灯火の儀

 最近明りが灯篭からガス灯になった通りを俺は歩いていた。こんな田舎町にもようやく西洋の波が押し寄せてきた。服装は変わらないが、ちょんまげ頭はもう誰一人いない。そんな人通りのある道を右に曲がり、年季の入った店や家を縫うように裏道に入る。こんな細く暗い道を通るのは余程好奇心のある子どもか猫くらいだろう。ちなみに俺はどちらでもない。好奇心はないし子どもという年齢はとうに過ぎた。ましてや猫でもない。
 そんな誰も好んで入りそうにない道に一軒の店がある。店名の『なかい』という看板があるが、あまりにも古く暗いため営業しているとは信じられないだろう。そこをためらいなく開ける。
「やあおはよう、護くん」
「おはようございます」
 出迎えるこの男性は店主の結さん。名前だけでは女性と間違われるが男性だ。横髪と一体化した前髪で左目が隠れ、後ろ髪はゆるく結んでいる。そしてこの店で俺は護、という名前になっている。本名ではない。この店に来ると俺は四方文虎ではなく、護という人物にならなければならない。服も着替えて装飾品を身につけ、まったくの別人になる。着物の柄は笹と猿だ。なぜこの柄なのかよくわからない。結さん曰くこれらのことはすべて俺を守るためらしい。最初は意味が理解できなかったが今ではよくわかる。
 がららとたてつけの悪い扉を開ける音がした。手早く着替えを済ませ店に出る。
「いらっしゃいませ」
 結さんが読んでいた本を閉じた。入ってきたのは笠で顔を隠し、ぼろぼろの着物を身にまとった男だった。体もすいぶんと汚れていて、わけありであることは一目でわかる。不快な異臭が店に充満する。
「名を……買ってくれ!ここなんだろ?名前を買ってくれるって店は!」
 必死な形相ですがりつくように客は言った。
 そう、『なかい』は『名買い』と書く。ここは人の名を買いとる店なのだ。
 結さんはいやな顔をせず首を縦に振った。背後の小さな本棚から古そうな名簿をとりだした。
「次のお名前は決まっていますか?」
「あ、ああ」
 客の返事を聞き、仕切りにもなっている横長の机の上に名簿の真ん中を開いた。筆を客に渡した。
 名前はその人を存在させるためのものだ。それを食べられるということは存在することができなくなる。そのため、ここに名を売りに来た客には先に新たな名前を準備させるようにしている。
「なら大丈夫です。ではこちらにお名前を」
 客は名簿に名前を書いた。墨がかすれ慌てていたためかお世辞にもきれいとは言えない。しかし結さんは気にせず俺に奥から金を持ってくるように指示した。金額は折っている指の本数で決まっている。折っている指は四本なので四円だ。四円といえば大金だ。このぼろぼろな店のどこにそんな金があるのか、と疑問だった。しかし今ではこの店では四円は端金であることがわかっている。ここにいると金銭感覚が狂いそうになる。
 四円を受け取った客は「これでようやく……!」とつぶやいた。嬉しさかこれからのことを思ってか手が震えていた。そしてこちらをふり返りもせず出て行った。名簿を見ながら結さんはにんまりと笑った。
「この名前なら少し値を張っても『食べ』たがるかな」
 結さんが名簿を見せた。さっきの客は鈴木次郎というらしい。基準がよくわからない。そのとき扉をひっかくような小さな音がした。開けてみると一匹の虎猫が我が物顔で店内に入ってきた。軽々と机の上に飛び乗る。
「まだ『こちら』は開店していませんよ、又さん」
『いいじゃないのさ、結殿よ。今日は名前を食べにきたわけじゃあないんだから』
 優雅に二本のしっぽをゆらし虎猫、又さんは言った。ここの常連で俺の倍を生きている雌猫だ。又さん、と呼ばなければ怒る。化け猫などと言えば顔面をひっかかれ大出血だ。
 結さんのいう『こちら』とは本業のことだ。この名買いは副業、いや仕入れと言ってもいい。
