ガラスと少女 04

第4話

 あれからさらはどうすれば、自分の気持ちが真っすぐ相手に伝わるか毎日考えていた。
 そして店長とキスをしてから半月ほど経ったある日。終業のチャイムが鳴って、帰る準備をしていたときだった。友達のけいちゃんとみゆちゃんから声をかけられた。
「さらちゃん、今日みゆちゃんのお母さんが誕生部なんだって。だからお花屋さんに花を買いに行くんだけど、一緒に行かない?」
「お母さん、花が好きなんだー」
 さらはどうしようか迷った。けれど店長をふり向かせるいいアイディアも浮かばないので、気分転換にいいかもしれない。
「うん、行く」
「じゃあ放課後に南公園に集合ね」
 花屋はフィーユとは反対方向にあり、自転車で十分くらいのところにある。その中間地点にあるのが南公園だ。けいちゃんとみゆちゃんの家から花屋までの距離は、さらと同じくらいだがそれぞれの家は三角形を描くように離れているので、いつも待ち合わせ場所を決めて遊ぶのだ。
「わかった」
 さらはランドセルに教科書をすべて詰めこみ、早足で家に帰った。
 少しのお小遣いが入った財布を、お気に入りのショルダーバッグに入れて南公園に向かった。こげ茶色で白いレースの縁取りがかわいらしい。
 公園にはすでに二人が来ていた。自転車から降りて、入口から一番近いベンチに座ってお喋りをしていた。
「ごめん、お待たせ」
「ううん大丈夫だよ。行こう」
 三人は自転車で花屋へ向かった。ときどきお喋りしながら縦一列になってペダルをこぐ。犬の散歩をしているおじいさん、買ったものでぱんぱんになったレジ袋を持って帰っているおばさん、手を繋いだ親子、いろんな人たちが歩いている。
 三人は花屋の前に自転車を止めた。店内だけでなく外にも色とりどりの花が並べられている。外には主に鉢に植えられた花が何種類も置かれている。中に入ると更に多くの花が縦長のバケツに活けられていた。黄色いひまわり、真っ白なカサブランカ、かわいいピンク色のガーベラに何色もあるバラ。花束に仏花、動物の形に活けられたブーケもある。まるで宝石箱の中にいるようだ。
「いらっしゃいませ。なにかお探しですか?」
 女性の店員さんがにっこりと笑って三人に近づいてきた。みゆちゃんは少しぎこちなく店員さんに言った。
「あの、バラがほしいんです。お母さんの誕生日で」
「はい、わかりました。お母さんはなに色のバラが好きかな?」
 店員さんは三人においでおいでと手招きをした。立ち止まったのは大きなガラスケースの前だった。バケツの中にはバラ以外の花も活けられていた。店員さんはエプロンのポケットから鍵をとり出し、ガラスケースを開けた。ひんやりとして霧のような水分を含んだ空気が涼しい。
「何色でも好きなんです。バラなら」
「うーん、それじゃあ花言葉で選んでみる?」
「花言葉?」
 関係のないけいちゃんが訊ねた。店員さんは頷いた。
「花言葉は色によっても違うの。バラももちろんそう。赤は情熱やあなたを愛する、白は尊敬や清純、黄色は友情や嫉妬、ピンクは温かい心に恋の誓い、とかね」
「へえ、花言葉って一つじゃないんだあ」
 初めて聞く話に三人とも興味津々だった。
「それにバラは本数でも意味が変わるのよ」
「え?本数って?」
「そうねえ、たとえば一本なら一目惚れとかあなたしかいない、家族に送るのなら十一本で最愛、とかね」
 みゆちゃんはバラの値札を見てから、お財布の中身を確認した。ぽつりと「十一本も買えない……」と呟いた。
「ふふ、お母さんはあなたがくれたっていうことだけで十分嬉しいと思うわ。本数なんて関係なく、ね」
「ほかの本数にも意味ってあるの?」
 興味深そうにけいちゃんが訊ねた。店員さんは頷いた。
「ほかにもあるけれど九十九本は永遠の愛、百八本は結婚してください、とかね」
