化で、戦狼にはない。おれたちの力試しも、それといっしょだ。だから、戦狼同士でしか力試しをしない。けんかじゃないんだ」
 そう言われると、なんとなくわかるような気がした。ウォルの力試しは、ワイトにとって旅のしきたりと、同じものなのだ。それでも、力試しはとてもこわいことのように思えた。けれど少しでもウォルの言っていることを理解しようと、じっくりかみくだいてみた。けれど、なんとなくしか、わからなかった。ウォルも「まあ、きっとわかるようになるさ」と言って話を終わらせた。二人で雑談をしていると、メープル河に着いた。
「うわあ。すごいっ」
 水面には、赤やオレンジに色づいた木々が写っている。まるで、秋の色に染まった一枚の布のようだ。
「おい、こっちだ」
 ウォルはワイトを呼んだ。そして、自分の船にワイトを乗せた。船、というより大きなボートに近い。オールはふつうのものより二倍くらい長く、ひとつしかない。ウォルは立ったまま、ボートをゆっくり、こぎだした。
「すっごくきれいですね」
「だろ。この大陸のじまんだぜ」
 よく見ると、葉っぱの形もそれぞれちがった。ウォルは「あれがイチョウだ」とか「これがカエデ」と木の名前を教えてくれた。河の流れのように、おだやかな時間だ。水鳥もゆうゆうと泳いでいる。いろんなものに目をうばわれた。気がつくと空は木々と同じ色に染まっていた。
「このまま行ったら次の町に行けるけれど、どうする?」
 ワイトは申し出を断った。宿に荷物を置いていることを言うと、明日次の町までボートで送ってくれることになった。もう一度、このきれいな河を見ることができる、と思うとワイトは胸がおどった。

 次の日、ウォルに次の町まで送ってもらった。ワイトは軽々とボートから降りた。
「じゃあな」
「ありがとうございました。ウォルさんの言ったこと、ぼくなりに考えてみます」
 ウォルは、やさしいほほえみを浮かべた。ワイトはウォルの後ろ姿が見えなくなるまで、見送った。
 ワイトは今までよりずっと時間をかけて、秋の大陸を旅した。自分の足で歩くこともあれば、馬車に乗ることもあった。秋の大陸はボートで移動することもあるらしく、何度かボートに乗ったけれど、ウォルのボートが一番よかった。苦い木の実など口に合わない料理もあったけれど、いい経験だったと思うことができるようになった。麦の稲穂が風になびいてきれいだった町もあれば、建物がたくさんある町もあった。ワイトは秋の大陸を旅しながら、ウォルの言っていた意味をずっと考えていた。いろんな場所やものを見て、食べて、だれかと出会って、少しずつわかってきた。
 花を咲かせる木もあれば、秋色に色づく木もある。もしもワイトがまだ、木には必ず雪が積もっている、と岩のように固く考えていれば、ジャングルの感動も、紅葉が写ったメープル河の美しさも、わからなかっただろう。それは、とてもつまらなくて、さみしいことだ、と思った。ウォルが言いたかったのは、そういうことなのかもしれない。ワイトは、冬の大陸行きの船の中で、ようやくわかった。
 同時にワイトは、旅に出るときのお母さんの言葉を思い出した。自分の世界がせまくなって、見方もかたよって、ワイトにとって損なこと。冬の大陸しか知らなかったら、リーアやウォルの考えていることも、わからなかったんだろう。
「おや、君はいつかのぼうやじゃないか」
 ふり返るとそこにいたのは、春の大陸行きの船で出会った、黒い旅猫族だった。黒い旅猫族は、ワイトのとなりに腰を下ろした。
「どうだった?旅のしきたりは」
「行ってよかったです」
「そうか、それはよかった」
 黒い旅猫族はワイトの成長を喜ぶようにうなずいた。船が冬の大陸に着いた。黒い旅猫族とは船の中で別れた。彼はもう少し北に行くらしい。ワイトは、砂漠越えのときに使った上着を着たけれど、歯の根がかみ合わず、がちがち、とふるえた。急いで洋服屋に入り、ダウンを買った。ワイトの故郷まで、港からそりで半日ほどだ。そり乗り場に向かうと、ちょうどそりが空いていたので、故郷まで乗せてもらうことにした。痛いくらいに冷たい風を感じながら、ワイトの頭の中に、旅の思い出がよみがえった。
 サクラの花びらが舞う春の大陸。冬の大陸にない花をもっと見ればよかった。今ごろリーアは、どこを旅しているのだろう。
 毛皮まで脱ぎたくなるほど暑かった夏の大陸。もう一度ジャングルに行って、カレーを食べたい。きっと、もっといいところがあるだろう。
 秋の大陸。メープル河がきれいだった。ウォルも、見た目は少しこわかったけれど、いい戦狼だった。あの苦い木の実のおいしさは、ワイトにはわからなかったけれど。
 最初はいやだった、二カ月ほどの旅だけれど、今では行ってよかったと思っている。
 町に着くと、ワイトの姿を見た人たちが温かく迎えてくれた。ワイトは、家に向かって走った。雪の中を走り回るのも久しぶりだ。家が見えてきた。えんとつからは、温かそうなけむりがたっている。ワイトはうれしさあまって、ドアをいきおいよく開けた。突然の音に、ばんごはんの準備をしていたお母さんと、そばでお絵かきをしていたルーが驚いた。
「ただいまっ」
「ワイトっ」
「おにいちゃんっ」
 三人は喜びから、たがいにだき合った。お母さんは「よく帰ってきたね」と頬をすり寄せた。ワイトは、それが少しくすぐったかったけれど、今日くらいはいいかな、と思った。それから少しして、お父さんが仕事から帰ってきた。お父さんはワイトの帰りを、家族で一番喜んだ。ぎゅう、と強くだきしめられて、苦しかった。
 その日の食卓はワイトの旅の話で盛り上がった。まだまだワイトの知らない場所はたくさんある。それらを知ることができるなら、また旅に出てもいいかな、とワイトは思った。