 この世には人やものの名前を食べる生き物が存在するらしい。それらをすべて妖と呼ぶ。妖は特に人間の名前を好む。そんな妖のために人間の名前、妖の食料を売るのが本業だ。
『ああ、でもその名前は美味しそうじゃあないかい。実に美味しそうだ』
 名簿をのぞきこんだ又さんが舌舐めずりをしながら言った。しかし持ち合わせがない、と言って仕方なく諦めたようだった。今までに見たことがない悔しそうな顔だった。
「それで一体なんの用なんです?」
 結さんが改めて尋ねると又さんは『ああ、そうだったそうだった』と本題を切りだした。
『明日灯火の儀が行われる。夜、空けておくように言付かっているのさ』
「ああ、もうそんな時期ですか。しかし明日はお客さんが来るのでどうしても行けないのですよ」
『けれど来てもらわなくちゃあ、結殿も商売ができなくなるんじゃあないのかい?』
「そうですねえ。お偉いさん方の機嫌もとらなくてはいけないし……」
 腕を組んだ結さんと目が合った。そしてにやり、と笑った。目の奥の瞳孔が縦にすうっと割れる。この瞬間、結さんが本当は人間ではないと再認識する。普通の人間ならば背筋がぞくりとしたりするのだろうか。よくわからない。
「護くん、代わりに行ってくれないかい?もちろん時間給と別に上乗せもするから」
「わかりました」
 了承した。俺には金が必要だ。母は体が弱いし、下の妹も病気がちで薬はかかせない。だから断らないと結さんもわかっているのだ。金さえもらえるのならば人間も妖もどうでもいい。興味すら沸かない。
「じゃあ頼むよ。申し訳ないけれど又さん、案内してくれないかい?」
『しょうがないねえ。護、日が暮れたら店の前に来な』
「わかった」
 又さんは少し面倒くさそうに言って、本業の開店時間にならないうちに店を出て行った。あまり持ち合わせがないらしく、ほかの妖が美味しそうな名前を食べる様子を見て我慢することができないらしい。悔しさと羨ましさが入り混じった顔をしながら爪を研ぐ姿が簡単に想像できる。  仕事が終わるのは朝日が昇るころだ。たとえでもなんでもなく本当に朝日が昇ると閉店する。なので具体的な閉店時間は決まっていない。多くの人が起き始める時間に俺は眠りにつく。
「お疲れさまです」
「お疲れさま。それじゃあよろしくね。やりかたは又さんに聞くといい」
「はい」
 結さんはじっと俺を見つめた。そして表情を変えずに訊ねた。
「灯火の儀についてなにも聞かないんだね」
「聞いたほうがいいですか?」
「いいや?だが多くの人間は、わからないことを誰かに訊ねずにはいられない生き物だから」
「金さえもらえればいいので」
 結さんはにやりと笑った。
「やはり君を雇ったのは正解のようだ。好奇心が強すぎるのも困りものだからねえ」
 あまり詮索するな、ということか。そんな気は髪の毛一本ほどもないので安心していただきたい。そして緩やかに眠気が訪れてきたので挨拶をして店を去った。

 上の妹が作った朝食を食べすぐに寝た。母も二人の妹たちも俺が『なかい』で働いていることは知らない。目が覚めたときには日が傾きはじめていた。慌てて用意をして『なかい』に向かった。
 すでに又さんが店の前で待っていた。
『遅いじゃあないか。ほら行くよ』
 又さんはそう言って歩き出した。店よりさらに奥に向かう。急いでいるのか、それとも足が短いためか意外と歩くのが速い。早歩きでちょうどいいくらいだ。
『灯火の儀っていうのはね、妖が行う儀式のひとつさ。それぞれ集めた力を再び返すとあたしらは強くなるんだよ。それに結殿も形だけだが毎年参加していたんだがね。まああの人の場合はそんな儀式なんぞなくっても十分だろうさ』
 又さんは聞いてもいないのに説明を始めた。そして思っているよりも結さんが恐ろしい存在であることがわかった。あまり機嫌を損ねないでおこう。