「わあ、ロマンチックだね!」
 けいちゃんは目をきらきらさせている。ショートカットで普段は男の子といっしょに駆けまわっているけいちゃんは、意外とかわいいものやきれいなものが好きなのだ。話が落ち着いたところで、みゆちゃんは白バラを五本買うことにした。小さなブーケにしてもらう。待っているあいだけいちゃんとさらは店内の花を見ていることにする。みゆちゃんはレジの奥の作業台を見に行った。ふと、さらはガラスの花束があればとてもきれいだろうと思った。
 ブーケはあっという間できた。魔法でも使ったのだろうか、と思ってしまうほどだ。真っ白なバラを囲むようにかすみ草も一緒に束ねられていた。みゆちゃんはとても嬉しそうに笑って戻ってきた。
「バラ、二本もおまけしてくれたんだよっ」
「よかったね」
「おばちゃん、喜んでくれるよ!」
「うんっ!」
 みゆちゃんは花束を見たときのお母さんの顔を想像して、嬉しそうに笑っていた。そんな様子を見てさらとけいちゃんも幸せな気持ちになった。
 三人は花びらが散ってはいけないと思い、自転車を押して帰ることにした。
「花束をもらって嫌がる人なんているのかな?」
「いないんじゃない?あーあー。あたしもいつか素敵な男の人から、こんなおっきな花束もらってみたいなあ」
 けいちゃんは片方の腕だけで大きな丸を描いて言った。こういうところがロマンチストで、かわいいなとさらはよく思う。
 そのときさらの頭の中で言葉の断片が浮かんだ。ガラス、花束、バラの本数の意味。三つの言葉は瞬時に線で繋がる。さらに花束という言葉から嬉しいという感情が繋がる。そしてすべてが繋がりひらめいた。
「ごめん、あたしもうちょっとお花屋さんで話聞いてみたいから先に帰ってて!」
「あ、ちょっとさらちゃん!……行っちゃった」
 けいちゃんが呼びとめたが、さらはあっという間に自転車をこいで花屋へ向かってしまった。仕方ないのでけいちゃんとみゆちゃんだけで帰ることにした。
「でも安心した」
「なにが?」
 みゆちゃんはけいちゃんに訊ねた。けいちゃんは「さらちゃんだよ」と言葉を続ける。
「なんだか最近元気なかったでしょ?だから気になってたんだよね。あたしたちにも言えないことみたいだったし」
「けいちゃんスネてたもんね」
「す、スネてないよお」
 みゆちゃんはくすくすと笑った。けれどけいちゃんがスネてしまう気持ちもわかる。三人は悩みがあれば両親よりも先に相談するくらい仲が良い。けれど今回、さらはなにも言わなかった。友達ならなんでも話せばいいと思っているけいちゃんにとって、おもしろくないのだ。
「いつか話してくれるよ、今回のこと」
「かなあ」
 けいちゃんとみゆちゃんは立ち止まってふり返った。さらの姿はまだ見えなかった。

 そのころさらは花屋さんに着いたところだった。店先でさっきと同じ女性の店員さんが花の手入れをしていた。
「あら、さっきの子たちの……」
「あ、あのっ、バラの本数ってほかにも意味があるんですか?」
 一瞬なんのことかと店員さんはぽかんとしたが、すぐにさっき説明した話のことだとわかった。「ええもちろん」と答えた。
「三本だと愛しています、七本だと密かな恋。九十九本は永遠の愛で、百八本は結婚してくださいっていう意味になるのよ」
 思ったよりも意味が多いので、きちんと覚える準備ができていなかったせいで水性インクが弾くように教えてもらったことが残らない。あたふたしているさらを見て店員さんは「ちょっと待っていてね」と言って店の奥に消えた。しかしすぐにメモ用紙を持って戻ってきた。
「はい。本数の意味、ここに書いておいたわ」
「あ、ありがとうございますっ」
 さらは両手で丁寧に受けとった。店員さんはにこにこ笑みを浮かべならが訊ねた。
「好きな子にプレゼントするの?」
 好きな『子』ではないが説明する必要もないので、さらは首を縦に振った。すると店員さんは「いいわねえ」とどこか懐かしむように言った。淡い恋心を想像しているのだろうけれど、そんなにいいものでも弱いものでもない。さらにとってこの恋は大勝負なのだ。こういうときに、大人ってわかっていないなあ、とさらは思った。

 あのあとさらは紙粘土を買いに行った。残る必要なものはガラスの破片だ。家に帰ってさらはお母さんに確認した。
「ねえお母さん。空きビンってある?」
「え?そうねえ……ワインの空きビンならあるけど」
 そう言って台所で晩ごはんの準備をしていたお母さんは、手を止めて生ごみ専用のごみ箱のそばに置いているビンを持って示した。深い緑色だ。
「それちょうだいっ」
「いいけれど……なにに使うの?」
「割るの」
「えっ?」
「割って使うの」
 さらの中でははっきりと完成図と計画プランができているのだが、お母さんにはまったくわからないので戸惑った。お母さんはさらにビンを渡すのをやめようと思った。
「だめよ、危ないから」
「大丈夫だもんっ」
「けがするからだめ」
 お母さんはビンを自分のほうへ寄せた。さらは「いるのー!」とお母さんの腕からビンをとろうとした。しかし大人と子どもでは体の大きさが違いすぎる。少し持ち上げられると、さらの手では届かなくなる。ビンを高いところに置こうとしているお母さんをまっすぐ見つめ、さらは言葉を紡いだ。
「お母さん、どうしてもビンがいるの。大事なことを……自分の気持ちを伝えたいの」
 真剣な眼差しはとても小学四年生には思えなかった。そんな娘の成長が嬉しくもあるが寂しさもあった。きっと以前に話していた好きな子のことだろう、とお母さんは察した。幼い娘の恋路を応援しない母親などいるだろうか。お母さんはそっとビンを差し出した。
「一つだけ条件。ビンを割るときはお母さんといっしょのときだけ。いいわね?」
 さらの表情がぱあっと明るくなった。何度も首を縦に振った。そして赤か透明のビンが出たらほしいことも伝えた。割るのは今度にする。
 さらは自分の部屋へ上がると、落書き帳を机の引き出しからとり出した。シャーペンを握ってがりがりと描きはじめる。まずは四角く囲む。そしてその中に一輪の花が描かれる。バラだ。しかしどうもしっくりこない。消しゴムで消しては描き、また違うと消すのを繰り返した。落書き帳には何本もの線のあとが残り、わら半紙の紙もぼろぼろになってついに穴が開いてしまった。
「あーあー……」
 穴のあいたページを破り捨て、新たに描きはじめる。頭では完璧な完成図ができているのに、うまく絵にできない。それがとても悔しい。自分の絵の下手さを呪いたくなる。
「どうすればいいんだろう?早くしないと、店長さんわたしのこと忘れちゃう……」
 さらは店長に自分の気持ちが本気だと、どうしても伝えたいのだ。だからそのために手作りのプレゼントをしようと思っているのだ。
 ガラス細工を作っているのだから、店長はガラスが好きだろう。そして三本のバラをガラスで描くのだ。花屋さんで店員のお姉さんに、バラの本数の意味を教えてもらったときに思いついた。バラの本数はもちろん三本だ。意味は愛しています、だ。
「そうだっ、中野先生に聞いてみよう」
 中野先生とは、学校の図工の先生です。図工室を使うようになる四年生から六年生の授業を担当しています。、先生の中でも若く怒ると怖いですが、普段は穏やかに笑う姿はさわやかな青年といった風です。さらたちと年が近いので、お兄さんのような感覚でみんな懐いています。
 机に敷いているマットに挟んでいる時間割りを見ると、運よく明日は図工があります。完成図を描くことはひとまず置いて、必要な材料を挙げることにした。