『いいかい。灯火の儀を壊そうなんて考えるんじゃあないよ?あんたは骨どころか髪の毛一本すら残らないからね。その気になったら人間の名前なんてすぐにわかるんだからねえ』
 又さんの忠告を素直にきくことにした。そのときさあっと風が吹いた。生ぬるい、雨が降る前のような風だ。暗かった視界が明ける。そこは森だった。広場のように木が生えていないところに様々な妖が集まって雑談をしていた。ずいぶん西洋化が進んできたとか、最近食べた名前がうまかったとか、俺にとってどうでもいいことだった。又さんも顔なじみの妖に挨拶をしに行った。俺にその場を動かないように言った。辺りを見渡すとそこには何匹か『なかい』の常連がいた。一応会釈をした。向こうも会釈を返してきた。挨拶を終えた又さんが戻ってきた。
『そういえば儀式のやり方を説明していなかったねえ。すっかり忘れていたよ。挨拶ついでにあんたの事情を話さなかったら危なかったねえ』
 又さんはそう言って灯火の儀について説明を始めた。
『これからあたしらが順番に火を灯す。けどあんたはなにもしなくていい。ただ、隣に火を渡しておくれ』
「それだけでいいのか?」
『ああ。間違ってもあたしらと同じことはするんじゃないよ。死にたくなかったらね』
 説明が終わった直後、よぼよぼの狸の妖がやってきた。腹は信楽焼の置物よりも大きい。針で刺せば勢いよく飛んでいくかもしれない。みんなの態度が改まった。又さんが小声で大物の妖で、ちゃがまという名前であることを教えてくれた。この狸の妖が灯火の儀を取り仕切っているらしい。
『皆の衆、ご足労感謝する。それではさっそく、灯火の儀を始めよう。今宵の火吹きは円となってくれ』
 又さんが『ほら来な』とついてくるように言った。ちゃがまを頂点として円が組まれる。又さんの隣に腰を下ろす。火吹きというのが円に加わる妖らしい。それ以外は円の外にいる。
 ちゃがまが一枚の葉っぱをどこからかとり出した。ぽんっという音をたてて一本の薪に変わった。その薪にふうっと息を吹きかけた。すると火がついた。それを左隣りの妖に手渡した。受けとった熊の妖も同じように息を吹きかける。すると火が一回り大きくなった。それを繰り返し、火が顔よりも大きくなった松明を又さんから受けとる。俺はなにもせず隣の妖に渡した。隣の蛇の妖は尻尾で器用に受けとり息を吹きかけた。さらに炎が大きくなった。松明がちゃがまの元に戻ってきたときには、俺が両手を広げたときと同じくらいの大きさになっていた。元の木との比率が悪い。ちゃがまは大きく息を吸い込んだ。そしてその火を下から吹き消した。火だったものは赤い蛍のような、雪のようなものに変わり降り注いだ。妖たちはそれを全身で浴びた。ほう、と心地よさそうにため息をついているものもいる。又さんもゆったりしている。俺の手の甲にも落ちるが特に変わった様子もない。これが又さんの言っていた力が返り強くなっていく、ということなのだろうか。
 降り注いでいた火の残骸がなくなると一本締めをして、解散した。帰り道に気分が高揚した又さんが訊ねてきた。
『なんでああいうことをするかわかるかい?』
「いや」
『つれないねえ。いつもそうだ。まあ、いいけどねえ。
 教えてあげるさ。人間どもがなにもしていないからだよ』
「なにもしていない?」
『今までは妖への対策を講じていたんだよ。術師どもを使ってね。けれど西洋の流れが入ってきたことによって、そういうことが馬鹿馬鹿しい、効果のない形だけの儀式とされた。今の世の中西洋はなんでもよしとされているからねえ。
 だから好機なのさ。あたしらが力をつける絶好の、ね』
 ぎろりと眼が光る。しかしそんな話はどうでもよかった。興味もなければ人間も妖もどうでもいいからだ。俺のそんな態度も見て又さんはため息をつきながら、話す相手を間違えたと少し後悔しているようだった。
 こうして日常とも非日常とも言い難い一日が終わった。